あの日の笑顔01

 厳かな雰囲気――聖歌隊の賛美歌が響いて空気までも煌めかせる。鮮やかなステンドグラスが光を透かす様が美しい。姉が結婚式を挙げたチャペルも採光がとても綺麗だった。そんなことを思い出すとふっと過去がよぎり自分たちの挙げた式はどんなだったろうと思い返す。

 そこは古めかしい佇まいだったけれど、よくある町の教会とは少し違った雰囲気の外国の教会のような、荘厳さを感じるとても素敵な場所だった。確か彼女が小さい頃から通っていた教会だと言っていた。
 お互いの親族だけを集めて挙げたささやかな式だったけれど、あの瞬間は本当に幸せを感じた。花嫁のウェディングドレス姿はその前から何度も見ていたのに、あまり感傷的ではなかった当時の僕でさえ、本当に特別な時間を過ごした気分にさせられた。

 目の前に映る光景はそんな教会を思い起こさせる。けれどそこでふと我に返る。ここは一体どこだろう。自分は夢を見ているのか。キラキラと光の粉が降り注ぎ、足元が不確かな、奇妙な感覚がする。
 そうか、夢か。そんなことを思いながら真紅のバージンロードの先へ視線を向けた。光が差し込む祭壇前、そこに人が立っている。目が眩みそうな光の渦に目を瞬かせながら近づいていくと、その人がゆっくりと振り返った。
 やんわりと優しく目を細めて笑みを浮かべたその表情に、胸がとくんと高鳴る。

「……ん」

 しかし足を踏み出そうとしたところで意識が浮上した。差し伸べられた手に触れる前に目が覚めてしまったことがなんだかひどくもったいない気になる。けれど自分を抱きしめるぬくもりを感じて、まだ重たい目をこすり顔を持ち上げた。
 視線の先にシャープな顎のラインが見える。彼を起こしてしまわないようにそっと身じろいで顔が見える位置まで移動すると、規則正しい寝息が感じられた。昔と変わらない少しあどけない寝顔に口元が緩む。

 じっと見つめているとふいにぎゅっと身体を抱き寄せられて、心臓がドキリと跳ねた。さらに髪へ頬をすり寄せてくる感触に胸が騒ぎ出して、思わず隠れるように胸元に顔を埋めてしまう。
 すると抱き込むようにぴったりと身体を寄せられてしまった。胸の音が微かに響いてくるほどの距離に鼓動はどんどんと早まる。けれどしばらくそうしているうちにまたウトウトと眠気がやってくる。
 次に目が覚めた時には甲高い電子音が鳴り響いていた。

「佐樹さん、おはよう」

「……あ、うん。おはよ」

 耳に響く音に顔をしかめたら、その音はすぐに止んだ。目覚まし時計に伸ばされた手が戻ってくると、またぎゅっと抱きしめられる。それに顔を持ち上げれば、優しく額に口づけられた。
 そしてさらにこめかみやまぶたにもキスが降り注ぎ、最後に唇をさらわれる。ついばむように口づけられて頬が火照った。何度もしてきた行為なのに、何度繰り返しても胸が甘く痺れていくような気がする。

「優哉、くすぐったい」

「可愛い」

「お前、からかってるだろう」

「いいえ、可愛がってるんです」

「もう、いいよ。お腹空いた」

 ドキドキとする胸を誤魔化すために素っ気ない物言いをしてしまったが、僕を見つめる眼差しは変わらず優しい。目を伏せていてもじっと見つめられているのがわかり、耳まで熱くなる。
 帰ってきてから三ヶ月は経つのに、こうして傍にいることがまだ慣れないのだろうか。落ち着かない気持ちで視線を持ち上げるとやんわりと微笑まれた。それは夢の中で見た笑顔と重なる。

「なんか不思議な夢を見た。今日のことで気持ちが浮き立っているのかな」

「どんな夢ですか?」

「んー、内緒」

「意地悪ですね」

 別に隠すような夢ではないけれどなんとなく気恥ずかしかった。自分の願望とかだったらだいぶ恥ずかしい。そんなに夢見がちな人間ではないと思っていたから、余計に恥ずかしさが増す。
 心の内側を見透かすように目を細められたけれど、口先にキスをして誤魔化した。そして抱きしめる腕に力が込められるのを感じて、ぱっと身を起こしてそこから抜け出す。そのまま言葉の先をねだられたら白状してしまいそうだ。

「佐樹さん」

「ご飯にしよう」

「……はい」

 少し拗ねたような顔をするがあやすみたいに頭を撫でたら、諦めたのか優哉は小さく息をついた。込み上がってきたあくびを噛みしめてリビングへ向かえば、その後ろをついてくる。
 暖かい布団から抜け出すとひんやりとした空気で肩がふるりと震えた。その寒さが我慢できずに急いでエアコンのスイッチを入れる。十二月半ばにもなるとやはり朝はかなり冷える。もう少しで年末かと思えば一年の早さも実感した。

「今日は天気良さそうだな」

「そうですね。崩れる心配はないって昨日の天気予報では言ってましたよ」

「今日は晴れの日だから、なによりだ」

「あいつはわりと晴れ女ですしね」

 雲一つない冬の空。寒さできっと外は澄んだ空気だろうと思う。深呼吸をしたいところだが、ようやく暖まってきた空気を逃したくはない。キッチンからバターの香りが漂い出したのを感じて、僕はカウンターに足を向けた。
 向かいで朝ご飯を作っている優哉と時折視線を交わらせながら、コーヒー豆を手挽きする。そうすると香しい匂いに鼻がすんと反応してしまう。優哉のお店でも出しているこのブレンドコーヒーは豆を取り扱っている専門店から仕入れていて、香りもさることながら味もとにかくいい。
 まろやかさとほのかな酸味、優しい甘みが黄金比率のようにかけ合わさっている。大げさな物言いだが、コーヒー党である僕のここ最近のお気に入りだ。毎朝飲んでも飽きることがない。

「佐樹さん、ジャム食べます?」

「ジャム? 作ったのか?」

「ええ、昨日みかんとキウイが安かったので」

「へぇ、キウイのジャムって初めてだ。食べる」

 冷蔵庫から取り出された瓶に目を輝かせていると、チンとオーブントースターが音を立てた。まだフライパンを握っている優哉に視線を向けられて、いそいそそちらへ足を向ける。彼と暮らすようになって買い替えたトースターは四枚焼きでとても便利だ。
 初めて使った日は朝の忙しい時間に二人分いっぺんに焼けて感動した。ものなんて使えれば、と言う考えの僕では考えが及ばないが、優哉がいるとなんでも効率的になる。

「いただきます」

 淹れ立てのコーヒーにふっくら焼けたトースト。スクランブルエッグと手作りのポークウィンナー、アボガドと海老のマヨネーズサラダ。それに見るからにおいしそうな二つのジャム。
 相変わらず隙のない朝食メニューだ。わりと手作りのものが多いので大変ではないかと思うのだが、作ったほうが安いと言うこともあるらしい。
 僕としては毎日おいしいものを食べさせてもらえてありがたさしかない。こうして二人で並んでカウンターで朝食を食べるのもだいぶ馴染んできた、なんて思いながら横顔を見つめると不思議そうに振り返られる。

「どうかしましたか?」

「ん、いや、平和で幸せだなって思って」

「もうこれからは平穏に暮らしていきましょう」

「うん、ほんとだな」

 目を瞬かせて驚いた顔をしたけれど、優哉はすぐに優しく笑った。しみじみとするような言葉に頷いて僕も笑みが浮かぶ。こんなに穏やかに過ごすことができるいまが本当に嬉しい。以前はほんの小さな幸せがとても大きなことのように感じるくらいだった。
 いまだって小さな幸せも大切だし優劣もないけれど、それでもこのゆったりとした時間はいまだからこそ得られるものだ。

「んっ! キウイジャム旨い!」

「良かった」

 かぶりついたトーストだけで幸せだって笑えるなんて、なんだかお得な気がした。それに加え恋人の柔らかい笑顔を毎日見られるなんてプライスレスってやつかな。そうを思ってふいに含み笑いしたら、優哉は目を丸くして驚いた。でも幸せ幸せって心の中で何回も繰り返した。
 そう思えば思うほどにこの瞬間が輝き出していきそうに思える。相手を幸せにするためにはまず自分が幸せにならなくてはいけない、そんなことを言ったのは誰だったかな。でもその通りだ。

 二人で生きていくならお互いに幸せにならなくては先行く未来は明るくならない。お互いがプラスにならないなら、なんてそんなことを言っていた頃が懐かしい。