決別24
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 ボロボロとこぼれ落ちる涙は、両手で拭っても拭っても止まらなくて。藤堂の右手を強く掴んだら、やんわりと握った手を解いて肩を抱き寄せてくれた。あやすように優しく髪を撫でてくれる手にすり寄り、僕はいまだ止まらない涙をこぼした。

「さっちゃんが、そんな風に泣くのは初めて見たわ。いっつも歯を食いしばって泣いてる顔なんて見せない子だったのにね。きっと優哉くんの傍が一番安心出来るのね」

 そういえば藤堂以外の人前でこんな風に泣くのは初めてだ。僕は意地っ張りだから、昔から弱さを見せるのが苦手だった。けれどそれを母が気にかけてくれていたのは知っている。いつかため込んだものがあふれて壊れてしまわないかと、心配をしてくれていた。

 藤堂と一緒にいるようになって僕はどんどん変わっているような気がする。いままでの自分が塗り替えられて、知らなかった自分に驚いてしまう。自分という人間を改めて知って、少しずつ成長しているのだろうか。
 そうだったらいい。藤堂といることがプラスになるほど、僕たちの結びつきは強くなる。一緒にいることが無意味ではないと思える。

「俺は、多分きっとあなたには、まだ本当の意味で心を許してもらえていないんじゃないかと思っています」

「……」

「正直言って、俺はまだ子供で、なんの力もないです。幸せにしてみせますとか、守りますとか容易くは言えない。それでも、なにもなくても、この人の手を離さないことだけは出来ると思っています。俺はこの人を大切にしたい。だからいつかあなたに認めてもらいたいです」

 藤堂はこうしてなに気ない声で言葉を紡いでいるのに、耳元で微かに感じる心臓の音はいつもより少し早くて。いつも見せる仮面の下で、どれ程の緊張をしているんだろうかと心配になってしまう。

「そうね、まだいまは受け入れることだけで精一杯かもしれないわ。でもおばさんね、優哉くんにならさっちゃんを任せてもいいって思えるの。それに優哉くんはただの子供なんかじゃないわ。確かに歳はそうね、世間一般的にはそうかもしれないけど。あなたの強さはちっぽけなものなんかじゃない。でもね、頑張り過ぎないで、おばさんには強がらなくていいのよ。お願いだからあなたらしくいてね」

 僕がいつも藤堂に伝えたいと思っている言葉を母は代弁してくれる。そして藤堂がすっと息を飲むのを感じた。少しでもいまの僕たちの気持ちが届いたならば、これ以上に嬉しいことはない。

 藤堂にはもっと人に愛されるということを知って欲しい。いつだって藤堂の周りには自分を必要として労わってくれる相手がいるんだということを、これからたくさん知って欲しい。
 藤堂が内側に抱えている弱さを見抜いてくれた母は、さすがに僕の自慢の母だと思う。どんな時でも強くて、厳しさもあるが、人を愛することを知っている人だ。

「ありがとうございます」

 そう言って頭を下げた藤堂が愛おしくて、腕を伸ばして思いきり頭を撫でてやった。髪がくしゃくしゃになるまで撫で回して、そうしたら自然とお互い笑いが込み上がってきた。やっといま心から安心が出来た気がする。

「さて、せっかく優哉くんもいるし、一緒にご飯食べて帰るでしょ?」

「あ、時間平気か?」

「はい、大丈夫です」

「よし、じゃあ、はりきっちゃう!」

 意気揚々と立ち上がった母は、腕まくりをしてキッチンへと向かった。満面の笑みを浮かべた母の顔はすっきりとしたものだったが、僕の顔はと言うとひどいものだ。ティッシュの箱を掴んで数枚抜くと、思いきりよく鼻をかんだ。その様子に藤堂は肩を震わせて笑っていた。
 久しぶりにこんなに泣いた気がする。でも涙と一緒にもやもやとしていたものが流れていった。泣くという行為は心の浄化効果があると言うけれど、それは本当かもしれない。

「あ、鼻水はつけてないけど、だいぶ濡らしたかも」

 またティッシュを数枚抜いて、藤堂の肩口をトントンと叩く。ほんの少しシャツが涙で濡れてしまった。しかし藤堂はそんな僕を見て優しく頭を撫でてくれる。

「このくらい大丈夫ですよ」

「んー、悪い」

「それよりも目が真っ赤ですよ」

 目尻と頬に残る涙を指先で拭われて、くすぐったさに肩をすくめたら、優しく微笑まれた。そして小さな声で――可愛い、と小さく呟き、藤堂はさらに笑みを深くする。ふい打ちで呟かれたその言葉に、僕は馬鹿みたいに顔を赤くした。そして思わず藤堂の肩を何度も両拳で叩いてしまう。けれどそんな自分の姿を客観視したら、さらに恥ずかしくなってきた。

 顔を赤くしながら、相手の肩を叩くと言うには優し過ぎる力で触れる自分。どんなバカップルだ。そう思ったら急に力が抜けて、藤堂の肩に手を置くと思いきりうな垂れてしまった。

「母さん、なにか手伝う」

 恥ずかしさから逃れたくてキッチンへ顔を向けたら、こちらを見ていた母に肩をすくめて笑われた。

「さっちゃんは全然役に立たないから、優哉くんを頂戴」

「それなんかやだ」

 あげたり貸したりという響きはなんとなく嫌で、ムッと不満げに口を引き結んだら、至極楽しげに笑い返されてしまった。その笑いの意味がわからず首を傾げたら、黙ってイチャイチャしていなさいと言われて、火がついたみたいに顔が熱くなる。
 思えばキッチンはオープンなわけだから、先ほどまでのやり取りはばっちりと見られていたというわけだ。ますます恥ずかしさが増して、クッションを頭に被ってソファにうずくまる。

 けれどそのクッションの上から何度も優しくなだめすかされた。その手の主をちらりと覗き見れば、にこりと綺麗な笑みを浮かべられてまた頬が熱くなる。恥ずかしさとその笑みに見とれて、もうどうしようもない気分になってきた。

「佐樹さん、ちゃんとわかってもらえてよかったですね」

「……うん」

 知られたことの発端や駅での鉢合わせなど、色々と偶発的なことばかりではあったが、少なからず理解を示してもらえたのは本当に嬉しいと思う。家族にこうして知っていて、認めていてくれる人がいるのは心強い。

 それが母ならばなおさらだ。でも、だからといって誰もがみんな理解を示してくれるわけではない。たまたま僕たちは周りに恵まれているだけで、普通ならこんなことはあまりありえないだろうと思う。
 もしかしたらいいことばかりではないかもしれないけれど、それでも藤堂と一緒に歩いていくと決めたから、いまに後悔などない。僕の心は迷わずに新たな一歩を踏み出した。

[決別/end]

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