邂逅17
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 二人で買い物袋を携えて帰宅すると、藤堂は少し遠慮がちに部屋へと上がり、一瞬リビングの中に視線を走らせた。そんな様子に僕は首を傾げながらも、彼を促しキッチンへと足を向ける。

「とりあえず弁当以外は冷蔵庫に入れていいか」

「そうですね」

 晩飯はすぐに食べられるよう、スーパーの惣菜店で折に入った弁当を買った。けれどそれ以外にもきんぴらの材料や、牛乳や食パン、ハムに卵やヨーグルトなど、普段から出来合いの惣菜にお世話になっている僕には縁のないものが買い物袋に収められている。
 最近の僕の食生活は昼に藤堂が宣言通り弁当を持ってくるようになったので、以前と比べると格段によくなっていた。しかしそれ以外の朝と夜は相変わらずで、それを見越され先ほどの食材というわけだ。

「朝はあれでいいですけど、今度から昼のついでに夜も作りましょうか。あの準備室に小さい冷蔵庫ありましたよね」

 袋の中身を手早く片付けながら、藤堂は背後に立つ僕を振り返った。

「え? そこまでしてもらうのはさすがに気が引ける」

「いっそ毎日作りに来てもいいですけどね」

 うろたえた僕に藤堂はにやりと片頬を上げて笑う。それは二者択一と言われているようなもので、僕は小さく唸ってしまった。
 毎日一緒にいられる時間が増えるのは嬉しいが、忙しい藤堂に毎日来てもらうのは申し訳なさ過ぎていくらなんでもそれは選べない。

「昼のついでなら……でも毎日じゃなくていいぞ」

 けれどまた少し藤堂との接点が増え、距離が縮まるのだという浮ついた気持ちは抑えようがなかった。

「じゃあ来週から」

「……ん」

 しかしそれを見透かされたのか、あたふたとぎこちない動きでやかんを火にかけた僕に目を細め、藤堂は小さく肩を揺らして笑う。そしてその視線に僕が口を尖らせれば、冷蔵庫の扉を閉め立ち上がった藤堂の唇がその口先に触れた。

「可愛い」

「火、危ない」

 驚いている隙に身体を抱きしめられ肩が跳ねた。それを誤魔化すよう、ほんの少し身じろぎ藤堂を見上げると、再び柔らかな感触が過ぎる。

「もう、お前しつこい」

 一気に熱くなった顔を俯かせ、目の前の藤堂の身体を押し退ければ、至極楽しげな笑い声が響いた。

「お茶、入れるからあっちに行ってろ」

 いまだ笑っている藤堂をキッチンから追い出すと、思わずシンクの端に手をつき肩を落としてしまった。対面式のカウンターキッチンの向こうで、大人しくソファに座った藤堂は、まるで悪戯好きな子供のような顔をする。それは無邪気そうに見えるけれど実際は企みがたっぷりとありそうだ。
 ため息交じりに食器棚からカップと急須を取り出せば、それと同時に湯の沸いたやかんに呼ばれた。

「さっきからなにを見てるんだ」

 お茶の入ったカップと弁当の袋をテーブルに置きながら、僕は一人ぼんやりとリビングを眺めていた藤堂に首を捻る。その声にふっと我に返ったように藤堂が目を瞬かせ振り向いた。

「いえ、特に意味はないですけど」

「うちそんなに散らかってないぞ」

「そうですね。必要最低限って感じ」

 肩をすくめた藤堂の言う通り、基本的に家の中は必要最低限だ。主に使う寝室と広めのリビングダイニングのほかには、客間がひと部屋。どの部屋もそこそこ広さがあるので、面倒くさがりの自分はものがあれば間違いなく散らかる。しかしなければないでなんの不自由なく過ごせるのだ。

「……あ」

 なんとなくつられて部屋を見回し、僕は藤堂の視線の意味がわかったような気がした。家の中には僕のものだけで、もう彼女のものは一つもない。ものが残ると気持ちも残ってしまうので、ほとんどは随分前に片付けた。

「どうしたんですか?」

 声を発したまま動かなくなった僕に、藤堂は怪訝な顔をして首を傾げる。

「なんでもない。冷める前に食べよう」

 気づきはしたが、藤堂の前で彼女の話をするのはなんとなく嫌で、ゆるりと首を振り僕は藤堂の向かい側に腰を下ろした。

「佐樹さんってソファに役目を果たさせない、日本人体質ですね」

 ソファとテーブルのあいだに腰を下ろした僕を見た藤堂は、突然噴き出すように笑う。確かに普段からあまりソファに座ることは少ない。座ってもなんとなく落ち着かなくて、いつの間にか床に直接座っていることがほとんどだった。

「食べるのに高さが合わないだろ。お前もそんなこと言ってないでこっち座れ」

 こちらを見下ろしながらクスクスと笑う藤堂に眉をひそめ床を叩けば、のんびりとした動きで彼もまた床に腰を下ろし胡坐をかいた。

「藤堂って今時の子だから普段から椅子だろ?」

 横に座った藤堂へ視線を向けると、彼はほんの少し首を傾げて考える素振りをする。

「そうですね、あんまりこういうのはないです」

「ふぅん、うちはいい加減ソファを取っ払おうかと思ってるくらいなのに」

「佐樹さんコタツが似合いそう」

 そう言ってゆるりと笑みを浮かべる藤堂が、頬杖をつきながらこちらをじっと見る。しかしその表情の意味がわからず目を瞬かせると、ますます藤堂の笑みが深くなった。

「なんだ?」

「いえ、こんな風にのんびり佐樹さんと過ごすのは、初めてだなぁと思って」

「そうか?」

「そうですよ。学校でも二人っきりはよくあるけど、佐樹さんあんまり落ち着かないみたいだし」

「そうか」

 言われてみればそうかもしれない。学校にいる時は、二人きりでいるとどうしても周りを気にしてしまう。いくら準備室が本校舎から離れていて、人が来ることが少ないとはいえ、いつ何時やってくるかわからない。それに二人で出かけても、結局は人目があるのであまり気が抜けない。

「たまにこうやって家でのんびりするのも、悪くないな」

「そうですね」

 緩んだ頬は恐らく完全に藤堂に気取られているだろうが、毎日は無理でもたまにはこうした時間を作るのも悪くないとそう思った。藤堂が学校に通っているあいだは、一緒にいられる時間は長くても、お互い気を抜ける時間はわずかしかない。

「さて、さっさと食べるか」

「味わって食べてくださいよ。義務じゃないんですから」

 浮つく気分を誤魔化しながら弁当のふたを開けると、それを見ていた藤堂に思いきり顔をしかめられる。けれどその表情は素知らぬ顔で見なかったことにして、僕は割り箸を持ち弁当の前で手を合わせた。

「いただきます」

 ほんの少し弁当は冷めかけていたが、なぜかそれはいつもよりも美味しいと感じた。

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