邂逅16
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 藤堂に手を引かれ歩く道は確かに人通りが少なく、すれ違うこともほとんどなかった。しかし時折通り過ぎる人に、慌てて手を離しそうになり、そのたびに藤堂の手でそれを握りしめられ阻まれる。
 手を引かれ駅前の表通りを歩いていたことを考えれば今更なのだが、あの時はかなり自分も必死だった。冷静になると羞恥が急に湧き起こる。いままでの経験を思い起こしても、誰かとこうして歩いたことがない。

「いままではあんまりベタベタされるのは、好きじゃなかったんだけどな。と言うか、逆にいまベタベタしてるのって僕だよな」

「ん? どうしたんですか」

 ブツブツと呟く僕の声に藤堂は首を傾げて振り返る。そんな彼の顔を見つめ、僕は思わずため息をついた。

「なんでもない」

 ゆるりと首を振った僕は繋がれた手を強く握り返す。落ち着いて周りを見れば、過ぎ行く人たちはさして僕らを気にする素振りはない。

「こういう道は、慌てるほうが逆に目立つんですよ」

 ふいに笑みを浮かべた藤堂は繋いだ手を引き寄せる。わずかに開いた隙間を奪われ、お互いの肩がぶつかった。

「……」

 しかしその気恥ずかしさよりも、ほかの誰かとこうして歩いたのかと思ってしまう自分に胸の内がものすごく複雑だ。

「なんでそんなに可愛い顔をしてるの、佐樹さん」

「は? なに言って」

 無意識に顔をしかめていたことに気づき、慌てて藤堂を見上げれば至極楽しげな表情を浮かべた顔が目の前にあった。
 驚いて肩を跳ね上げると微かな笑い声が聞こえた。

「馬鹿にしてるのか」

「どうして? いま、俺は可愛いって言ったのに」

 ふて腐れた僕の言葉に不服そうな顔をして、藤堂は口を曲げる。拗ねた子供みたいなその仕草に、なぜか急にほっとした。

「僕は可愛くなんかないぞ」

「俺にとっては可愛いんです」

「……目が悪過ぎだ」

 満面の笑みを浮かべる藤堂に呆れた視線を向けながらも、つい緩みがちになってしまう頬を誤魔化すように僕は口を引き結んだ。
 やはりいまの藤堂が一番好きかもしれない。笑ったり怒ったり拗ねたり、そんな姿にたまらなく胸がぎゅっとなる。そしてそれを自分にだけ見せてくれているという、至福。

「佐樹さん?」

「これ、返す」

 ふいに黙った僕に怪訝そうな顔をする藤堂。そんな彼に僕は再び頬が緩まぬよう気をつけながら、空いた片方の手を差し出した。その手にあるのは先ほど勝手に取り、ポケットにしまい込んでいた藤堂の眼鏡だ。

「ああ」

「なくても不自由ないのか?」

 いまそれを思い出したかのように、藤堂は小さく呟き眼鏡を受け取る。以前も大して度数はないと言ってはいたが、夜道を歩き難くはないのだろうか。

「通り過ぎる人の顔ははっきり見えないですけど。歩くのには支障はないですよ。佐樹さんはちゃんと見えてますから、それで十分です」

「……またそうやってすぐ恥ずかしいこと言う」

 こちらがうろたえてしまうことをいとも容易く言ってしまう藤堂に、相変わらず弱い。顔が熱くてきっといま明るい場所へ出たら、羞恥で逃げたくなる。

「かけないのか」

「ないほうが少しは誤魔化し利くでしょう?」

 受け取った眼鏡を藤堂はそのまま制服のポケットにしまった。訝しげに首を傾げると肩をすくめて笑みを返される。

「あ、そうか」

 確かに先ほど僕がいじったせいで、髪型も少し変わってしまっている。さらに眼鏡もなくなると、パッと見ただけでは雰囲気が違ってわからないかもしれない。

「ついでにこっちも脱いでおきますか」

「え?」

 徐々に表通りの明るさが近づいてくるそれを見越したのか、立ち止まった藤堂の手がふいに離れ、おもむろに彼はブレザーを脱いだ。

「うちの制服、目立ちますからね。保険です」

「寒くないか」

 藤堂の言うように白のブレザーは普段でもよく目につく、夜道ならば尚更だ。しかし暖かくなって来てはいるが、夜はきっとワイシャツだけでは肌寒いに違いない。

「大丈夫ですよ」

「けど」

「平気です。佐樹さんの家もここから近いですし」

「え? もう? いま、何時だ」

 驚きをあらわにぽかんと口を開けてしまった僕に、藤堂は小さく笑いながら微笑んだ。のんびりとした歩調で歩いていた割に、一駅先がこんなに早いとは思わなかった。それとも早いと感じているだけなのだろうか。

「裏から来ると三十分くらいですかね」

「そう、か」

「どうしたんですか?」

 歯切れの悪い僕に藤堂は不思議そうな顔をしながら目を瞬かせる。

「もう少し」

「なに?」

「もう少しだけ傍にいてくれないか」

 結局、離れられないのは自分のほうだ。ぎゅっと手を握りしめ、藤堂の肩に額を擦り付けた。

「駄目だってわかっているのに、まだお前と一緒にいたい」

 もどかしい――こんなに愛おしいのに、僕らのあいだには制約が多過ぎて息が詰まりそうになる。阻まれるほどに手を伸ばしたくなってしまう。
 恋に恋している。そんな状況なのかもしれないが、そうだとしても僕の中に生まれる初めての感情に翻弄される。

「佐樹さん、ご飯はなにが食べたい? 明日の分も作り置きしましょうか」

「お前と一緒なら、なんでもいい」

 ゆっくりと歩き出した藤堂の背中が、ほんの少しぼやけた。極自然に寄り添ってくれるその優しさが、たまらなく胸に染みてくる。僕は自分がこんなにも我がままで、我慢が利かない人間なのだと初めて知った。いや、相手が藤堂だからなのかもしれないが、いままでして来た恋愛はなんだったのかと、自身を疑う。
 適当な気持ちで傍にいたつもりはない。けれどこんなに必死にはならなかった。

「運命ってあると思うか?」

「……それって、俺と佐樹さんのこと?」

 振り返り、ふっと笑った藤堂の表情に胸が締めつけられる。いつもの自分ならそんなものは信用しない。でもいまはそれもあるんじゃないかと思った。

「明日きんぴらが食べたい」

「ん、また渋いとこに来ますね。じゃあそれの材料も一緒に買って帰りましょう。どうせ佐樹さんちの冷蔵庫は空っぽでしょ」

「余計なお世話だ」

 目の前に現れた煌々とした光を放つ二十四時間のスーパーに向かい、二人でのんびりと歩く。自然と繋いだ手は離れてしまったが、不思議と物足りなさはなかった。

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