疑惑33
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 公園の中は月明かりや外灯の明かりがあるものの薄暗さを感じた。そして思った以上に道がわかれ入り組んでいる。
 佐樹さんを連れ去ったと思われる人間たちがどんな相手なのかはわからないが、普通に考えてこういう場合はなるべく人が立ち入らないような暗がりを選ぶだろう。道を間違えないよう注意深く辺りに視線を向けながら奥へと足を進めていく。

 些細な物音も聞き逃さないようにと神経を研ぎ澄ませば、奥まった茂みから微かに声が聞こえたような気がした。それに気づいて足を速めると、少し先の草むらが葉擦れの音を立てて大きく動いたように見える。

 しばらく様子を見ていると、人影が草むらから飛び出した。少しよろめきながら道に飛び出してきたその人は、数歩足を踏み出しもつれるようにその場に崩れ落ちた。
 外灯に照らされた背中は身体を丸めるようにしてうずくまっている。そしてそのあとを追うようにゆっくりと草むらから出てきた三つの影がその背中を取り囲む。

 外灯に照らし出された三つの人影は二十代後半から四十代前半くらいの男たちだ。一番年若そうな金髪の男、それより幾分年がいっていそうな細身の男と一番年上だろう眼鏡をかけた黒髪の男。
 若い男は別にしても、残りの二人は見るからに醸し出す雰囲気が常人離れしていた。

「佐樹さん?」

 どうするべきか少し逡巡してしまったが、俺はゆっくりと足を進めた。うずくまる人の顔は暗くてよく見えなかったけれど、背格好から見ても佐樹さんである可能性が高い。
 脚を忍ばせて近寄ると、俺はうずくまる背中に足をかけた金髪の男の襟首を掴み、勢いよく引き倒した。背後への警戒がまったくなかった男は、勢いのまま一メートルほど後方で足をもつれさせ尻餅をつく。

「なんだお前」

 すぐに目の前の人を助け起こそうと思ったが、それより先に細身の男がこちらを振り返った。その男は眼光が鋭く、一般人には到底思えない人相をしていた。
 睨みつけるように目を細めた男はこちらに手を伸ばす。それを避けて後ろに下がると、背後で起き上がった金髪の男が俺の首に腕を回した。

 締め上げる勢いで力を強くする男の腕を掴むがさすがにビクともしない。ギリギリと締め上げられて、このままではさすがにまずいと思った。とっさに俺は足を上げて背後のすねを蹴りつける。
 そして緩んだ腕を振りほどき、今度は身体を捻って相手の脇腹に肘を思い切り叩き込んだ。うめき声を上げて金髪の男は後ずさる。

「あんまり舐めた真似するなよクソガキ」

 脇腹を抑えてしゃがみこんだ金髪の男から俺は数歩離れた。けれど目の前から近づいてくる細身の男は苛立たしげに舌打ちすると、再びこちらへと手を伸ばしてくる。その手から逃れるように身を引くが、うずくまっていた人が顔を上げたのに気がつき足を止めた。

「藤、堂?」

「佐樹さん!」

 ゆっくりと振り返ったその人は、ぼんやりとした視線でこちらを見る。顔を上げたのは間違いなく彼だった。ようやく見つけたその姿に少し緊張が緩んだ。
 しかし身体を起こした彼が外灯に照らされた瞬間、俺は息を飲む。頬が赤く腫れ、口の端が切れて血が滲んでいた。それに右腕の肘から手首にかけてスーツが赤黒く変色している。

 それがなんなのか、気づくと同時に身体が動いていた。けれど彼のもとに駆け出そうとした俺の身体は、目の前にいた男に容易く押し留められてしまう。身体をよじって手を振り払おうとするが、腕を掴まれた。

「放せ!」

「あんまり好き勝手してくれるなよガキが」
 
 今度はさすがに金髪男のように簡単にあしらえそうにない。手に込められた力の強さに思わず顔をしかめてしまう。しかしこのまま黙って見てはいられない。あの出血量を見る限り腕の傷はかなり深いはずだ。

「おい、それは息子だ。怪我をさせてもいいが、殺すなよ」

 腕を振りほどこうと暴れる俺に対し、苛立たしげな様子で細身の男は眉をひそめる。そしてそんな仲間に、いままで口を閉ざしていた眼鏡の男が初めて言葉を発した。その意味ありげな言葉を聞いて、俺は睨みつけるようにその男を見る。

 やはりこの三人は意図があって彼を拘束し暴行を加えたのか。俺を殺すなということは彼は殺しても構わないということなのだろう。
 腹立たしい――目の前にいる奴らもそれを指示した人間も、全員制裁を受ければいいと思う。けれど一番自分が憎らしいと思ってしまう。俺が彼を巻き込んだのだ。

 俺がもっと早く気づいていれば、なにか手立てを考えることができたかもしれない。こんなことが起こる前に、防ぐことだってできたかもしれない。
 今更こんなことを思ってもどうにもならないことはわかっているが、悔しくてもどかしくて目の前の男にひどく苛立ちを感じてしまう。

「ああ、どうりでどこかで見た顔だと思った。息子か」

「顔も見られてるんだし、面倒だから二人まとめて片付けてしまったほうがいいんじゃないっすか」

「確かに面倒だな」

 俺の顔を見ながら細身の男は口の端を歪め笑い、金髪の男は少し興奮したように言葉を吐き出す。
 そんな二人の仲間に目を細めた眼鏡の男は、おもむろに彼の腕を掴んで座り込んでいた身体を引き上げた。そして彼が痛みに顔をしかめるのもお構いなしに立ち上がらせると、両腕を後ろでまとめる。

「いい加減、お遊びも飽きたしな。そろそろ終わらせてしまいたかったところだ」

「そういうことだ、仁科。お前、あれを殺ってしまえ」

 肩をすくめて笑った男の表情と、耳元で聞こえた言葉にぞっとした。けれど俺を掴み上げている細身の男は、なにごともないような顔をして懐に手を差し入れると、折りたたみのナイフを取り出した。
 そして金髪の仁科と呼ばれた男の前に緩慢な動きでそれを放り投げる。仁科は目の前に落ちたそれをしばらく固まったように見つめていた。

「どうした、やらないのか?」

 眼鏡の男がどこかつまらなそうな声を出す。その声に仁科は肩を跳ね上げると、真っ青な顔をしながら飛びつくように折りたたみナイフを拾った。指先がゆっくりとナイフの刃を引き出す。刃渡り十センチほどのナイフが外灯の光に照らされ鈍く光る。

「やめろ!」

 仁科がナイフの柄を両手で握り締めたのを見て血の気が引いた。一歩、また一歩と仁科が足を踏み出すたびに心臓が早鐘を打つ。目の前の彼は青白い顔を俯かせぐったりとしている。
 あそこから自力で逃げ出すのは不可能だ。このまま手をこまねいて見てはいられない。けれど俺の腕を掴んだ手に力が込められる。

「佐樹さん!」

「と、うどう」

 しんと静まり返った空間に微かな声が響く。胸を鷲掴まれたような思いがする。なぜこんなことになってしまったのだろう。

 なぜ彼がこんな目に遭わなくてはいけないのだろう。俺が彼を好きでいることが、それが罪だというのか。俺がもっと早く手を放していればこんなことにはならなかったのだろうか。わからない、こんな理不尽なことわかりたくない。

 俺は傷つけるために彼を愛したわけじゃない。俺はあの人を――苦しくて喉がひどく熱くなった。けれど込み上がってくる感情を押し込めるように飲み込んだ。

「うわぁぁぁ!」

 仁科が奇声を上げて走り出す。俺は掴まれた腕を必死で振りほどくと、彼へと向かい手を伸ばした。

[疑惑/end]

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