始まりの日01

 外を吹く風が身体に染みるようになった十一月の終わり、ささやかだけれどとても温かい催しが開かれた。場所は町中の小さな一軒家を改装したレストラン・フェリーチタ。オープンを明日に控えた新しい店だ。
 この店の名前は「幸せ」という意味の言葉から由来しているらしい。美味しい料理で笑顔になって幸せが訪れますようにと願いが込められている。

 通常は四人掛けのテーブルが五席にカウンターテーブルが六席と言う配置だけれど、今日はフロアの中央や壁際にテーブルを配置して立食形式になっている。テーブルの上には食べやすく小さくまとめた色とりどりの料理が並んでいた。
 パスタにピザ、リゾットやサラダ、そのほか肉料理に魚料理など目移りしそうなほど並んでいる。もちろんデザートも様々だ。

 そんな店に集まった顔ぶれは、この店のオーナーである優哉に馴染みのある人たちばかりだ。幼馴染みの片平と三島、学友だった峰岸、恩師である新崎先生。それに学生時代お世話になったレストランの料理長である久我さんとそこで働いている三木さんだ。
 そのほかにも二十人くらいはいるだろうか。夕方十八時から始まった店の開店を祝うオープニングパーティーは、お酒も入りかなりみんな盛り上がっている。
 美味しい料理を食べているあいだは見知らぬ人同士でも楽しく会話ができるのだろう。なんだかとても和気あいあいとしていた。

「おいしそー! あれもこれも食べたい」

「あんまり食い過ぎるとウェディングドレスが入らなくなるぜ」

「うるさいなぁ」

「あっちゃん盛りすぎ」

 片平に峰岸、三島は相変わらずの仲だ。口喧嘩をしながらも仲違いすることなく、つかず離れずの距離を保っている。そういえば片平は二週間後に結婚式を控えていた。変わらないように見えても少しずつ彼らも変化をしていくのかもしれない。彼らはこれからどんな道を歩いて行くのだろう。
 そんなことを思い眩しく彼らを見つめてしまう。

「やあ、西岡先生」

「あ、新崎先生」

「今日はお招きありがとう」

「ぼ、僕が招いたわけじゃないですよ」

 片平たちの様子を眺めていたら、とても和む笑顔で新崎先生が傍にやって来た。丁寧に頭を下げられて思わず恐縮してしまう。けれど新崎先生はそんな僕を見てますます深い笑みを浮かべる。

「あなたはパートナーですからね。同じですよ」

「そう言われるとなんだか照れますね」

 新崎先生には本当にお世話になった。こうして僕が変わらぬ毎日を送り、優哉と一緒にいられるのは先生のおかげだ。新崎先生がいなければ教師という職を続けていられなかったし、僕の人生は大きく変わっていたかもしれない。
 それは大げさなどではなく本当にそう思う。いつの時もこの人は僕の前に立ち、優しい笑顔で手を差し伸べてくれる。それがどれほど嬉しく、心強かったか。いくつ感謝の言葉を並べても足りないくらいだ。

「彼の料理は年寄りにも優しい味だね」

「優哉に言ったら喜びますよ。今日は楽しんでいってくださいね」

「あとで挨拶させてもらうよ。ありがとう」

 楽しげな表情を浮かべる新崎先生は僕に向かい会釈をすると、賑やかな片平たちのもとへ向かっていった。片平と三島は久しぶりに新崎先生に会ったのかとても嬉しそうだ。片平は跳び上がるようにして喜んでいる。
 僕も新崎先生のような生徒の心に残る教師でありたいな。

「佐樹、食べてる?」

 しばらくフロアの隅で椅子に腰かけていると、ふいに声をかけられる。その声に振り返れば、コックコートを着た青年が僕の前に立っていた。背丈は僕と同じくらいか、それより少し高いくらい。
 ウェーブのかかった金茶色の髪をしていて、日本人とは少し違う彫りの深い顔立ちをしている。人なつこそうに細められたブラウンの瞳がとても優しい好感を持てる青年だ。

「えっと確かエリオだったよな。うん、食べてるよ」

「そう、よかった。佐樹は小食だって優哉が言ってたから」

 人好きする明るい笑顔を浮かべる彼はこの店の二人目の料理人エリオ・ヤマザキ。イタリアと日本のハーフでイタリア語も日本語もどちらも流暢に話す。向こうにいた時は優哉と同じ店に勤めていたが、ぜひ一緒に働きたい申し出てくれたらしい。とても頼りになる仲間だと優哉は紹介してくれた。

「どれも美味しいからつい食べちゃうよ」

「いいね、嬉しいね。あ、優哉はしばらくはみんなに捕まってるだろうから、待っててな」

「うん、今日の主役だからな」

 エリオが向けた視線の先を見つめれば、優哉が来客たちに囲まれていた。一人一人に声をかけて歩いているので、そこかしこで立ち止まり引き留められている。けれど今日はこの日の主役だから、僕はこうして隅のほうで彼を眺めているだけで満足だ。

「おっと、あそこがもう空だ。じゃあ、ゆっくりして行ってくれよ」

「ありがとう」

 賑やかな人波を縫って歩いて行くエリオの後ろ姿を見送ると、僕はぐるりと店の中を見回した。見知った顔を見つけるものの、みんな楽しげに談笑しているので割り入る気にはならなかった。お腹はだいぶふくれたし、もう一通り食べたような気もする。

「あ、西岡さん」

 どうしようかと視線を巡らしていたら目の前で立ち止まる人がいる。顔を上げてみると、そこには僕よりも頭ひとつ分は高いだろう背丈の男の人が立っていた。人の好さそうな笑みを浮かべる彼は一度会っただけだが覚えがある。優哉のバイト先で一緒に働いていた人だ。

「三木さん」

「よかったー。覚えていてくれたんだ!」

 至極嬉しそうに声を弾ませる彼は、まるで花が咲いたみたいに周りが明るくなる人だ。バイトをしていた頃にいろんな相談に乗ってくれた一番気安い先輩だと優哉は言っていた。いまも彼はタン・カルムというレストランで働いているようだ。少し強面の料理長の右腕としてきっと頑張っているのだろう。

「久我さんはいま優哉くんと話しているよ」

 くだんの料理長を視線で探していたら、三木さんは後ろを指さし教えてくれた。優哉の隣で難しい表情をして話をしている年配の男性、そうだあの人が優哉が料理の道を目指すきっかけになった人だ。

「あんな怖い顔をしてるけど、あれでもいますごく機嫌がいい顔なんだよ」

 口元に手を当てて笑いをこらえるような仕草をすると、三木さんは久我さんをまた指さした。どう見ても気難しい顔をしているようにしか見えないが、長年一緒にいる三木さんには違った顔に見えるようだ。きっと久我さんの表情は三木さんくらいしかわからないのではないかと思った。

「作る料理は違っても同じ料理人の道を歩いてくれることが嬉しいみたい。優哉くんが自分の店を持つって話を聞いた日はものすごく機嫌よかったんだから」

「そうなのか。優哉もとても恩があるって言ってたな」

「久我さんは優哉くんを孫のように可愛がってたからね」

 隣に立つ優哉はすごく嬉しそうな表情を浮かべている。背中を追いかけていた人に喜んでもらえて、いまきっとすごく幸せに違いない。そしてそんな姿を見ている僕もまたすごく幸せだ。彼が笑っていると僕も笑顔になれるし、幸せを感じていれば僕もまた同じ気持ちになる。
 今日は彼にとっていろんなことが始まる日だ。店をオープンさせることが一番の始まりだけれど、みんなを笑顔にさせること、師を超えていくこと、それも彼の始まりではないだろうか。

「あ、三木さん。久我さんがこっちを見てるけど」

「あれは呼んでる顔だ。バタバタしてごめんね。俺、行きます」

「うん、最後まで楽しんでいって」

 慌ただしく人波を抜けていく三木さんは遠くに行ってもその背の高さでよく目立つ。そして久我さんに渋い顔をされながら笑うその顔はとても朗らかだった。

「みんな楽しそうだな」

 美味しい料理を前にしてみんなが笑顔になり、いつしかこの空間にあふれんばかりの幸せが満ちている。それがなによりも嬉しく思えた。少しずつ優哉の未来が輝いていくようで、誇らしい気持ちにもなる。
 今日という日はきっと僕にとっても思い出になるだろう。それを思うだけで気持ちが大きく膨らむような気がした。