波紋06
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 小さなメモにさして長くはない言葉が並ぶ。それを僕は鼻をすすりながら何度も何度も読み返した。連絡が取れない理由も言い訳もそこには書いていない。
 だだ、信じて待っていて欲しい――という想いだけ。けれど綺麗な文字で綴られたその想いや言葉で、膨れ上がっていた不安が嘘みたいに消えた。

「早く帰ってこいよ。ちゃんと謝りたいんだ。どんな状況でもお前を全部受けとめてみせるから」

 いまの僕に出来ることは藤堂を信じて待つことだけ、そう思うと少しだけ寂しい気持ちになるけれど、藤堂が信じて待っていて欲しいと言うならばいくらだって待つ。
 本当に助けて欲しいと思った時は、きっと藤堂から手を伸ばしてくれるはずだ。

「だから、どんなことがあっても待ってる」

 もし藤堂が傷ついて帰ってきたなら、それをすべて受けとめて抱きしめてあげたい。もしも助けて欲しいと手を伸ばしたなら、僕はその手を絶対に離さない。僕が帰る場所だと藤堂が言ってくれたあの時、この先なにがあっても藤堂のことを守るんだと、どんなことがあっても彼を裏切ったりしないんだと僕はそう心に誓った。
 いままで彼が与えられて来なかった家族の愛情も安らぎも、自分が傍にいて注いでいきたいと思う。時間はかかるかもしれないけど、少しずつ藤堂のくれる優しさと想いの恩返しをしていきたい。

「お前と出会わなかったら、僕はいまここにはいないんだ」

 これからも生きてと背中を押してくれたあの日から、言葉にはしきれない。いくら返しても返しきれないほどの想いが僕の胸にある。
 いつものように笑って、ただいまと帰ってくる。そんな藤堂の姿を思い浮かべれば、頭をもたげしおれていた気持ちも浮上して、まだまだ頑張れるような気がしてきた。

 

「ニッシー遅くなった! 散らかしたままでごめん……って、あれ?」

「遅いぞ、神楽坂」

 勢いよく開いた扉に視線を向ければ、きょとんとした表情で神楽坂が目を瞬かせていた。それを苦笑いで返すと、その後ろからひょこりともう一人が顔を出す。

「あれ? ニッシー片付けてくれちゃったの?」

「お前たちを待ってるあいだ、ずっと散らかった部屋にいるのは落ち着かないからな」

 拾って並べなおした進行表はまとめてホチキス留めをした。机の上に置いていたそれを取り、いまだあ然としている神楽坂の頭をそれで叩けば小さく首を傾げられた。

「あ、ちょっと元気になった?」

「ん?」

「いや、うん……なんでもない。元気ならいいんだ」

 そう言ってへらりと笑った神楽坂に思わず面食らってしまった。相変わらず勘が鋭いというか、人の感情に敏感でまいってしまう。
 それともやはり僕がわかりやすい顔をしているのだろうか。こんな調子でこの先、他人の目を誤魔化せるのかと不安になる。ましてや今日は嫌でも藤堂の母親と顔をあわせることになるというのに。

「なになに? なんの話」

「うるさいな、ナオには関係ない話」

「なにそのドヤ顔。ちょっとむかつくんですけど」

「ほら、まだまだやることあるんだから喧嘩するならあとにしろよ。さっさとしないとここ閉めるぞ」

 また口喧嘩を始めた神楽坂と野上の頭と額を丸めた進行表で叩くと、僕はゆっくりと機材室から足を踏み出した。廊下で立ち尽くしている二人に鍵を振って見せれば、神楽坂も野上も慌てて機材室に飛び込んでいった。そして廊下で待つこと五分、二人はその間も小さなことで言い合いをしながら、最後の機材を抱え出てきた。

「ほんと、お前たちはいつも賑やかだな」

「ちっがうって、ナオが悪いんだって」

「そーやってなんでも俺のせいにすんのやめてよ」

「はいはい、ほら急げよ」

 二人のやり取りをを見ていると、悩んで落ち込んでいる自分が馬鹿馬鹿しく思えてくる。微笑ましい二人の背中を急くように押して、僕は追い払うように手を振った。

「ニッシー」

「ん? なんだ、まだいたのか?」

 機材室の施錠をしていると、背を叩かれた。遠ざかっていった足音が聞こえたので、てっきりもういなくなっているものだと思っていたが。振り返った先には笑みを浮かべた神楽坂が立っていた。

「なんだ? まだなにか用があるのか」

「いや、そこにはないんだけどさ」

 忘れ物でもしたのかと思い、鍵を開けようとした僕に神楽坂は大きく首を振り小さく笑みを浮かべる。ほかになんの用があるのかと思わずまじまじと見返してしまった。

「あのさ、俺はちょっと人より細かいこと気にしやすいんだけど。ほかの人にはそうそうわかんないと思うんだよね。だから大丈夫だよ」

「え?」

「俺は絶対、誰にも言わないから」

 一瞬なにを言っているのか理解出来なかったけれど、まっすぐな神楽坂の目を見て気がついた。僕の不安を感じ取ったんだ。

「……ああ、ありがとう」

「それ言いたかっただけ」

 どこかほっとした僕に神楽坂はニィっと口角を上げて笑い、くるりと身を翻し走り去っていった。

「倖ちゃーんっ、なにやってんの? サボリなしだからね」

「うるさい、さぼってないしっ」

 バタバタと神楽坂が階段を駆け下りる音と、階下から呼ぶ野上の声が廊下に響いた。
 なんだかその声や些細な日常が眩しく思えた。彼らはなに気ない毎日の中でいつもまっすぐで、そんな姿を見ると時折はっとさせられる。自分が随分と昔に置き忘れてきたひたむきさと純粋さがそこにはある。

「なぁ藤堂、僕もこれからもっと頑張るよ。自分に負けたりしない。僕は大丈夫だから、無理だけはするな」

 小さく折りたたんだ紙を祈るよう握りしめて、僕は窓から望む青空を見上げた。

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