素顔
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 昔から人があまり好きになれなかった。人の輪の中で同じ空気を吸い込むことも苦痛に感じることがある。人の裏表を見ることが多くて、そのギスギスした感情に嫌気がさした。ヘドロのような醜悪さを人に感じるようになって、いつの間にか人に触れられることさえも嫌になった。

「写真って正直でしょ。そこにあるそのままを写し撮るわけ。そうすると、レンズ越しに見えなくて良いものまで見える気がして、うんざりする」

 どれだけ綺麗に着飾っていても、そこに腐敗した醜怪なものがあればちっとも綺麗になんか見えない。

「だから人間を撮るのが嫌いなの。ホントに綺麗な人間は、ほんのちょっとしかいないんだよね……まあ、本音はただ面倒くさいだけだけど」

 トーンの下がった自分の呟きで我に返り、俺は苦笑いを浮かべて短くなり過ぎた煙草を灰皿で捻り消した。しかし――。

「渉さんは綺麗っすよ」

 突然告白めいた声音でそう呟いた瀬名は、訝しげに眉をひそめた俺の髪を梳く。そしてそれを撫でるように滑り落ちた指先は、やんわりと髪先を掬い掴んだ。

「……いきなりなに?」

「渉さんの撮る写真がどれも綺麗なのは、やっぱり本人の内側が綺麗だからこそだなと思って。渉さんの場合は、外側もそれに負けないくらい綺麗なんすけど、そろそろ自覚しませんか」

 絡みつく瀬名の指先に肌がざわりとする。けれどそれを誤魔化すように薄く笑って、俺は瀬名の手を弾いた。

「なにを自覚しろって? そんなの人間みんな皮剥いだら一緒だよ。見た目で判断するような奴には興味ない」

 こちらをじっと見ている瀬名に目を細めれば、彼は眉をひそめてあからさまに不快な顔をした。

「誤解があると嫌なんで言っときますけど。俺が惚れたのは、見た目でとかじゃないっすよ」

「言ってることが色々と矛盾してる気がするんだけど」

 先程までの言葉とは裏腹な答えに、俺は呆れたように肩をすくめてみせる。すると彼は、自分を繕うことなくムッとした表情を浮かべた。
 真っ直ぐ過ぎるのも扱いに困るものだ。

「まあ、どっちでも良いけどさ。俺そういうの迷惑なんだよね」

「迷惑だって言われても、俺は好きなんですよ。どっちでも良いとか言わないでください」

 ため息交じりに呟いた俺の言葉に、瀬名の顔が更に険しくなった。

「あのね、なんで俺が逆ギレされなきゃなんないわけ、押し売りされる身にもなりなよ」

「確かに俺も渉さんのことは綺麗だとは思う。けど、本当にあんたの仕事に対する姿勢とか、一本気なところに惚れたんだ」

 素っ気なくあしらう俺の気持ちなど丸きり無視しながら、瀬名はしつこいくらいに食ってかかる。俺がどんなに嫌な顔をしても引く気などないようだ。

「ああ、もう。いい加減にしてくれないかな。一体君が俺のなにを知ってるって? あんまり適当なこと言わないでくれる」

 堂々巡りをして埒が明かないやり取りに苛立ちが募る。俺は顔を背けて、真剣な目をする瀬名の言葉を鼻で笑った。背後で言葉を詰まらせ小さく唸る声が聞こえる。

「もうこの話は」

「適当なんかじゃない!」

 そろそろこの話を切り上げてしまいたい。そう思った時、突然響き渡った物凄い怒声と勢いよくカウンターを叩くその音で、否応無しに目を見開き俺は振り返ってしまった。

「確かに全然妥協しないし、周りは振り回すし、やたら態度デカイし、最初はなんだこいつって思いましたよ。でも、あんたはちゃんとどこまで出来て出来ないのか、なにをすればうまく周りの人間が動けるのか考えてたし。文句は多いけど絶対に途中で放り投げたりしなかった。俺はあんたの背中を三年も見て、来て」

「……マスター、お会計」

 彼のことを今までは、落ち着いた雰囲気の爽やか好青年だと思っていた。が、どうやら俺の目は節穴だったようだ。
 これは意外と激情型だ。肩で息をする瀬名の口を片手で塞いで、俺は目の前で笑みを浮かべている初老の男に目配せした。

「はいはい」

 軽い調子でそう返事をする彼にほっと息を吐く。こんなことで数少ない落ち着ける店がなくなるのは困る。

「またおいで、彼と」

 笑ってそう言った店主に苦笑いを浮かべ、俺は後ろで立ち尽くす瀬名を無視して出口へと向かった。そして思ったよりも覚束ない足取りのまま扉を押し開ける。

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