明日の空に射す光04
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 玄関で待ち構えていたのは座っていてもわかる手足の長い男の人。ブロンドの髪に青い瞳、顔立ちから見てもすぐに外国の人だというのがわかる。人なつっこい笑みを浮かべて手を広げるその人の膝では、小さな男の子がこれまた可愛らしく両手を広げて待っていた。
 ニコニコと笑顔で迎えてくれたのは長女の愛息と次女の旦那さんだ。普段から海外を行ったり来たりしていた佳奈姉だからこその国際結婚。いまはまだ婚姻だけで戸籍は一緒ではないが、帰化の要件を満たしたら手続きする予定でいるらしい。

「アレク、蓮、ずっとここで待ってたのか?」

「そう、レンと一緒に待ってた」

「さっちゃ、まってた!」

 おそらく保さんが家を出てからここでずっと待っていたのだろう。玄関には絵本やラクガキ帳が散らばっている。それを見て僕は驚いてしまった。外よりもだいぶ暖かいとは言え玄関先だ、寒さは入ってくる。
 身体を冷やしはしないかと思うが、よく見ると二人とも中綿がたっぷり入った母特製の半纏を着ていた。幼い甥っ子はほっぺたの色も良くてさほど寒さを感じていないように見える。

「サキ、おかえり! ユウヤ、はじめまして! ボクはアレクシス・ベイカーだよ」

 戸口で立ち尽くす僕たちにアレクはニカッと笑って立ち上がる。そして小さな蓮を片腕に抱いてまっすぐに右手を差し出した。彼の勢いに一瞬気圧された感じはあるが、目を瞬かせてから優哉はその手をしっかりと握り返す。

「はじめまして、橘優哉です」

「やあ、マムが自慢してただけある。サキのパートナーはとってもハンサムだ」

「ありがとうございます」

「うん、素直なところもいいね」

 ストレートな言葉に照れたように笑う優哉に好感を持ったのか、握られた手は勢いのままぶんぶんと縦に振られる。わりとアレクは感情表現が飛び抜けたところがあるので驚く展開ではないが、この状況に戸惑っている恋人に助け船は出してしまう。
 とっさに二人の手を押さえるように両手を載せると、アレクは目をぱちくりさせ、優哉はちょっとだけ苦笑いを浮かべた。

「アレク、そろそろ。……優哉の腕が取れそうだ」

「あっ、ごめんごめん。会えて嬉しかったからさ」

「ありがとう」

 慌てたようにぱっと手を離したアレクはしゅんと申し訳なさそうに眉尻を下げる。けれどその子供みたいな表情に思わず吹き出せば、二つ年下の義兄はお日様みたいな笑顔を浮かべた。この裏表を感じさせないまっすぐさがとてもいいなと思う。
 明るくて話好きなアレクはいるだけで周りを賑やかにしてくれる。母と姉しかいなかった家は彼のおかげで毎日が大騒ぎなのだそうだ。それがとても楽しいと母はよく言っている。

「みんな、なにしてるの? 寒いから家に上がりな」

「あ、タモツおかえり」

「ぱぱ! おかえり」

 いつまでも三人で顔を突き合わせていると僕らの後ろから保さんがやってくる。玄関をのぞき不思議そうに首を傾げる彼に、アレクの腕で大人しくしていた蓮が顔を華やがせた。両手を目いっぱい伸ばして甘えるその姿に大人たちの顔が緩む。
 父親に似てほんわりとした空気の息子はさらさらの黒髪に一重だがぱっちりめの黒い瞳。お人形のような可愛らしさがある。

「蓮、お兄さんに挨拶したかい?」

「おにーたん?」

「ばあばが言ってただろ。さっちゃんの大事な人だよって」

 きょとんとして首を傾げる蓮は目をパチパチさせて人差し指を口元に当てる。んー、と眉をハの字にして考える仕草まで可愛い。なにをしてうちの子が可愛いと思う僕は相当だ。けれど本人は一生懸命なのだろう。ぐるぐると考えているのがわかる。

「ばあば、ゆうにゃっ!」

 ふいにぱっと灯りを付けたように表情を明るくした蓮は、ぴんと伸ばした人差し指を優哉に向けた。得意気だが、ちょっと舌っ足らずになった彼の言葉に恋人は思わずと言ったように笑みをこぼす。

「蓮くん、よろしく。……って、佐樹さん?」

「ん、ごめん、我慢できなかった」

 小さな手を優しく握ってやんわりと微笑んだその瞬間を見過ごせなかった。おもむろに携帯電話を構えてシャッターを切った僕は優哉に困ったような顔をされ、義兄たちに微笑ましそうな顔をされる。
 それでもなおもう一枚! とねだると甥っ子と恋人のツーショットが撮れた。いそいそと保存したそれはお宝フォルダに格納される。

「もう男子、なにやってんの?」

 ようやく玄関からリビングに移動すると第一声、佳奈姉の呆れた声が届く。その声に視線を向ければ、ソファで佳奈姉と詩織姉がお椀に箸を向けているところだった。ぞろぞろとやってくる僕らに二人は肩をすくめる。
 けれど僕の後ろから優哉がやってくると表情を明るくした。その反応の違いは一目瞭然だ。奥さんの対応に保さんは優しく笑うけれど、アレクは少しショックを受けたのかしょんぼりとする。

「優哉くん久しぶり!」

「相変わらずのイケメンね。元気してた?」

「お久しぶりです。はい、おかげさまで」

 こぞって声を上げる姉たちに優哉はやんわりと笑う。しかしあまりにも優しく笑うから、アレクに引き続き僕まで少しささくれそうになる。それでもそっと隣にある指先を握ったらきゅっと小さく握り返してくれて、気持ちがまたなだめすかされた。

「姉さんたちあからさますぎ。アレクなんかショックを受けてるだろ」

「えー、なに、面倒くさい」

「佳奈ひどい」

 全員揃って一気に賑やかさが増した雰囲気に自然と笑みが浮かぶ。けれどふといまだ声を上げていない母に気づいて視線で探すとキッチンで顔を俯かせていた。その様子に僕は優哉の手を引いて彼女に歩み寄る。

「母さん」

「駄目ねぇ、お母さん涙もろくて」

 傍まで行くと目元を拭いながら母は顔を上げてにこりと微笑む。しかし瞳は涙が浮かんでいて、優哉を見上げるとそれはポロリとこぼれた。慌てて俯く彼女に、並び立つ恋人は一歩前へ足を踏み出す。

「帰ってくるのが遅くなってすみません」

「いいのよ。優哉くんはちゃんと帰ってくるっておばさんわかってたから」

「これから先はもう傍を離れることをしません。なのでなにかとお世話になると思いますが、よろしくお願いします」

「ええ、もちろんよ」

 優哉の言葉に再び顔を上げた母は喜びを抑えきれないような満面の笑みを見せる。そして両腕を広げて彼を抱きしめた。それを抱きとめて優哉はきゅっと唇を噛む。感情をこらえているのがわかって、そっと僕は背中を撫でた。

「うふふ、なんだか立派になって、前よりも頼もしくなったわね。向こうでいっぱい頑張ってきたのね。お疲れさま、おかえりなさい」

「……ありがとう、ございます」

「あらあら、さっちゃんごめんなさい。優哉くんを泣かせちゃったわ」

 肩が震えてこらえきれなくなったものがこぼれ落ちる。それに気づいた母は優しく彼の頬を撫でた。そしてエプロンのポケットからハンカチを取り出してそっと拭うと、腕をさすって帰ってきてくれてありがとう、そう繰り返しながらまた涙を浮かべた。

 こうして優哉が涙をこぼすのを見るのは帰ってきてからは初めてだ。この涙を最初に見た時は胸が押しつぶされそうになった。泣くことさえ不器用で心が軋む音が聞こえてきそうなほどだった。それから離れる時間が迫ってきた頃にも僕を抱きしめながらよく泣いていた。
 夜が明けるたびに離れるのが寂しいと弱音を吐いていたのを思い出す。だからではないが、僕が寂しいと思っている暇はあまりなかった。彼を抱きしめるのが精一杯すぎて、気づいたらもう時間が来てしまった。

「すみません」

「大丈夫よ。いっぱい泣いていいのよ。感情を表に出すことはいいことだわ。たくさん頑張ったから、たくさん我慢もしてきたでしょう?」

 いまの涙は悲しい涙ではないけれど、泣いているのを見るとやはり胸が締めつけられる。僕は彼の泣き顔にちょっと、いやだいぶ弱い。昔に比べると落ち着いていて心配になることは減った。それでも心に溜めていることはあっただろうと思う。
 僕や家族にも言えない不安だとか、切なさだとか。帰ってきた時は僕が先に泣いてしまったから泣かせてあげることができなかった。だからいまは母の大きな愛に救われた気分になる。

「さっちゃんも優哉くんもお腹は空いてない? 外は寒かったでしょう。温かいもの食べてゆっくりしてちょうだい」

 無条件に腕を広げてくれる母も、明るい笑顔で迎えてくれる姉や義兄も、僕の誇れる家族だ。優しくて思いやりがあって人をまっすぐに愛せる。それは当然のことではないから、彼らのように僕もそんな人間でありたいと思う。

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