純白の天使が舞い降りる
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 彼が降り立った瞬間、世界が一変した。
 空気が凜として、まるで天使の羽が舞い上がるような、錯覚さえ起こさせる。

 降り注ぐ光のすべてが、彼のためにあると言っても、決して間違いではないだろう。
 回り階段を下りてきた真澄に、幸司は目を奪われた。純白のドレスは、想像以上に彼を美しく見せる。

 真澄にあつらえたそれは、すらりとした脚を見せたくて、足首の見えるパンツスタイルになっている。
 けれどゴージャスさも欲しかったので、バックスタイルが、レースをふんだんに重ねた、ボリュームのあるドレス調。

 さらに中性的なイメージを持たせるため、胸元はふんわりとさせず、ラインのわかるぴったりとしたデザイン。
 ウェディンググローブは、繊細なレースを使っている。

 長い髪もアップにして、メイクは赤を基調に、いつもより顔立ちがはっきりとわかるものにしてもらった。

 七センチのピンヒールを難なく履きこなす、彼が一階に降り立った。それだけで言葉が失われる。
 しばらく惚けたように見つめていると、幸司は両サイドから脇を小突かれた。

「幸司、なんか言え」

「ほら、一言」

「えっ? あっ、え? あの、……真澄さんっ、き、綺麗です!」

 月並みな言葉しか言えず、カッと幸司は頬が熱くなる。もっとほかに気の利いた言葉はないのか。
 しかし気持ちが舞い上がりすぎて、なにもいい言葉が浮かばなかった。

「ありがと。これ、こうちゃんが考えてくれたんだって?」

「う、うん。芽依さんがちゃんとしたデザインに、してくれたんだけど」

 やんわりと目を細めた真澄の表情は、いつもの雰囲気とは違い、丁寧に削り出した彫刻のような、完成された美があった。
 神様が美しさのあまり、そこに息を吹き込んだ――のではないかと思わせる。

 おかげで幸司の胸の音は鳴り止まなく、ドキドキとした鼓動が、耳元で鳴り響いていた。

「いいよね、このドレス。一回きりじゃもったいない」

「そう、だよね」

 頷いてみせるものの、ドレスの裾を持ち上げる、些細な仕草にも心音が速まってしまい、有効利用法などさっぱり思いつかない。
 けれど横から富岡が、あれは? あれにしたら? と耳打ちしてくる。

「な、なに?」

「せっかくだから結婚式をしたらいいじゃん」

「けっ、こん、しき?」

「写真を撮ってもらうだけでもさ。実際に式を挙げなくても、メモリアルで残す人が多いって、親父が言ってた」

「そっか、富くんちは写真屋さんだったね」

 とはいえ今回の撮影で、幸司は貯金をかなり崩してしまった。自分の衣装も借りて撮影となると、またお金がかかりそうだ。
 だが一生に一度の記念と考えれば、値段の問題など大したことではない。

「うん、真澄さんが、嫌じゃなかったら」

「嫌とか言うと思ってるの? 心外だなぁ。やっぱり指輪、買いにいかないと」

「うーん、さすがにそこまでは」

「大丈夫大丈夫、任せておいて」

「わ、わかった」

「じゃあ、今日終わったらデートしよう」

 ご機嫌な様子で笑った彼は、子供みたいに無邪気な顔をする。先ほどまでとは違う幼い表情が可愛くて、幸司は胸の想いを膨らませた。
 出会ってからもう随分と経ったが、いまもまだ新しい一面を見せてくれる。

 真澄のことはまだ知らないことばかりだ。
 もっと色々なことが知りたい。すべてとは言わなくとも、彼のことならばなにもかも、自分の中に詰め込みたくなる。

 初めて芽生えた欲張りな感情に、幸司は少しばかりむず痒くなった。

 静かな中に微かな衣擦れの音と、シャッター音が響く。
 レンズの向こうは息を飲むほど幻想的だった。鮮やかな三原色の花が舞う中で、それさえも霞ませる美しさがある。

 花をこぼす指先、長いまつげが落とす影さえも、心を惹き寄せられた。まるでファインダーのその先が、現実ではないような気にさせられる。

 純白の中に滲む色香に、感嘆の息を吐いてしまいそうだった。
 こんなに艶やかで麗しい人を、幸司はほかに見たことがない。

 可憐さの中に、時折男性的な鋭さも魅せてくる。眼差しと仕草、それだけで翻弄された。シャッターを切るのを忘れそうになったのは、一度や二度ではない。

 しかし最後の最後まで、息を抜けなかった。

「お疲れさま」

 芽依に声をかけられて、ようやく時間が過ぎたことを知る。初めて真澄を撮った時と、まったく同じ感覚だ。

 いまこの瞬間まで、真澄の存在しか認知していなかった。空気が揺れて、友人たちの息をつく声で、現実を思い出す。

「すごい緊迫感だったな」

「幸司、どんな感じになった?」

「えっ、ああ、うん」

 原田と富岡に肩を叩かれ、幸司は慌ててノートパソコンを鞄から取り出した。そしてSDカードをリーダーに差し込み、撮ったばかりの画像を表示させる。

「おお、すげぇ」

「確かに、これはすごいな。いままでの幸司の写真とまったく違う。だけどそれがいい」

 光と影のコントラストにビビッドな色彩。それは当初の目論み通りの仕上がりだ。しかしその中にある純白が、なによりも鮮烈だ。

 いつも優しい画だね、と言われることが多かった。いままでの幸司の作品とは、ひと味もふた味も違う。
 インパクトが強い、人の心を掴みに行く、魅せる画だ。

「俺の作品じゃないみたいだ」

「おいおい、自分が撮ったんだろ」

「でも、ちょっとこれは神がかってるよな」

「う、うん」

 自分でも頷いてしまうくらい、それは幸司の心さえ鷲掴む。
 そっと画面に指を伸ばして、彼の輪郭を辿った。ここに映し出された真澄は、幻のように思える。

「こう、ちゃんっ」

「わっ」

「どんな感じ?」

 いきなり後ろから抱きつかれて、身体が跳ね上がる。肩に顎を乗せて、覗き込んでくる真澄に、幸司は頬を赤くした。
 ドキドキとする、胸の音が伝わってしまうのではないか。そう思うほどに胸が高鳴った。

「こうちゃんって、人を撮るのが苦手って言ってたけど。被写体を生かすのが上手いよね」

「そうかな?」

「うん。前の写真も好評だったよ。あ、これ一冊にまとめていい? ブックレットにしたい」

「俺も一冊欲しい」

「よし、次会う時にデータコピーしたのちょうだい」

「うん」

 ブックレット、幸司には考えの及ばない発想だった。どうせならお気に入りの一枚を、引き伸ばしてポスターにするのもいいかもしれない。
 日常写真を飾るのは気恥ずかしいが、この作品なら大きく貼り出したい気持ちになる。

「これ、部屋に飾ってもいい?」

「え? 写真を飾るの?」

「うん、駄目かな? 真澄さん、綺麗に撮れたから。毎日見たいって言うか」

「ふぅん、そういうものなんだ。……いいよ」

「ほんと? 良かった」

 もじもじとする幸司に、少しだけ不思議そうな顔をしたが、真澄はすぐに笑みを浮かべた。
 その笑みが移ってニコニコとすれば、わざとらしい咳払いが聞こえる。

「二人の世界だね」

「俺たちの存在、忘れてる」

「くそ、俺も恋人欲しい!」

 三人の言葉に、幸司と真澄は顔を見合わせて笑う。
 一番モテそうな富岡が一人あぶれているのが、またおかしい。思わずからかうと、来年は絶対に彼女を作ると息巻いた。

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