嫉妬01

 出会ってずいぶん月日が流れたけれど、そういえば僕は優哉の交友関係をあまり知らない。友達とか紹介されたことがないし、滅多に私用で家を空けることもない。
 平日の休みになにをしているのか詳しく知らないから、誰かと会っている可能性はあるがやっぱりよくわからない。だから誰かと親しく話しているのを見るとすごく珍しいなって気持ちになる。
 そして普段とは違う笑い方、仕草、視線、そんな些細なことがすごく気になってしまう。くすぶるような感情は嫉妬だろうか。自分の知らない優哉を見ている人への羨ましさ。
 自分だけを見ていて、なんて重たいことを思っているわけではないはずなのに、心に引っかかる気持ちに翻弄される。

「今度の休みにでもどうだ?」

「ああ、考えておく」

 最近の優哉は幸村さんという飲食系の情報雑誌を手がけている編集長さんと仲がいい。おすすめの隠れた名店として、雑誌で取り上げてもらったことがあると聞いたから、その縁で知り合ったのかもしれない。
 でもそれだけではないくらいに二人は気安くて、幸村さんもよく店に顔を出しているようだった。最初はなにげなくやり取りを見ているだけだったが、あまりにもパーソナルスペースが狭くてそれが気にかかるようになってしまった。

 優哉はどちらかというと人に一線引いて付き合うタイプだったから、そういった付き合いはすごく珍しいのだ。友達というには歳が少し離れているような気がするけれど、いまどきはあまり年齢差など気にすることではないのだろうか。
 彼は僕とさほど変わらなさそうな三十代前半から半ばくらい。背が高くてモデルみたいな体型は優哉と似ている。派手さのない落ち着いた茶色い髪とスタイリッシュなフレーム眼鏡がおしゃれな印象だ。
 顔立ちも整っているし、話す声も柔らかくて聞き心地がいい。優哉と並んでも見劣りしないほどのいい男だと思う。

 いまも店内にいる女性客を振り向かせているくらいだ。顔だけでなく頭もいいのか知識が豊富そうで、いつも二人の会話が途切れることがない。優哉もそれが楽しいのか彼といると機嫌よさそうに笑っている。
 いろんな知り合いが増えて優哉の付き合いが広がるのはいいことだと思っていたのに、なんだか彼は完璧すぎて少し不満が募ってしまう。恋愛と友情は別次元にあるものだということはわかっている。
 けれどどうしてか彼と仲のいい優哉にもやもやとした気持ちが湧いてくる。

「じゃあ、また連絡する」

「深夜に連絡するのはやめろよ」

「はは、気をつける」

 カウンター越しのやり取りなのに、なんだかすごく仲のいい雰囲気が感じ取れて思わずため息をついてしまった。土日の休みに店を訪れるということは仕事絡みではなく完全にプライベートだ。最近は僕が店に行くと必ずと言っていいほど彼はいる。
 店のスタッフである日笠さんやエリオとも気心知れているのか、時折みんなで談笑する姿も見受けられた。今日も僕が来た少しあとにやって来て、カウンター席でずっと厨房にいる優哉と話をしている。

「あかりちゃんお会計いいかな」

 ほかのテーブルの接客を終えた日笠さんに、手を上げた幸村さんがふいに振り返る。じっと彼を見つめていた僕は視線が合いそうになり反射的に俯いた。しばらくこちらを見つめる視線を感じはしたが、黙って下を向いているとその視線はいつしか離れていく。

「佐樹さん、珈琲のお代わりでもいかがですか?」

「え? あ、いや今日はもういいよ。ありがとう。僕もお会計お願いしてもいい?」

 ほっと息をついていたら、いつの間にか傍にやって来ていた日笠さんが小さく首を傾げて僕を見つめていた。彼女の視線に慌てて顔を上げると、大げさなほど首を振って僕は鞄を手に取った。

「どこかお出かけですか?」

「あ、うん。写真の展覧会があって」

「いいですね。楽しんできてください」

 慌てふためく僕を見て少し不思議そうな顔をしたけれど、日笠さんはそれ以上深くは追求することなく手早く会計を済ませてくれる。その大人の対応に感謝しつつ僕は席を立つことにした。

「ありがとうございました」

「また来るよ」

 鞄に財布をしまいながらちらりと厨房のほうへ視線を向ければ、そんな僕に気がついたのか優哉が視線を持ち上げて微笑んだ。優しい笑みに自然と頬が熱くなるけれど、彼の表情に気づいた幸村さんが視線を追いかけるようにこちらを振り返った。
 とっさのことに視線をそらせなくて、今度はまっすぐと目が合ってしまう。ぶれることなく合ったそれを不自然にそらすこともできなくて、しばらく見つめ合う形になってしまった。

 しかしずっと見つめ合っているわけにもいかない。どうしようかと考えを巡らせていたら、優哉が奇妙な沈黙を断ち切るように幸村さんに声をかけてくれた。ようやく視線が外れて思わず長い息を吐き出してしまう。
 もう一度ちらりと見れば、二人はなにやらまた話をし始めた様子だ。少し優哉と話したい気持ちもあったけれど、家に帰れば顔を合わせることができると思い直して僕は店を出ることにした。

 それにしてもなぜこんなに気持ちが揺らいでしまうのだろう。優哉はいつも変わらず優しいし、愛情をかけてくれているし、気持ちを疑うところなんかないはずなのに。やはり普段よりも親しげだからだろうか。
 優哉の中で彼が特別な人だからそんな風に思うのか。けれどこんな風に独占欲の塊みたいなことを考えている自分が少し嫌になる。

「そのくらいのヤキモチ可愛いもんじゃない?」

 気分が沈み込みそうな僕を見て、隣を歩いている片平が肩をすくめて笑った。励ますように背中を叩かれて丸まりそうだった背筋が伸びる。

「そうかな」

「ちょっと気にするくらいどうってことないわよ。そもそも心配するようなことは起きないだろうし」

 優哉の幼馴染みである彼女にはついつい相談を持ちかけてしまう。僕の知らない彼を知っている人でもあるから、困ったことがあると頼りにしてしまうのだ。
 それにいつでも彼女はポジティブで、裏表のない性格をしている。しょげている時に話をすると自然と元気を分けてもらえる気になった。

「あたしなんか旦那の周りをうろうろする女は滅びろって思ってるわよ」

「ああ、確かに片平の旦那さんはモテそうだよな」

 去年の暮れに結婚した片平はまだ新婚さんだ。旦那さんは二十くらい歳が離れていて、男の自分から見ても大人の色気を感じさせる人だった。
 黙っていても女の人が寄ってきそうな色男だから片平は気が気ではないらしい。でも夫婦仲はすごくよくて、旦那さんの溺愛っぷりは見ていて照れくさくなるほどだ。

「優哉はあんまり友達がいないから余計に気になっちゃうんじゃない?」

「うーん、確かに友達っていう友達はそんなに知らないんだよな。でも友達相手にいちいちこんなこと思ってたら鬱陶しいよな」

 それに優哉に新しく友達ができるたびにこんなヤキモチを妬いていては身が持たない。それを思うと自分の執着にうんざりしてしまいそうになる。

「そうかな。あいつだったら先生が可愛くて仕方がないと思うわよ」

「重くないかな」

「全然、そんなことない」

 問題ないと片平は笑うけれど、こんな感情を優哉に知られるのはなんだか嫌だ。きっと笑って大丈夫だと言ってくれそうな気はする。でも彼に友達ができることを素直に喜べない自分は小さくて心が狭い。これではいつでも自分が一番でないと気が済まないみたいだ。

「先生はもっと愛されてる自信を持ってもいいのよ。あいつのヤキモチだって大概よ」

「そうかな」

「そうよ。大体、渉さんの展覧会くらい一人で行ったっていいじゃない。別に本人に会うわけじゃないんだし!」

 呆れたような顔をしてため息をつく片平は、長い髪の毛をかき上げて口を尖らせた。今日は忙しい片平の予定を空けて付き合ってもらっている。
 渉さんの展覧会があることを優哉に言ったら一人で行くのを渋られたのだ。また偶然にでも会うかもしれないと危惧しているのだろう。相変わらず渉さんは僕に対する好意を隠さないから、それが気に入らないらしい。

「付き合わせて悪いな」

「別にそれはいいの! あたしも行きたかったから。でもあいつは器量が狭いし臆病すぎよ。先生のヤキモチのほうがまだ可愛い」

 しかしこうしてヤキモチを妬かれるほど執着してもらっているのにどうしてだろう。まだ気持ちのくすぶりが消えていかない。二人の親しげな様子を思い返すと胸がきゅっと苦しくなる。

「片平たち以外にあんなに素直に笑う優哉を見たことなかった」

「んー、まあ、確かにそんなにあいつが懐くなんて珍しいと言えば珍しいわね」

 そうなんだ。彼にしては珍しいことなんだ。自分の家族、幼馴染みの片平や三島、悪友の峰岸。彼らには感情を隠すことなく接するのは知っているが、それ以外の人であそこまで気安く打ち解ける優哉は見たことがない。
 だから不安になってしまうのだろうか。もしかしたら優哉の特別が増えることで、自分の居場所がなくなってしまうのが怖いのかもしれない。いままで特別なものが少なかった彼だから、自分が数少ない特別なんだと安心できた。
 けれど優哉の世界が大きく広がってしまった時、自分はどのくらい彼の中に残るのだろうかと不安になってしまう。

「そんな暗い顔しないの! 先生以上に特別な相手なんてあいつには現れないんだから」

「だといいんだけど」

 これからもっと大人になっていく優哉にはいろんなものが増えてくる。新しいものが増える中で僕は変わらずにいられるだろうか。いまでさえこんなに不安になっているのだ。もっともっと彼が歩み出したら、その眩しさに負けてしまうのではないのか。

「先生、好きでいることを疑わないでね」

「え?」

「あいつは絶対に一生かけて先生を好きでいる。先生もそうでしょ? なにがあっても二人は変わらない。あたしはそう信じてる。先生も信じていいんだよ」

 ああ、信じている。でも確かに信じているはずなのに、どんどんと新しいものに触れたら、優哉がいつか目移りしてしまうんじゃないかなんて考えが浮かぶ。
 まっすぐに見つめてくれる眼差しがほかの誰かに向いてしまう日が来るんじゃないかって、そんなこと思い始めてしまう。成長していく彼の背を押してあげなければいけないのに、変わらない自分が古ぼけていくようでたまらなく不安になっていく。

「先生を不安にさせるなんて、あいつ平和ぼけして愛情かけるのおろそかにしてるな」

「そんなこと、ない。優哉はいつでも優しいんだ」

 でもそう思うのにまだ心が揺れる。こんなにも心が乱れるのはどうしてだろう。得体のしれない不安が胸の奥に住み着いて心がねじ曲がってしまいそうだ。
 どうしてあの人とあんなにも仲がいいのか。あの人はどれほど優哉の特別なのだろうか。それが知りたいと思ってしまう。

「二人のあいだに割って入りたいわけじゃないんだよ」

 ただ変わらず彼の心が僕の隣にあることを確かめて安心したいだけなんだ。

「不安なら優哉に飛び込んで行けばいいのよ」

「勇気が足りないよ」

 重たいため息がこぼれた。臆病な自分が嫌になる。色あせていく自分に不安になる。でも変わらない自分が嫌ならば、変わっていく努力をすればいいのではないか。彼に置いて行かれないように一緒に走れば変わらず傍にいられる。