決別12
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 今日、何度目かわからないその表情に、僕は藤堂のあとで、という言葉を思い出した。

「藤堂、あとでって言ってた話を聞いてもいいか?」

 藤堂の顔色を窺いながら、そろりと四つん這いで近づいていったら、一瞬だけ藤堂がびくりと肩を跳ね上げた。その反応に目を瞬かせると、大きなため息と一緒に藤堂がうな垂れて頭を抑えた。

「やっぱり佐樹さんは、言葉や行動で示さないとわかってもらえないんですよね」

「うん?」

「俺、以前忠告したって言いましたよね。それは記憶にないですか」

 記憶に? なにか言われていたことがあっただろうか。いや、いつもなにかしら色々言われているような気もして、どれがそうなのか見当がつかない。考えるように首を捻っていると、ふっと息をついた藤堂に手招きされた。
 その手につられてすぐ傍まで近づき正座をしたら、藤堂はいつものように僕の髪を梳いて優しく撫でる。そしてその優しい指先がするりと流れて、耳をくすぐるように何度も撫でるものだから、思わず肩が跳ねてしまった。

 でもからかっているでも、悪戯をしている風でもない藤堂の表情に、逃げ出しそうになるのをなんとか堪えた。しかしいつまで経ってもその手は離れてくれず、次第に耳元に触れていた指先は頬の輪郭を辿って下へ下へと下りていく。その感触にぼんやりとした記憶が頭の隅をよぎる。けれど僕は思わずぎゅっと目をつむってしまった。

「佐樹さん、思い出した?」

 耳元に寄せられた唇から囁かれた言葉で、一気に熱が顔に集中した。でもそれがさらに目を開くタイミングを逃すことになる。
 首元に触れた手が浴衣の襟元から中へと滑り込む。目を閉じているせいで余計にはっきりとその感触が伝わって、異常なくらい鼓動が早くなってくる。さらに首筋に唇が触れれば、心臓が止まるかと思った。

「と、藤堂」

 指先や唇で触れられる感触に、気がおかしくなりそうなくらい頭がぐるぐるとしてきた。首筋を伝っていた藤堂の唇が僕の口元に触れる。思わず反射的に応えるよう開いた僕の唇から藤堂の舌が滑り込み、僕のものを絡め取る。
 何度も繰り返される口づけに息が上がり、目の前の藤堂にしがみつきかけたその時、浴衣の裾を割り滑り込んだ手に素足を触れられた。胸元を触れられるよりもやけに生々しいその感触に、僕はすぐさま我に返った。

 驚いて目を開けるとばちりと藤堂と目が合う。いつもとは違う情欲を感じさせるその視線に、身体がとっさに逃げてしまった。弾かれるように後ろへ下がった僕を、藤堂は無理に追いかけるようなことはせず、じっとこちらを見ている。そしてまっすぐ過ぎるその視線に耐えられなくなった僕は、逃げ出した。

「風呂行ってくる」

「内風呂に入るんじゃなかったの」

「大浴場のほうに行ってくる」

 背後で微かに藤堂のため息が聞こえたけれど、タオル一式を抱えて僕は慌ただしく部屋から飛び出してしまった。ゆっくりと閉まった扉。廊下に立ち尽くした僕はその扉に背を預けて、ずるずると沈み込むようにしゃがんでしまう。まだ頬や身体が熱い。
 以前、実家に泊まりに来た時にそういうことも意識するようにと言われた。その時は驚いた僕を見て、藤堂はすぐに手を引いてくれた。でもさっきのはこの前のとは違った気がする。
 あのまま僕が逃げ出さなかったら?

「ヤバイ、ヤバイ、心臓がうるさ過ぎる」

 僕がなにも考えずにあまりにも無防備に近づくから、だからあんなに藤堂は難しい顔をしていたのか。ずっと我慢していてくれたってことだよな。やはり僕がこうやって逃げ出すのがわかっていたからだろうか。逃げ出してから後悔しても遅いけど、好きな人に逃げられたり拒絶されたりするのってかなり傷つく。

「どうしよう」

 前回の反応がアレだったのだから、僕が逃げ出すことは想定していたかもしれないけれど、多分きっと藤堂は傷ついたはずだ。だからと言っていまここで部屋に戻っていくのは絶対に無理だ。どんな顔して戻っていいのかさっぱりわからない。というよりも思いつかないし、いまは全然考えられない。って言うか、男同士ってどうするんだ?
 触るだけ? そんなもん? 一体なにをどうしたらいいのかわからなさ過ぎる。

「いやいや、未知との遭遇過ぎる」

 触られるだけでもあんなにドキドキして恥ずかしいのに、あれ以上なにをどうしたらいいんだ。藤堂の手や唇、微かに聞こえた息遣いを思い出して、顔がゆで上げられたみたいに熱くなる。

 キスをする時は、時々性急だったりしてふわふわすることもあるけれど。いつもはすぐはぐらかしたりして、曖昧に笑ったりして、そんな素振りなんてあんまり見せないのに。あんな顔は反則だ。色気とかが半端なかった。
 もう絶対、女の子とかだったらコロっといっちゃったりするんだろうな。いや、男の人でもちょっと危ないか。というよりそっちが危ないって片平にも言われたっけ。

「ああ、もう、無理っ」

 顔を覆い俯いた僕は、これ以上ここにいてもぐるぐるして、先ほどのことを思い出してしまうばかりだと判断し、大人しく大浴場へと足を向けた。

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