休息01
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 お互い意外と晴れ男なのかもしれない。開いたカーテンの向こうに見えた青空に、僕は目を細めた。昨日の天気予報では今日明日は雨で、かなり心配していたのだが、いまは雲一つない綺麗な空だ。
 前に出かけた時もこんなにいい天気だったなと、ふいに思い出して口元が緩む。朝、目が覚めてからなんだかずっとそわそわしている自分がいる。その理由には気づいているけど、気恥ずかしくていまはあまり考えないでおこうと思う。

「うーん、いい天気」

 欠伸と共にそう呟いて、僕は大きく伸びをしてから寝間着のTシャツとハーフパンツをベッドの上に放り投げる。
 着替えたその服装は、長袖のTシャツにデニム、トレーナー地のジップパーカーで、以前に出かけた時とあまり変わらないが、まあそこは気にしない。それによそ行きなおしゃれな服などほとんど持っていないし、今日の行き先ならばこんなもんだろう。

「それなりに歩くだろうしな」

 連休前に藤堂の予定に合わせてスケジュールを調整し、約束した通り二人で出かける計画は今日、無事決行されることになった。一応、藤堂が行きたいところという名目なのだが、正直言うと首を傾げる部分がある。

「なにか違う気がするんだよな」

 これから向かう場所を思い浮かべ僕は思わず小さく唸る。あの時、藤堂が選んだ場所はどう考えても、彼の口からなんの躊躇いもなく出るような場所には思えなかった。多分きっと嫌いではないだろうが、それでもやっぱり少し違う気がする。
 なぜならそこは僕自身が好きな場所だからだ。大体そのことを知っていなければ、藤堂の口から――動物園へ行こう、なんて言葉が出るはずがない。

「結局、僕の行きたいとこじゃないか」

 藤堂の行きたいところに行こうと言ったのに、ため息交じりに呟けば、図ったように携帯電話が鳴った。慌ててそれを開くと、メールを受信している。
 藤堂からいつも届く朝のメールだ。大して中身のない「おはよう」の挨拶だけだが、これには意味がある。

「もう電車に乗ったのか」

 普段、平日の朝にだけ来るこのメールは、藤堂が電車に乗った頃に送信される。なのでこれはいま電車に乗りましたという合図のようなものだ。彼の最寄り駅は僕の駅と同じ沿線で、あいだに七つ駅を挟む。なのでのんびりしていると、あっという間にこちらに着いてしまう。
 時計を確認し、少しだけスピードを上げて身支度すると、僕は目と鼻の先にある駅へと急いで向かった。

 

 休日の朝はさすがに静かだった。普段はたくさんの人が行き交う場所は閑散としていて、人波などまったくない。ひと気の少ないやけに広々とした駅前の広場を過ぎ、約束の五分前に改札口を通り抜ければ、ちょうど藤堂が階段を下りてきた。

「おはよう」

「おはようございます」

 軽く手を上げれば、爽やかな笑顔が返ってくる。朝に見る藤堂の微笑みは妙に眩しく感じる。こうキラキラとしたオーラが周りを取り巻いているような感じだ。

「なんか目が覚めるな」

 思わず口から出た言葉に、自分で笑ってしまう。しかしそのくらいに藤堂が眩しくて、気分が高揚していくのを感じる自分がいるのだから、仕方がない。

「なんですかそれ」

 そんな浮かれた僕に藤堂は不思議そうな顔で首を傾げるが、僕は苦笑いを浮かべて、その場を誤魔化すようのんびりと歩き始めた。朝から藤堂に見惚れてました、なんて恥ずかし過ぎてそんなことは絶対に言えない。

「さすがに空いてるな」

 目的地はこの駅で別の線に乗り換え、電車とバスを乗り継ぐ。日帰りだが片道二時間弱で、ちょっとした小旅行な気分だ。ホームに着きちょうど来た電車に乗ると、その中も駅前と同様にひと気は少ない。おそらく目的地が同じと思える家族連れや中高生くらいのグループなどをちらほら見かける程度だ。

「いまから行く場所は連休中なんでまったく混んでないとは言えませんけど、多分余所より広いのでいくらかマシですよ」

 ぼんやりと車内を眺めていた僕は藤堂の声に振り返る。すると隣に座っている藤堂がふっと目を細め、やんわりとした優しい微笑みを浮かべた。

「ふぅん、そうか」

 相槌を打ちながら僕はなぜかその姿をじっと見つめていた。しばらくそのままでいると、藤堂が不思議そうに小さく首を傾げる。
 相変わらずプライベートの藤堂には少し戸惑う。普段と一緒で決して派手ではない。着ているものも黒地のシャツとデニムにグレーのシンプルなデザインのジャケット。
 それはまったく華美ではないし、アクセサリー類はつけないほうなのかシンプルだ。戸惑う原因は髪型や眼鏡のせいだろうか。なんだかいつもと違う雰囲気で大人っぽいその姿にそわそわしてしまう。

「藤堂」

「なんですか?」

「ん、いや、なんでもない」

 数少ない乗客の多くが藤堂を振り返る――そんな視線を感じて、胸の内にモヤモヤしたものがくすぶってくる。でもこんな公衆の場で、こんないい男がいて、振り返るなというほうが無理な話だ。

「心が狭過ぎる」

 嫉妬――ふいに浮かんだその感情に僕は肩を落とした。いままではこんなこと感じたことがなかったから、余計にその感情に翻弄される自分がいる。

「どうしたの佐樹さん」

 微かな僕の呟きに訝しげな表情を浮かべた藤堂は、座席に置いていた僕の指先にさり気なく触れる。

「な、なんでもない」

 その感触に僕が思わず肩を跳ね上げれば、どこか含みのある藤堂の笑顔と共にそれは離れていった。一体どこまで藤堂に心の内を見透かされているんだろうかと思う。知っていてもらえる嬉しさと、独占欲の塊みたいな自分に気づかれる不安とが、ごちゃまぜになってどうしたらいいかわからなくなる。

「お前には、なんでも知られてそうで怖い」

 感情も言葉も、あれこれとすぐに先回りされて、言葉が足りなくとも藤堂は敏感に察しすくい取ってくれる。それがすごく嬉しいと思う反面、それに慣れてしまったら、普段でも足りてないと自覚のあるコミュニケーションや言葉が皆無になりそうで怖い。そして無意識に周りに向けてしまうドロドロとした感情に気づかれるのが怖い。

「意外と佐樹さんは顔に出てますよ。見ていてすごくわかりやすい」

「そうか……いままでは、なにを考えてるか全然わからないって言われることが多かったけどな」

 無関心過ぎるとか、無頓着で嫌だとか、もっとはっきりと気持ちを示して欲しいとも言われたことがある。でも僕はそんなつもりはなくて、僕なりに出来る限りのことはして来たつもりなのだけれど、なかなか伝わることが少なかった。しかし最近、誰かにも同じようなことを言われた気もする。

「わかりやすいのか?」

 思わず顔を両手で触って考え込んでしまった僕に、藤堂は小さく笑い微かな声で可愛いと呟く。

「可愛くない」

 その言葉に僕は間髪入れず言い返した。すぐにこうやって藤堂は、僕に対して可愛い可愛いと囁く。いつまで経っても慣れないその言葉を聞くたびに恥ずかしくて仕方がなくなる。

「そういや、今日の調べてたのか?」

 いまだ笑っている藤堂の脇を肘で小突きながら、僕は朝から疑問に思っていた行き先を問う。その言葉に頬を緩めて藤堂はにこりと微笑んだ。

「ええ、少し。以前にあずみから話は聞いていて、いつか機会があればと思ってたんです。でもこのあいだ一緒に出かけた時、人混みが駄目なんだなって気がついたので、ちょっと遠くなっちゃいました」

「……そうか」

 片道に二時間近くもかかる場所へわざわざ行くのは、やはり僕の人混み嫌いを察してのことだったのか。あんなに短い時間でそれに気づかれるなんて思いもよらなかった。

「お前が行きたいとこって言ったのに」

「俺は佐樹さんが楽しいならそれが一番嬉しいですよ」

「うーん、まあ藤堂が良ければ、それでいいけどな」

 なんのてらいもなく当然だと言わんばかりの顔をされると、甘やかされていることをしみじみ実感してしまう。これじゃあ、どっちが歳上かわからない。でも悔しいがこの気遣いと優しさには完敗だ。

「もしかしてそんなに好きじゃないですか?」

 反応の薄い僕に不安になったのか、ふいに藤堂の表情が曇った。

「いや、かなり好き」

 藤堂がしょげた気配を感じて、慌てて訂正すると、あからさまにほっとした表情を浮かべられてしまった。ただ確かにもちろん楽しみなのだが――心の中にほんの少し残る気持ちがある。

「藤堂の好きなものとか、場所とかってなんだ」

 なによりも今回は藤堂のことを知るのが第一の目的だったのだ。いつものように自分が主体では、その目的が果たされなくて困ってしまう。

「俺、ですか」

 なに気なく問えば、藤堂は難しい顔をして真剣に悩み出す。
 そういえば以前三島が、藤堂はあまり物事に興味がなかったと言っていたけれど、もしかしたらいまだにそうだったりするのだろうか。そうだとすると、いま無理に聞き出すのは止めておいたほうがいいかもしれない。

「思いつかなければいいぞ。なにか思いついた時に言ってくれれば」

 なんだか本気で悩んでいて少し可哀想になってくる。しかしあまり隙を見せない藤堂の、そんな不器用過ぎる一面が見られるのは楽しい。

「佐樹さんって時々意地の悪い顔をしますよね」

「そ、そうか?」

 いつの間にか緩んでいた頬に気づき、両手を頬に当てて引き締める。すると僕の顔を覗き込んでいた藤堂が口を尖らせ目を細めた。

「まあ、いいですけどね」

 乾いた笑い声を上げる僕に肩をすくめて、藤堂は小さなため息をついた。

「悪い、でも藤堂のちょっと不器用な感じが可愛くて好きなんだよな。お前って割となんでも完璧だし」

「……前にも言いましたけど、俺は全然完璧じゃないですからね」

「わかってるって、イメージだよイメージ」

 顔を片手で覆い俯いた藤堂の頭を撫でれば、再び小さなため息が吐き出された。

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