その愛、温めますか?04
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 学校に着くといの一番に峰岸がやって来て、その後の調子は? と聞いてきた。なんでもない顔をしているけれど心配はしていたのだろう。だいぶ熱が下がってわりと元気だと伝えたらほっとした顔をしていた。
 そして見舞いだと大粒の苺をもらった。袋を見たら有名な店で、結構高いことは疎い僕でも知っている。職員室の冷蔵庫に入れておくからとでかでかとマジックで名前を書かれてちょっとばかり恥ずかしかった。

 ほかの先生方からも風邪の具合どうですか? なんて聞かれて、いまの時期は流行っているからもらわないように気をつけてくださいねとやんわり釘を刺された。しかしそれも致し方ない。風邪だインフルエンザだと休む先生は先月くらいからちらほらいる。
 けれど僕は普段から病気に縁がなく、年に一度風邪を引くか引かないかだ。丈夫さが取り柄だと思う。それでもうっかりしているとその年の一度がやってくるともわからない。気をつけるには越したことはないな。

 いつも通りに仕事をこなして、夕方、授業が一通り終わって事務仕事をしていたらメッセージが届いた。昼にもご飯を食べたと連絡が来ていたので、なんだろうと開いたら写真が添付してあった。

「暇なので焼きました」

 その一文とともにパウンドケーキが目に飛び込んでくる。それを見て一瞬固まってしまう。なにをしているんだあの男は。安静にしていろって言ったのに。そんなことを思っていたら、ちゃんと手洗いしてマスクして作ったとか斜め上なことを言ってくる。
 いやいや、僕が心配しているのはそこじゃない。心配しているのはお前の体調だ。ケーキじゃない。

「んー、でも美味そうだ」

 ココア生地で輪切りのオレンジが表面にあって、中にはオレンジピールとナッツが入っているそうだ。彼の作るお菓子はなにを食べても美味いんだよな。文句を言いたいけれど文句の言葉が出てこない。

 仕方なしに熱は測ったかと聞けば、七度五分まで下がったと返事が来た。順調に下がってきているようだ。それは常日頃、微熱を認識していなさそうな優哉には通常運転していてもおかしくない体温なのだろう。
 とは言ってももう少し身体を休めていて欲しい。熱も下がったからきっと明日からでも店を営業すると言い出しそうだし、また忙しくなるのだからいまだけでも、と思うのは僕だけなのか。

「鍋は鶏がいいかな。タンパク質は大事だよな。鶏団子にしようかな。白菜とキノコと豆腐と、長ネギはまだあるし」

 一人暮らししていた時は晩ご飯のことなんて考えたことなかったな。適当にスーパーで惣菜を買ってご飯炊いて食べるくらいで。優哉といるとご飯が美味しい。たとえそれが質素な食事でも一緒に食べているだけで美味しいと思える。
 仕事をしていると二人揃って食べることはそう多くないのだが、朝はキッチンに立っている優哉の顔を見ながらご飯を食べられるし、彼が休みなら朝も晩も一緒だ。おかげでごく普通な当たり前な幸せ――それを思い出す。

「よし、今日も仕事を片付けて早く帰るぞ」

 楽しみが多くてその後の作業が捗りまくったのは言うまでもない。

 日が暮れたあとに買い物袋を携えて帰宅すると、リビングでパソコンと書類を広げた優哉に迎えられた。また仕事しているのかと思ったら、保護者であり叔父である時雨さんに頼まれごとをされたようだ。
 あの人はあまり表に立って歩く人ではないから、基本的には秘書である荻野さんが代理人として出て行くのだが、最近はそうでもないらしい。日本での予定があると優哉にお役目が回ってきている。

 それ自体それほど仕事に関わることではなく食事会や親睦会程度と言っていたが、まったく予備知識もなく向かうわけにはいかない。なのでこうして出席者の簡単なプロフィールを頭に収めてから行くのだ。
 後を継がせようという気持ちはないみたいなので、おそらく店をオープンさせた時の借りがまだ残っているのだろう。本当に無理な時は無理と断っているけれど、そこは頭が上がらない部分なのかもしれない。

「優哉、そろそろテーブルの上を片付けてくれ。鍋ができた」

 黙々と作業をしている彼に声をかけたらようやく顔を上げた。集中すると周りの音が聞こえないタイプなんだよな。僕がキッチンでバタバタしていてもまったく気になっていないようだった。

「あ、お腹が減りました」

「お前のは減ってたのに忘れてた、のほうが正しい」

「そうかもしれません」

 少し照れたように笑う顔が可愛くて思わずにやけてしまう。それを見て不思議そうに目を瞬かせるものだから、ますますニヤニヤした。

「ほらほら、飯だ、飯」

 優哉がテーブルで作業していたのですぐに食べられるよう鍋に火は入れてある。IHヒーターの上に大きな土鍋を置いて、蓋を開けたら感嘆の声が上がった。それとともに眼鏡が曇って、二人で顔を見合わせて笑ってしまう。

「この鍋の素、美味しいですね」

「うん、だな。鶏だしなんだけど新発売らしくて買ってみた」

「ちょっと生姜も利いていてなかなかいいです」

 なにか考えごとをしながら食べているのがわかる。多分味を見て次に作る時に真似できないかなって考えているのだろう。舌が正確だからわりと一回食べるとなんでも再現してしまえるところがあるんだよな。
 その精度の高い味覚が壊れたんだから風邪って怖いな。

「そうだ、明日から店を開けます」

「あー、やっぱり。もう一日くらいゆっくりしていてもいいのに」

「いえ、さすがにこれ以上家に篭もっていたら身体を持て余します」

「優哉のそれ、ワーカホリックってやつだぞ。仕事してないと落ち着かないんだろう。まったく、大抵の人は休みの日をいまかいまかと待ちわびてるって言うのに」

 あれかな、仕事していないと落ち着かないと言うよりも、仕事をする以外にすることがわからないのかもしれない。趣味――まだ見つかっていないのかな。なにかほかに興味が持てるものができたら良いのに。

「はあ、お腹いっぱいだ」

 あれこれと話をしながら鍋を二人で平らげて、僕はパウンドケーキを二切れ食べた。鍋で身体が温まっているし、もうこのまま横になりたいような気分になる。つい背後のソファにもたれかかってしまった。

「佐樹さん、こっち来て」

「ん? どうした急にマスクして」

「そろそろ充電が切れそうになってきました」

 だらけている僕をじっと見つめる優哉は床を叩いてこちらを促す。それに一瞬首を傾げかけたけれど、充電、その意味に気づき口元を緩めた。そして四つん這いでそろそろと傍に寄って、彼の隣に腰を下ろす。
 肩が触れるほどぴったりと寄り添えば、両手が伸びてきて抱きすくめられた。それは二日ぶりくらいの抱擁。

「佐樹さんにご飯を食べさせられないのももどかしいですけど。それ以前に抱きしめられないのが一番キツかったかもしれないです」

「うん、僕も、お前が近づかせてくれないから寂しかった」

「だけど今回は佐樹さんの献身的な看病で癒やされました。おかげで寒気も和らぐみたいな」

「そんな効能、僕にはないぞ」

「佐樹さんの愛情で温まった感じです」

 ぎゅっと抱きしめられて体温を感じる。それだけのことで胸が温かくなる。これが優哉の言う愛情で温まるってことなのだろうか。腕を伸ばして背中を抱きしめ返したら、頬ずりされてくすぐったさに笑ってしまう。

「今度から温まりたい時は遠慮なく言ってくれ」

「なんだかそれ、ちょっとコンビニみたいですね」

「その愛は温めますか? みたいな」

「さしずめ俺は弁当ですかね」

 くだらない冗談に二人で笑い合う、その空気が優しい。肩口にすり寄って触れていることを確かめる。ほんとはキスして欲しいけれど、これは完治するまでお預けにされそうだ。
 けれど視線を持ち上げて秀麗な顔を見上げれば、やんわりと目が細められて額に唇を寄せられた。マスク越しで感触もなにもないが、察してくれたことが嬉しくてさらに強く抱きしめた。

「キスはあと三日くらいはお預けかな」

「とりあえず薬を飲みきるまでですね」

「うん、僕も風邪を引いている場合じゃないしな」

「でもハグだけは解禁で」

「マスク付き?」

「はい」

 真面目な目をして頷くその反応にまた笑ってしまった。だけど大事にされていると思えばそのくらいはなんてことない。同じ家の中にいるのにまったく触れられないよりマシだ。
 早く完治してハグしてキスして、その先もねだられたらちょっとは許しても良いかもしれない。気遣いと優しさ――少しは僕にも身についただろうか。

その愛、温めますか?/end

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