01.浮かれたデート
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 八月某日、天気は晴れ。気温はまあまあ高いが、うだる暑さでもない。いままで夏は大して好きではなかったが、最近大事なイベントができたのでぐぐんとランキング上位に上りつめた。それを考えるだけで気分がウキウキと弾むぐらい、その効果は歴然だ。
 気がつけば鼻歌が混じるし、顔はニヤニヤと緩む。

「大悟くん、今日はご機嫌ね」

 浮かれた俺の様子に気がついた同僚の紀和ちゃんが、ふいに俺の顔をのぞき込んだ。チラリと視線を向けると大きな瞳を瞬かせて見つめてくる。その視線に手元の服をたたみ直しながら、俺はにんまりと笑った。

「明日休みだからな」

「そういえばずっと店長にお願いしてたよね。大悟くん休日休みなんてめったに取らないのに、日曜日になにかあるの?」

 さりげなく俺の隣に立った紀和ちゃんは、トルソーに着せた服をいじりながら話しかけてくる。かすかに音楽が流れる店内、客は数人いるが見慣れた常連客たちはゆっくり見て回りたいオーラを放っている。だからあえて声はかけずに様子を見て、呼ばれるのを待つ。
 しかしバックヤードに引っ込んでいる店長がいつ戻るともしれない。無駄話をしてるのが見つかれば、間違いなく咎められるのは必至。俺たちはひそひそと囁いた。

「明日は恋人の誕生日なんだ」

「え! 大悟くん恋人できたの? ってことは例のあの子と上手くいったの?」

 驚きに目を見開いた紀和ちゃんがこちらを振り向く。その視線に俺の顔はますますだらしなく緩んだ。そのにやけきった顔を見て答えがわかったのか、紀和ちゃんは俺を片肘で小突きながら「おめでとう」と笑った。
 紀和ちゃんはこの店に配属された時期も被っているし、カラッとした明るい性格がすごく気が合う。そしてなによりお互い普段隠し持っているものが似ていて、共感が湧いた。俺も紀和ちゃんも物心ついた頃からずっと同性しか好きになれない。それを知ってから、お互い色々と相談し合う仲になった。

「そっかぁ、やったじゃない! 楽しみだねぇ」

「おう」

「今度紹介してね。そのうち四人でご飯でもしようよ」

「そうだな」

 しばらくこそこそと二人で会話をして、店長が戻ってきたのを見てさっと離れて仕事に戻った。そのあとは閉店まで俺の機嫌は絶好調で、いつも厳しい店長も少し驚くくらい売り上げにも貢献した。いつもこうならいいのにとちょっと嫌みなことも言われたが、今日はそんなことはまったく気にならない。
 スキップでもしそうな勢いで仕事を終えた俺は、退勤記録をつけてそそくさと店を出た。そして待ち合わせの場所に向かうべく足早に駅へと向かう。

 今日は土曜日と言うこともあり街は混雑している。それでも不思議とそんな人波の中でも思う人はすぐに見つかった。俯いて携帯電話を見ている横顔、それを見つけ思わず俺は立ち止まって見惚れてしまう。さらりと風になびく黒髪、すっと通った鼻筋、長いまつげに凜とした黒い瞳。横顔だけ見てもその整った顔立ちがわかる。そしてモデルみたいに手足が長くて、背が高い。
 正直言うと俺とは正反対。背が小さくて童顔で、二十五にもなったのにいまだに高校生に間違われる。しかもヤンキーに絡まれることもあるくらい目つきがあまりよくない。金茶色の髪が余計にガラを悪く見せるのだろうか。付き合い始めて二ヶ月、こんな俺の告白をよく受け止めてくれたなと思ってしまうこともある。
 相変わらず彼の前を通り過ぎる女の子たちはその姿を振り返っていく。それを見ていると少し悔しさもにじむが、なんだか優越感に似た感情も湧いてくる。そこにいるいい男は自分のものなんだぞと、声にして言いたいくらいだ。まあ、そんなことは大きな声では言えないのだが。でもふいに顔を持ち上げた彼がこちらを向いた。

「大悟さん!」

 俺を目に留めた彼はぱっと花が咲いたような笑みを浮かべる。そして立ち止まっている俺に向かい駆け寄ってきた。それと同時に周りの女の子の視線が俺に集まる。けれど俺を見た彼女たちはみんな同じような顔をした。なんだ相手は友達か。そんな言葉を顔に書いて彼女たちは名残惜しげに彼の背中を見つめる。

「悪い、雪。待たせたか?」

「ちっとも待ってないよ。時間通り。仕事お疲れさま」

 にこりと微笑んだその顔に思わず頬が熱くなる。何度見てもいい男だ。爽やかな笑顔がまっすぐに自分に向けられているのを見て、ひどく気持ちが浮き立つ。それとともに頬が緩んで仕方がない。だがそれもどうしようもないことだろう。この男――久住雪近は、俺が四年も片想いした相手なのだ。ようやく手に入った恋人に浮かれずにはいられない。

「今日はどこに行くの?」

「あー、うん。俺がいつも言ってるBAR。マスターが雪を連れてこいってうるさくてな」

「ふぅん、そうなんだ。楽しみだな」

「でもそこは早めに切り上げてうちに行くぞ」

 興味深げな顔をする雪近に俺はあらかじめ釘を刺す。本当ならあんまり連れて行きたくない場所なのだ。けれど彼のことでも色々と相談に乗ってもらった恩がある手前、連れて行かないわけにもいかない。それに出し惜しみしてあとからさらに無理難題を言われてもたまらない。

「雪、なにを言われても適当に流しておけよ」

「わかった、気をつける」

 頷いた雪近はやんわり微笑んで隣にある俺の手を握った。彼はいつも人混みの中でも臆面なく触れてくる。それに最初は驚いたが、その手を俺は振りほどくこともできない。気恥ずかしさはあるけど、嬉しさのほうが勝るからだ。

「そういやなにか食べたか?」

「ううん、食べてない。大悟さんもまだだろうし、一緒に食べたかったからね」

「そっか、なにか食べてから行くか?」

「別にいいよ、早く行って早く二人きりになりたいし」

 顔を上げた俺に満面の笑みを浮かべて、雪近はさらりと俺を喜ばせるようなことを言う。出会った頃から思っていたけど、本当にとことん自分に正直でまったく飾ったところがない。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。いやなものはいや。
 だから一緒にいてすごく信用できる。誤魔化したり、嘘をついたりしないから、その言葉をまるごと飲み込めた。

「あ、雪。ここ」

「え? ここ? 看板出てないんだね」

「ああ、一見さんお断りの店だしな」

 足を踏み出す雪近を引き留めたのは、通りの道から少し奥まった場所にある店の前。木製の扉にはOPENのプレートのみ。雪近の言うとおり店の看板は一切出ていない。そこは会員制というわけではないが、人の紹介なしでは断られる店だ。

「へぇ、なんか大人な場所だね」

「いい時間だから、もしかしたら混んでるかも」

 扉の前に立ち、腕時計を確認したら二十二時になるところだった。休日は人もよく集まるので、今日もおそらく賑やかだろう。少し重たい扉を引けば、ざわめきを感じた。
 足を踏み入れた先は縦に長く伸び、奥行きがある。右手にカウンター、そこを通り過ぎた一番奥のほうには小さなテーブルが二つ。十席あるカウンターの六席は埋まり、奥のテーブルでは五人くらいの集まりが騒がしい。予想通りの人の入りだ。

「よお、大悟。待ってたぞ」

 人の多さに尻込みしかけた俺に、すぐさま気づいたのだろうマスターが声を上げた。その声にカウンターにいた客は皆一斉に振り向く。馴染みのある顔ぶれに引くに引けなくなった俺は、仕方なしに大きく扉を開いて足を進めた。

「混んでるな」

「土曜だからな。それより早く来い。席空けて待ってたんだぜ」

 カウンターの中でにやりと笑みを浮かべたのは辰巳、この店のマスター。もう四十を過ぎているが、明るい髪色と相まって見た目はそれより三つ四つは若い。広い肩幅にすらりとした背丈、いまも昔もよくモテるという噂だ。
 辰巳に勧められるままに一番奥のカウンターに俺は雪近と並んで座る。しかし目の前の視線は明らかに雪近にまっすぐと向けられていて、居心地が悪い気分になった。

「ちょっと、あんまり雪を見るな」

「いいじゃねぇか、減るもんじゃあるまいし」

「いや、なんか減る気がするから」

 ニヤニヤと悪い笑みを浮かべる辰巳は落ち着かない俺の様子に目を細める。その視線にはどうからかってやろうか、と言う思惑が感じられて俺は咎めるように目の前の顔を睨んだ。けれど辰巳はどこ吹く風で、俺の視線を受け流した。

「雪近くんだっけ? 俺は辰巳慎二。大悟とは八年くらいの付き合いだ。あんたの話はよく聞いてるよ」

「どうも、初めまして」

「噂に違わず男前だな。大悟は面食いだからな」

「辰巳、あんまり余計なこと言うなよ」

 小さく会釈した雪近の前に立ち、辰巳はやたらとにこやかに笑う。そのうさんくさい顔に俺の警戒はますます高まる。辰巳には言われては恥ずかしいことも色々知られているから、正直気が気じゃない。

「大悟はビールか? 雪近くんはなに飲む?」

「じゃあ、俺もビールでお願いします」

「あ、俺たちすぐ帰るからな」

「なんだよ、来たばっかりじゃねぇか」

 そわそわ落ち着かない俺を見ながら辰巳は肩をすくめて笑う。その笑みにふいと俺は視線をそらした。信用できない相手ではないが、からかわれるのが嫌なのだ。普段の俺は熱しやすくキレやすい。感情が子供みたいだと辰巳に笑われたことがある。それなのに俺は雪近の前では借りてきた猫のように大人しい。五つ年下の彼に大人ぶりたいのだと思う。

「大悟さんここにはよく来るの?」

「んー、そうだな。週一か、週二くらい? 休みの前の日はよく来るな。雪は普段飲みとかは?」

「ゼミの人たちとたまに。でもあんまり行かない」

「そうか。そういやお前は、俺といてもそんなに飲まないもんな」

 雪近は明日で二十一歳。去年、誕生日が過ぎた頃に初めて飲みに誘ったが、その時から一杯二杯飲む程度でそれほど好んでいる感じではなかった。俺が飲むのが好きだから付き合ってくれているのかな? と言う程度。

「うん、って言うか。俺は飲むより大悟さんと話をするほうが好きだな」

「あ、えっと、そっか。じゃあ、次は飲みとかより飯を誘うほうがいいな」

「ううん、場所はどこでもいい。大悟さんといられるなら」

 思わず見とれそうな笑みを浮かべられて、顔が紅潮するのがわかる。素直でまっすぐな感情が嬉しくて、引き結んだ口がムズムズと緩みそうになってしまう。雪近のこういうところ、ほんとに好きだ。いつだって俺が一つ伝えただけでその何倍も返してくれる。

「今度はもうちょっと落ち着いていられるところな」

「そうだね」

 俺の言葉に相づちを打つと、雪近は店の中に視線を移す。縦に伸びるカウンター席にはこちらを物珍しげに見つめる視線がいくつもある。ここに出入りしてからずっと、俺はちゃんとした恋人がいた例しがない。だから初めて連れてくるまともな相手にみんな興味津々なのだ。
 それでなくとも雪近は顔がいい。だから目を引くのは致し方ない。辰巳のようにからかってこようとしないだけマシだろう。でもふいに背後に気配を感じて、俺と雪近はほぼ同時に後ろを振り返った。

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