末候*菜虫化蝶(なむしちょうとなる)
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 最初に思ったのは、なんだか懐かしいという思い。
 次に思ったのは、どうして仏間に女の子がいるのだろうという疑問。

「ぼっこちゃん、久しぶり。元気してた?」

 朱嶺の言葉に、ぼっこちゃんはこくりと頷いた。
 人見知りするのだろうか、彼女は暁治を横目で見ながら朱嶺の後ろに走って回り、背後からそっと顔を出した。

「こっちがはるだよ」

 はるは本名じゃないんだがと思いつつ頭を下げると、少女は合点がいったように手を叩いて、嬉しそうに目を細めた。

「よし、メンツもいるし、ひな祭りやろっか」

 今すぐ飛んで行きそうな、朱嶺の首根っこをつかむ。

「ひな祭りは四月三日だろ。それに、この子はどこの子なんだ?」

「どこの子って? あぁ」

 朱嶺はぽんっと拳を自分の手のひらで受け止める。しばらく迷うように目を泳がせた後、口を開いた。

「俺の妹。親が共働きでさ、できればはるの家で預かってもらえないかな~……って」

 勢いよく零れた言葉は、暁治が目を細めるにつれ、だんだん小さくなっていく。

「じ、実はこの子はこの家の座敷童で……とか?」

「冗談もほどほどにしてくれ」

「あはい」

 どちらにしても内容がうさん臭くて信用できない。だがしょんぼり顔した少女を見ていると、なんだかこっちの方が無理を強いてる気持ちになってくる。
 二人してどうしたものかと顔を見合わせているところは似てなくもないが、洋風顔の朱嶺と比べると、雰囲気がまるで違う。

 とはいえ血縁関係はともかく、二人の様子から顔見知り以上の付き合いがあるのは間違いなさそうだ。どうせすでに朱嶺が居座っているのだ。
 なら一緒にいるのは男より、可愛い女の子の方がいいに決まっている。
 暁治は大きくため息をついた。

「ちゃんと親から預かってくれって連絡貰えるならいいよ」

「えっ?」

「なんだよ、反対して欲しいのか?」

「滅相もないデス」

 ぷるぷると、朱嶺は首を振る。

「どうせお前もいるんだろ。ちゃんと面倒見ろよ」

「うん、わかったよ!」

 なし崩しに自分もこの家にいる許可が貰えたのがわかったのか、朱嶺は何度も首を縦に振った。
 お話終わり? とばかりに朱嶺の背後に隠れていた少女が顔を出す。朱嶺の顔も整っているけれど、彼女も将来有望な美少女だ。

「えっと、ぼっこちゃんって名前だっけ」

 ぼっこちゃん。昔読んだSF小説がそんなタイトルだった気がする。確か意味は。

「童?」

 なんて古風なキラキラネームだろう。少女は暁治のそばに近寄ると、服の裾をくいくいと引いた。
 指差す先は、桃の花飾り。

「桃? もしかしてそれが名前?」

 こくこくと頷かれて、もう一度少女と桃の花を見比べる。

「じゃぁ、桃、って呼んでいいかな?」

 にっこりと、ピンクの唇が弧を描く。

「ぼっこちゃんが名前教えるって……」

「どうかしたのか?」

 小さな呟き声を聞きとがめると、朱嶺は首を振る。

「ううん、なんでもない。桃ちゃんね。そんじゃ桃ちゃん、隣の部屋に行こっか」

 自分の妹だってなら、なにを遠慮しているんだろうか。
 眉をひそめる暁治をよそに、朱嶺は少女の手を取って居間に続くふすまを開けた。台所の扉が開けっ放しになっていたようだ。途端冷気が身体にまとわりつく。
 ここのところ暖かな陽気だったのに、数日前からまた急に冷え込み始めた。寒の戻りというやつだろうか。これを超えれば春はもうすぐそこだ。

「そいや、そろそろ灯油が切れそうだったな。朱嶺、ちょっと納屋から持ってきてくれよ」

「え~、寒いからやだ」

 部屋に入るや否や、するりとこたつ布団の中に潜り込んだ朱嶺は、こたつと一体化してしまったようだ。断固として動かない、固い意志を感じる。暁治はその背中を踏みつけた。

「文句言うな、夜半になったらもっと冷え込むんだ。いつも真っ先にストーブの前に陣取ってるんだから、さっさと行ってこい」

「ちぇ~っ」

 足先でつんつんしてやると、朱嶺はしぶしぶ起き上がって台所へ向かった。背中を見送った後、そういや鍵がかかっていたことを思い出した。ダイヤル式の簡単なものだが、開けるには番号が必要だ。
 そこまで思ってさっきひな飾りを出したとき、普通に開けていたことを思い出す。どこまでこの家に詳しいんだあいつは。
 案の定、しばらくして灯油の入ったポリタンクを持った少年が戻って来た。

「うぅ~、寒い寒いっ。はるったらほんと、人使い荒いんだから」

「人聞きの悪い。働かざる者食うべからずだ。どうせ今日も食ってくんだろ」

「今日はあったかシチューがいいな」

 当たり前のようにリクエストが来る。

「残念ながら今日はカレーだ」

「わー、実はカレーが食べたかったんだ」

 手放しで喜ぶ朱嶺。たぶん焼き魚でも肉じゃがでも同じ返事をしそうだ。
 床に零さないように気をつけながら、ポンプの先をストーブの灯油口に入れる。赤いプラスチックのふくらみを何度か押していると、朱嶺が貸してと手を出してきた。

「ここを押して。で、そのまま上のとこをひねると、ね」

 灯油が吸い上げられて、勝手にストーブに注がれるのを見て、上手くできているものだと感心していたものの、止め方がわからず危うく溢れそうになった。
 火入れをしてしばらくすると、辺りがじんわりと温かくなってくる。

「あれ、桃ちゃんなにを持ってるの?」

 二人のやりとりを興味深そうに見ていた桃は、さっき朱嶺が灯油を取りに行っている間に台所から持ってきた袋を抱えていた。

「あぁ、かき餅だよ。せっかくだから焼こうと思って」

「わぁ、僕ピンクのやつね。砂糖入り」

「わかったわかった、桃もピンクか?」

 ストーブに網を載せると、白いかき餅と、砂糖入りピンクとよもぎの緑をわらわらと置いた。

「こら、いっぺんに載せると焼けないだろ」

 かき餅はしばらく炙るとぷっくりとふくれる。ふくらんだところがまた、美味いんだよなぁ。昔食べた素朴な味を思い出し、暁治は思わず喉を鳴らした。
 三人でストーブを囲む姿はキャンプファイヤーのようだ。大きな瞳を丸くして、眉間にしわを寄せつつかき餅を見ていた桃は、ついと目を上げると縁側を見た。

「あ、道理で寒いと思った」

 釣られて外に目をやった朱嶺が声を上げる。
 暁治が顔を向けると、縁側のガラス戸の向こうで、ちらちらと白いものが舞っていた。
 寒いと思ったら雪だ。

「もう三月だってのになぁ」

「だねぇ」

 白い着物を翻して、桃が縁側へと駆けていく。
 そろそろ焼けどきのかき餅を網からおろすと、二人して桃の隣に並んでガラス戸を挟んで外を眺めた。
 そろそろ辺りは夕暮れどきだろうか。東向きの部屋からは太陽は見えないけれど、ゆっくりと暗くなっていく庭の中で、白い蝶々のように雪が舞う。
 ぱりっと音がした。隣を向くと、皿を抱えた朱嶺がかき餅を食べている。

「え、だって夕飯までにお腹がすくし」

 悪びれない顔を見て、情緒もへったくれもないやつだと呆れつつ、まぁいいかと暁治は思った。

 後日、やたら大きな声の男から電話があった。大きな鳥でも飼っているのか、声に負けないくらい大きな羽音がしている。桃の父と名乗ったようなのだが、聞き返そうとしたら切れてしまった。

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