06.親愛なるあなたへ

 遊園地の中でも観覧車は人気スポットで鉄板とも言える。郊外と言うこともあり周りは高い建物があまりなく、見晴らしの良さは容易に想像できた。人気を裏付けるように人が並ぶ列もかなり長い。
 しかし看板に待ち時間は二十分と書かれていたが、一周十五分程度のそれは意外とスムーズに人が流れていく。混雑しているわりに流れが速いのは家族連れが多いからか、賑やかな笑い声が響いていた。

「夕方とかならもっと綺麗だったかもしれないね」

「んー、でもいいよ。それでも楽しみだから」

「そう? それならいいんだけど」

 男二人だけで観覧車、そのシチュエーションは周りの組み合わせから見るとひどく目を引く。標準以上な見た目の二人だからこそ余計だ。けれど光喜自身はもう完全に人の目を気にしておらず、小津はそれよりも隣の恋人の機嫌が気になるようだ。
 大人しく順番待ちをする横でどこか落ち着かない様子を見せる。並ぶ列は人の距離が近いので繋いだ手は離れていた。それが余計に心許なさを感じさせるのだろうか。

「もう小津さん、気にしないで。早く帰りたいのはさ」

「なに?」

「あー、なんて言うかさ。早く天辺に上りたいよね!」

「う、うん?」

 突然もうこれで最後にしようなんて言う光喜の気持ちは、まだ伝わっていない。けれどその鈍さも彼らしさなので別段気にはしてはいなかった。いま伝わらなくてもきっと彼なら気づくだろうと唇を緩ませる。
 大きなゴンドラが目の前に止まり、案内されるままに乗り込めば――空の散歩をお楽しみくださいと言うキャストの声とともに、扉が閉まった。そしてゆっくりゆっくりと上へと上って、地上の景色が少しずつ遠ざかる。

「光喜くん、ごめんね」

「え? なにが?」

「さ、さっき怒っちゃって」

「えー、全然気にしてないよ。ごめんね、俺のほうこそちょっとはしゃぎ過ぎちゃって。今日はすごく楽しかったよ」

「そっか、それならいいんだ。光喜くんが楽しいなら」

 少し困ったように笑うのは癖なのだろうか。目の前にいる恋人は眉尻を下げて情けない表情を浮かべる。しかし意地が悪いかもしれないけれど、そんな彼の顔が光喜は好きだった。人間らしい気弱さは人となりの良さを感じさせる。
 けれどいまは居心地が悪い気分でいるのは目に見えてわかった。視線がなかなか合わずに外ばかりを見ている。困り果てる彼は可愛いが、自分を映さない眼差しに寂しくなってしまう。

「ねぇ、小津さん」

「えっ、な、なに?」

「そっちに行ってもいい?」

「え? こっち?」

 問いかけた言葉にあからさまにあたふたとし始めるが、光喜は返事を待たずにそそくさと小津のいるほうへ移動した。そして小さな尻で隙間に割り入るようにして隣に収まれば、驚きに目を瞬かせて見つめ返される。
 その顔に吹き出すように笑ってしまうけれど、なにも言わずに光喜は隣の肩にもたれかかった。そして身体中の息を吐き出すみたいに長く息をつく。

「ど、どうしたの?」

「うん、やっと二人っきりだぁって思ったらほっとして、嬉しくなっちゃった。こんな場所じゃないと誰もいないところないでしょ」

「そっか、観覧車……うん。僕も嬉しいよ」

「忙しいのに、今日はありがとう。イベントのたびに振り回してごめんね」

「光喜くんのためなら、全然平気だよ」

 そっと伸ばされた手に手の平を優しく握られて、伝わった熱が胸にまで灯るような心地になる。しかしずっと傍にいたい――そんなことを思うと少しだけ胸が軋んで痛みを覚えた。
 重たくはないと言われたけれど、自分の重たさを一番に感じているのは光喜自身だった。一緒にいる時間が増えるほどに、胸にある想いが大きく重たく膨らんでいくのを感じる。

「あのさ」

「あの」

「え? なに?」

「光喜くんこそ」

「俺は、なんでもない。小津さん、なに?」

「ああ、いや、その……いまがタイミングなのか、正直わからないんだけど。実はいま住んでいる地区の制度が、春から始まるんだ」

「制度?」

 先ほどよりもそわそわとして、落ち着かなく空いた手で膝をこする彼は光喜の訝しげな視線にますます挙動不審になる。けれどじっと見つめ続ければ大きな深呼吸を二回して、拳を握りしめてから振り返った。するとまっすぐな二つの瞳に閉じ込められる。
 なにを伝えようとしているのかはわからない。それでも震える唇から紡ぎ出されようとする言葉に光喜は息を飲んだ。

「パートナーシップ証明制度って知ってる?」

「……パートナーシップ? 証明?」

「えっと申請をすると、地区で、同性同士のカップルに、結婚と同等であるって言う証明書を、くれるんだ。……あ、これは、一緒に暮らす来年以降を考えていて、その、もちろん光喜くんの気持ちを最優先で、ご両親の了承も得てからで、……ああっ、やっぱりタイミングは、いまじゃ」

 おぼつかないくらいの声と言葉で、一生懸命に紡ぐ、それを最後まで聞く前に光喜は飛びつくように抱きついていた。二つ分の重さが偏りがくんとゴンドラが揺れるけれど、それでもひたすらに大きな背中にしがみついた。
 そしてしばらくしんとした空気がその場に広がっていたが、たどたどしい手が身体に回されてぎゅっときつく抱きしめ返される。

「光喜くん」

「小津さんっ、俺と、……俺と結婚してください! ずっと一緒にいてください!」

「えっ、……もう、それは僕が言おうと思ってたのに。……うん、もちろん、喜んで。だから、泣かないで」

 背中を抱きしめる手が震えて、言葉を継ごうとする喉が震える。こぼれ出したものは止まらなくなり、小津の肩口を濡らした。あやすように背を叩かれると、堰を切ったように想いが溢れ出す。

「好き、好きだよ。小津さんが好き、一生一緒にいてよ! 小津さんがいない毎日なんて嫌だよ!」

「うん、僕もだよ。じゃあ、僕は来年、みんなに笑ってもらえるように頑張らなきゃ」

「俺は小津さんがいれば、それだけでいいよ」

「駄目だよ。ちゃんとみんなに祝福してもらいたいでしょ? 僕は君が後ろめたい気持ちになるようなことはしたくないから」

「でもっ、いいよって、言ってもらえなかったらどうしよう」

「頑張るから。頷いてもらえるように精一杯、頑張るから」

「じゃあ、……俺も、頑張る」

 頑なな母親が頷く可能性はこの先、何パーセントあるのだろうかと、そう思うだけで胸が苦しくなる。それでもすり寄るように頬を寄せられて優しさが染み込んできた。
 その可能性をどれほど高められるかは、自分と彼、二人の努力と、根気と想い次第だ。そう思えば萎れそうな気持ちは奮起する。きつくしがみついていた背を離して、ゆっくりと光喜は顔を持ち上げた。

「俺、頑張るね。小津さんといたいから、見ないふりはしない。ちゃんと向き合うよ」

「うん、だったら一緒に頑張ろう」

「……うん」

 小さく頷くとそっと頬を撫でられて、優しい気配が近づく。まぶたを閉じればやんわりと温かなぬくもりが唇に触れた。それだけで痛かった胸が和らぐような不思議な感覚がする。
 口元が自然にほころんで、笑みを浮かべた光喜に彼もまた嬉しそうに微笑む。離れた隙間をもう一度埋めて、再び唇を合わせればひどく胸が軽くなった。

「あ、天辺だよ」

「うん、でも俺がしたいことはもうしちゃった」

「え? なに?」

「二人っきりでキス、したかったの」

「あっ、えっと、そっか。……うん、しちゃったね。でも、もう一回しとこうか」

 小さく笑った光喜に、照れくさそうにはにかんだ小津は口先に小さなキスをくれる。それがやけにくすぐったくて、声を上げて笑えば、小さな空間に笑い声が重なった。

「そうだ! 記念に写真撮ろう! ちょっと泣き顔でブスだけど」

「光喜くんはどんな顔でも格好いいし、可愛いよ」

「小津さんはやっぱりいい男だね!」

 片手を伸ばして四角い画面に笑顔を収める。少しばかり目元が赤くなったその顔は、あんまりイケていない。それでも隣で笑う恋人が輝かんばかりの笑顔を見せるから、自然とそれが移って笑顔が弾けた。
 どんな時でも一番に愛してくれる、温かい想いがなによりも愛おしい。親愛なる森のクマさん――どうか繋いだ二人の想いを見失わないでいて。

マイラブ・ベア/end

05.マジック・アイテム

 人混みの中で人目を気にせずに手を繋ぐなんてことは、これまでなかった。ふいに手を伸ばして、驚かれてから自分のしようとした過ちに気づく、なんてことはよくある。それなのに優しく手を握られて、いまの光喜の気分は最高潮だ。
 ちょっとくらいマイナスなことが起きても気にならない自信がある。いまは驚きの目も、好奇心の目も大した問題ではない。しかし中には二人を興味深そうに楽しげに見る視線もあった。

「見てみて、あの二人、手、繋いでる。可愛い」

「仲良しだね」

 通りすがりに聞こえた声に光喜が振り向くと、こちらを見ていた視線と目が合う。それとともに、きゃあきゃあと幼い少女のように騒ぎながら歩いて行く女の子たちは、実のところ初めてではなかった。

「どうしたの?」

「ううん、なんかさぁ。ある一定数、好きだよね、女の子って」

「え?」

「よくね、晴と一緒にいる時もきゃいきゃい騒ぐ子が多かったんだよ」

「二人とも格好いいからね。一緒にいると目立つよね」

「んー、まあ、見た目もあるけど、そういうことではないんだけどね」

 少しばかり言葉を濁した光喜に小津は不思議そうに首を傾げる。その顔を見る限りこういった視線にはとんと疎いように思えた。しかしいままで付き合っていた相手を考えれば、さほど異色に映らなかったのかもしれない。
 写真もぱっと見ただけでは普通の男女のカップルのように見えた。実物も、かなり少女めいていた。けれど光喜からしてみると、そういう疎い彼も可愛らしくていいと思う。

「小津さんは、小津さんのままでいてね」

「ん? どういう意味?」

「んふふ、なんでもなぁい」

「え? なに? すごく気になるんだけど」

 含み笑いをしながら腕に抱きつけば、慌てたように光喜の顔をのぞき込もうとする。それから逃れるようにしがみついた腕で顔を隠せば、情けない声で名前を呼ばれた。しかしその反応が楽しくて可愛くて愛おしくて、悪戯めいた気持ちしか浮かんでこない。
 さらに笑って勢いよく駆け出したら、珍しいくらいの大きな声で名前を叫ばれた。待ってと追いすがる彼を早く早くと急き立てれば、そのうち観念したのか膝をついてうな垂れてしまった。

「小津さーん?」

「や、やっぱり、やっぱり光喜くん、鉄砲玉だよ」

「酷いなぁ、飛び出しっぱなしじゃないから! ほらほら、ちゃんと戻ってきたでしょ? ちょっと走っただけで息が上がっちゃうなんて、運動不足だよ。たまには俺とフットサルでもする?」

「運動不足は認めるけど。光喜くんと僕とじゃ運動量が違い過ぎるから遠慮する」

「じゃあ、近所の散歩から始めよっか」

 ぐったりとした恋人を励ますように肩を叩いて、光喜は腰のペットボトルホルダーに納まってたものを差し出す。それに手を伸ばした小津は大きく息を吐き出してから、中身をゴクゴクと喉に流し込んだ。

「小津さん、もしかして喉、渇いてた?」

「うん、みたい」

「お昼食べてから結構経ったもんね。もう一本買ってくる?」

「ううん、大丈夫。ごめんね、全部飲んじゃった」

「いいよいいよ」

「あっ、あの! すみません!」

「……はい?」

 ひとしきり笑ってしょんぼりする恋人をなだめていたら、ふいに二人は大きな声に呼びかけられた。そしてそれに律儀に振り返った小津は不思議そうな面持ちする。けれど光喜は少しばかり面倒くさそうな顔をした。
 しかしそこに立つ彼女たちはその表情に気づかないのか、そわそわとした様子を見せる。

「モデルの光喜くんですよね?」

「あの私、すっごいファンだったんです! 雑誌デビューの頃から」

 常々、所属していた事務所にはファンを大事にしなさいと言われてきた光喜だが、隣にいる小津がまったく目に入っていないような反応に苛立ちが募った。それとともに繋いでいた手には力が入って、逃げていこうとするのを感じて、さらにムッとする。
 絡んでいた指が解けて離れる、その瞬間、それを追いかけて光喜は思いきりそれを繋ぎ合わた。

「ごめん、いまデート中だから、そういうのは遠慮してくれる?」

「えっ!」

「え?」

 あっけらかんと、なんの躊躇いも見せずに言い放った光喜に、隣と目の前から驚きの声が上がる。横にいる小津はいまだに逃げ出そうと必死だけれど、隠しようもないほど顔が赤くなっていた。そんな顔で否定しても無駄だと、思わず肩をすくめずにはいられない。
 さらになにか言いたげに唇をわななかせているが、あっさりと関係を口にした光喜には悪びれた様子は欠片もなかった。それどころか繋いだ手を引き寄せて、自分の左手も相手に見せつけるようにする。

「み、光喜くん!」

「ね、こういうことだから、そういうのはまた俺が一人の時にして」

「……あ、ああっ! ごめんなさい! お邪魔しました!」

「え? え? なに?」

 片方の子は深々と頭を下げたが、その隣に立つ子は理解が追いついていない顔をしている。それでも友人に片腕を引っ張られて、ぽかんとした表情のまま引きずられるようにして去って行く。そんな様子に光喜は満面の笑みでひらひらと手を振った。
 しかし真っ赤に染まる隣の彼は複雑そうな顔をして、ひどくそわそわと視線をさ迷わせている。その顔を見上げれば、さらに湯気でも出そうなほどに茹で上がった。

「これ、やっと効果を発したね!」

「こ、これは、魔法のアイテムとか、そう言うんじゃないよ!」

「んふっ、魔法のアイテムじゃん。お揃いの指輪!」

 繋いだ左手にある指輪と目の前にかざした左手の指輪。少し幅の広い平打ちのプラチナリングは去年、二人で選んで光喜の誕生日に小津が贈ってくれた。手彫りのデザインがおしゃれでいま一番のお気に入りだ。
 けれどこれまであまり見せびらかす機会がなかった。指輪を見た友人や同僚たちはいいね、と褒めてくれたが、お揃いであることを自慢できていない。

「ずっと自慢したかったんだよね。勝利なんてふぅん良かったな、ってそれだけだったし」

「冬悟は褒めてくれたよね?」

「んー、まあ、そうだけど。微笑ましく、父か兄のような眼差しだったもん」

「そう見え、なくもない、……けど。あれでいてちょっと羨ましそうだったよ」

「そうなの?」

「うん」

 思いがけない言葉に首を傾げれば小津はやんわりと笑う。それとともに気持ちが正直に浮き上がって、顔がだらしないくらいに緩む。照れたように光喜が頬を染めれば、捕まえていた手にぎゅっと握り返された。

「じゃあ、今日のことも目いっぱい自慢しよう!」

「光喜くんわりと意地悪だね。いま年度末で冬悟、忙しいのに」

「いいの! だってあの二人わりと無自覚に惚気すごいんだから。聞かされる身にもなってよ」

「それはちょっと言えてるかも。一緒に暮らせているって、やっぱりいいね」

「……うん、だよね。早く来年にならないかなぁ」

 あっという間な一年だったけれど、やはり先を考えると少し長い。しかし重たいため息を吐き出すと引き寄せられて、そっと頭を大きな手に撫でられた。その感触にうな垂れていた気持ちは簡単に上を向く。
 瞳を瞬かせて口の端を持ち上げて、にんまりと笑った光喜は背伸びをした。そんな突然の行動に対応できない小津は驚いて目を丸くする。それでも両手をぎゅっと握りしめて、そっと自分より少し上にある唇に口づけた。

「……み、つ、光喜くん!」

「あはっ、小津さん、真っ赤ぁ! かっわいい!」

「こ、こんな人のいる場所で、なにしてるの!」

「え? キス、したよ?」

「そんな可愛い顔したって駄目だよ!」

「えへ、可愛いんだ。やったぁ」

 ほんの少し怒った顔――けれどそれが見えたのは一瞬で、すぐにのぼせて赤く染まった彼は、しゅんしゅんとやかんみたいに湯気を噴き出しそうになった。それでも大人の威厳か、顔をしかめようとするから、光喜はおどけるようにちらりと舌を出す。
 そしてひらりと身をひるがえして軽い足取りで前へと進んでいく。その姿に小津は呆気に取られているが、しばらくすると慌てたように追いかけてきた。

「小津さん! 最後にあれに乗ろう!」

「観覧車? 最後って、もう、遊園地はいいの?」

「うん」

 並び立って歩く恋人は不安げな目をする。時間は昼を過ぎて数時間ほどで、夕方までもまだ間がある。もしかすると機嫌を損ねたと思っているのかもしれない。けれどその顔に満面の笑みを返して、離れた手を繋ぎ直した。
 そして光喜はまっすぐと大きな観覧車へと向かって足を踏み出した。

04.繋がっていたい

 遊園地に着くと、休日でありホワイトデーでもある今日は、家族連れやカップルで溢れていた。楽しげなその様子にわくわくすると光喜が目を輝かせれば、隣で小津は至極嬉しそうに笑う。
 そしてワンデーパスを購入して入場すると、ふいに彼は近くのショップを指さした。それに誘われるままに視線を動かして、再び光喜は瞳を輝かせる。

「あー、可愛い!」

「せっかくだから買おう」

「うん!」

 店先で小津が見つけたのはパスケース。首からぶら下げられるもので動物のデザインだった。もちろん光喜が目に留めたのはクマのパスケースだ。
 待っててと声をかけられてウキウキとしながら恋人を待つ。遊園地だけれど動物ものは子供受けがいいのだろう。店の中はぬいぐるみやアクセサリー、文房具と様々だった。ウサギやハムスター、犬や猫、どれもデザインがなかなか可愛い。

「んふっ、これとか勝利っぽい。こっちは鶴橋さんかな。このサイズ感いいな」

「ん? どれ?」

 ぬいぐるみの鼻先を突いて笑っていると、戻ってきた小津が背後から顔を覗かせる。それに気づいて光喜は二つのぬいぐるみを手に取った。

「ほら、このちょっと目つき悪そうなリスが勝利で、シュッとした紳士顔なキリンが鶴橋さん。で、身長差も絶妙だよね」

 片手に収まりそうなリスとすらりとした背の高いキリン。色合いもオレンジに近い明るい毛色のリスは勝ち気な勝利らしく、優しいグレーを基調としたモノトーンなキリンが鶴橋らしい。

「ああ、確かに似てる」

「色々いるけど、この子たちはすんごくハマる気がする。なくなる前に買っとこうかな。今度会う時に渡そう」

「じゃあ、その二人にはしばらくロッカーにいてもらおうか」

「だね。あ、小津さんはパスケース、どんな子にしたの?」

「ああ、僕はこれだよ」

 手渡されたケースを受け取ると何気なく光喜は隣を覗く。するとそれに気づいた小津がケースの表を見せてくれた。彼の好みならきっと可愛い小動物だろうと思っていたけれど、予想に反してたてがみの立派なライオンだった。

「ふぅん、ちょっと意外」

「そう? これは僕の光喜くんのイメージかな」

「えっ! 俺? ライオン?」

「うん、ネコ科らしい気ままさも持ち合わせていて、それでいてキリッとして格好いい。たてがみまで美しい百獣の王って感じだよね」

 どこか得意気に語る恋人を見ていると頬がじわじわと熱くなってくる。いままで光喜は周りに猫のようだねと言われたことはあったが、ここまで自信ありげにたとえられたのは初めてだ。
 それも恥ずかしげもなく平然と。熱くなる耳を触って誤魔化しながら、そわそわとすれば小津はやんわりと微笑んだ。

「へ、へぇ、そ、そうなんだ。なんか、照れるね。……んっ、あれ? 待って、ということはバレてる? 俺の、小津さんのイメージ」

「確かにまんまだよね」

「わぁっ! 勝手にイメージを固めてごめんっ」

「気にしてないよ」

 軽く笑う小津だが、申し訳なさといたたまれなさで光喜はパスケースを顔に引き寄せた。しかし小さなそれでは隠れることもできず、ちらりと視線を上げればブレずにまっすぐと目と目が合う。
 けれど幸いなことに彼は嫌な顔は見せていない。それどころかひどく優しい眼差しをしていた。

「決してからかうような気持ちじゃないからね」

「もちろん、わかってるよ。さっき入園する時に、小さな子にクマさんみたいねって言われたんだけど、よく学生時代に先生に言われてたなって、思い出した」

「小津さんはね、優しい森のクマさんだから」

「落とし物を拾って追いかけてくるやつ?」

「そうそう、すごく優しいの」

「そういう発想ができる光喜くんっていいよね」

「あ、いま、子供みたいって思ったでしょ! 俺、嬉しかったんだから」

 声を上げて笑う恋人に怒ってみせるけれど、心の中はたくさんの想いが混ざり合って少し涙ぐみそうになる。
 あの日、あの時、追いかけてきてくれたから、いまこうして光喜は笑っていられる。傍で笑ってくれたから、どん底に落ちて泣き声を上げずに済んだ。

「光喜くん?」

「よーし! 勝利と鶴橋さんを預けたらどこから回ろっか」

 じっと見つめれば心配げな顔をする。その優しさに光喜は精一杯の笑みを返した。
 伝えたい言葉はたくさんある。光喜の胸の中にはありがとうもごめんねも数え切れないほど詰まっていた。それでもこれから先、彼に伝える言葉は感謝の気持ちと、大好きと愛してるだけにしようと思った。
 繋いだ手から熱が伝わるように心には彼の愛が伝わる。それだけあれば十分だ。

「ねぇ、小津さん小津さん、こっち見て」

「え?」

「まずは記念の一枚」

 驚いて振り向いた顔と花開いたみたいな笑顔。対照的な表情がシャッター音とともにカメラに収められた。悪戯を成功させたような顔をする光喜に、小津は眉尻を下げて不満げな表情を浮かべる。

「もう! 光喜くんはどんな角度から見ても格好いいけど、僕はあんまり写真写り、良くないから」

「えー、これはこれで可愛いよ。んー、じゃあ、もう一回。いくよー!」

「えっ?」

「はい、チーズ!」

 ふやけた顔で画面に映る自分たちに、ますますふやけて、溶けてしまいそうな柔らかい笑顔になる。幸せが詰め込まれたその一枚に、二人は顔を見合わせて笑った。
 さらに道行くたびにカメラを向けられて、もう無理と笑いながら逃げる恋人を追いかける。それもまた光喜の笑みを誘う。

「光喜くん、写真撮り過ぎだよ!」

「まだまだ! アルバム一冊は作っちゃうもんね! ほら、小津さんのアルバムはなんか、よそ行き感があったし、ちょっとくらい弾けてもいいでしょ?」

「はあ、なんだか光喜くんが傍にいると、たくさん笑えて健康的だなって思う」

「なに、そのおじいちゃん思考! しみじみし過ぎだよ」

「光喜くんは笑い過ぎだよ」

 大笑いする光喜に困ったように笑う、そんな少し情けない顔が可愛い。呆れたような表情も、拗ねた顔も、あのアルバムの中にはなかった。自分だけの恋人を知ると胸がドキドキとして、目に見える景色がキラキラと輝く。

「俺といると、きっと長生きできるよ。……だから、なるべく長く一緒にいてね」

「……うん、君とずっと、一緒に歩いて行きたいよ」

 これから先の保証などなに一つないけれど、深く頷いた小津の表情に光喜は目を細めた。なにかを固く誓うようなまっすぐな瞳。それだけで結んだ赤い糸が永遠に解けないような気持ちになる。

「次はなにがいい? もう一回コースターもいいけど。……あっ、カートがあるんだよね? 俺と勝負する?」

「光喜くんって免許は持ってるんだっけ?」

「持ってる! 運転めちゃくちゃ上手いよ!」

「最近は?」

「んー、乗ってないかな?」

「信憑性、薄いね」

「えーっ、路上運転してなくてもイケるイケる。だってカートはハンドル捌きとアクセル加減だよ!」

 ひどく心配そうな顔をする恋人に勢いよく体当たりをしたら「ほら、衝突事故」と笑われる。けれどからかうような言葉にわざとらしく頬を膨らませて、さらに光喜は大きな身体に何度もぶつかった。
 しまいに腕に抱きついて肩口に額をこすりつけて、甘えたその仕草に小津は柔らかな目をした。愛おしいと言われているかのような眼差し、優しい目を向けられるだけで胸の中にあるものがほころんで温かい気持ちになれる。

「んふふ、じゃあ、次行こー!」

「うん」

「……小津さん?」

「ん?」

「えっ、あ、……手、いいの?」

 足を踏み出した光喜の手に大きくて優しい感触。驚いて振り向けば小さく首を傾げられて、頬が熱くなる。恐る恐る指先に力を込めたら、そっと握り返された。
 じっと見つめる光喜の視線に、小さく笑った小津は握った手をそのままに歩き出す。慌てて追いかけて顔をのぞき込むと、至極楽しげな笑みを浮かべていた。

「光喜くん、どこかに飛んで行っちゃいそうだから」

「なにそれ、ひどーい」

「ちゃんと繋ぎ止めておかなきゃね」

「……う、うん」

 人の目が時折振り返る。物珍しげに、驚いたように。そのたびに我に返るような気分になるけれど、本当はもっとずっと繋がっていたいと思っていた。
 過去に彼が愛したあの人たちのように、自分の見た目がもう少し可愛げがあったらと、そう思いもする。それでも隣にいる人はいつでも、光喜の気持ちをきゅっと愛を込めて抱きしめてくれた。

「小津さん、大好き。……愛してるよ」

「えっ」

 ぽっと顔を赤く染める純情な恋人の手をぎゅっと握り、恥ずかしさが移ったふやけた顔を誤魔化すように光喜は勢い任せに走り出した。

03.小さな日常

 いつも二人だけの夜はベッドにもつれ込んで睦み合うのが常だが、その日ばかりは大人しく布団に潜り込み、翌日の楽しみを語りながら眠りに落ちた。小津が隣にいると光喜はぐっすりと眠れるのだが、今日は特によく眠れた気がする。
 目が覚めた時には頭がすっきりとして、大きく伸びをすれば身体が軽くなった。しばらく隣で眠っている恋人の寝顔を眺めて、幸せに浸っているうちに目覚まし時計が鳴る。

「……あ、おはよう。起きてたの?」

「うん、ちょっと前に。おはよー」

 少しばかり重たげなまぶたを持ち上げた小津は、瞬きをしてから気配に気づいたのか視線を動かす。その眼差しに口の端を上げて、光喜はゆっくりと近づいてついばむようにキスをした。すると一気に目が覚めたのか彼は目をまん丸くして見開く。
 そしてそんな表情に光喜が吹き出すように笑えば、頬を染めて照れくさそうな笑みを浮かべた。

「見て! 天気がいいよ! 絶好のデート日和だね!」

 ベッドから抜け出した光喜が遮光カーテンを開くと柔らかな陽射しが射し込んでくる。窓の外を見上げれば澄んだ青空。昨日見た天気予報でも一日暖かく晴れ間が広がると言っていた。
 ご機嫌な様子で恋人を振り向けば、小津はやんわりと笑ってベッドを下りると傍までやってくる。そして後ろから光喜を抱きしめて小さな頭に頬を寄せてきた。

「くすぐったいよ。疲れは残ってない?」

「うん、大丈夫だよ。光喜くんと一緒に寝たから元気になった」

「えー、俺にそんな効能はないよ」

「あるよ。僕の元気の素は光喜くんだからね」

「そうなの? 俺の癒やしの素はね、小津さんだよ」

「それは素敵な相乗効果だね」

 顔を見合わせて二人で笑い合って自然と距離が近づく。その気配に瞳を閉じれば優しく口づけが落とされる。それはどこか甘くて心が満たされるぬくもりだ。やんわりと唇を食んで離れていった温かさに口元が緩む。
 そんな光喜の表情をのぞき見る小津はそっとアッシュブラウンの髪を撫でてくれる。撫で梳くその感触に目を細めれば、小さなリップ音を立てて額に口づけられた。

「さあ、ご飯を食べて出掛ける準備をしよう」

「うん!」

 自然と伸ばされた手が繋ぎ合わされて、並んでのんびりと階段を下りていく。そして香ばしいコーヒーの匂いが漂ったダイニングで、いつものように向かい合ってご飯を食べた。
 何気ないこの瞬間が幸せだと感じるのは光喜だけではないようで、目の前にある笑顔もひどく柔らかくて優しい。美味しいね――そんなことを言いながら笑い合うとこの上なく胸が温かくなる。

「わりと新しいところなんだね。俺、まだここ行ったことない」

「そうなの? それならちょうど良かった。結構アトラクションは充実しているみたいだよ」

「コースターが二つあるね。小津さんこういうの平気な人?」

「うん、どっちかって言うと好きだよ」

「良かった」

 取引先の営業が置いていったというパンフレットを眺めながら出発前になにを目指すかを考える。コースター好きの光喜としてはそれは絶対に外せない。乗り物系はそれ以外にもいくつか、お化け屋敷や体験型アトラクションもある。
 それほど大きくないと小津は言っていたが、半日は余裕で潰せそうだ。

「よーし! 目いっぱい遊ぶぞ!」

「楽しみだね」

「うん! じゃあ、そろそろ着替えていこう!」

 食器を手早く片付けると二人でそそくさと出掛ける準備をする。目的地までは電車で一時間半ほど。いまから出れば昼前には着くことができるだろう。
 準備ができると光喜は飛び出すようにアパートを出た。けれど子供みたいにはしゃいでいると、後ろからぎゅっと手を握られる。それに振り向けば、恋人は少し困った顔で笑みを浮かべた。

「今日は僕、光喜くんとはぐれないようにするのが使命かも」

「あっ、ごめん! つい勝利の時みたいな調子で」

「勝利くんと違って僕、おじさんだから、少しだけペースを落としてもらえたら助かるかなぁ」

「ごめんごめん! 二人でゆっくりしよう! ちょっと浮かれちゃった。小津さんと一日デートなんて最近なかなかできてなかったし」

「うん」

 隣に並び立つと小津はやんわりと笑う。その笑みに頬を緩めて光喜はぎゅっと腕に抱きついた。人通りの増える道まで少しのあいだ、いつもこうしてべったりとくっつくのが癖だ。
 しかし元より好きな相手に甘えるのが大好きな光喜だからこそだが、人の目を忘れてはならないので時と場所はわきまえている。小津に嫌な思いをさせたくない、それが一番の理由でもある。

「そういえば昨日ね、今年の花見はどうする? って勝利が言ってたよ」

「花見か、もうそんな時期なんだね」

「一年ってあっという間だね」

「ほんとだね。光喜くんに出会ってもう一年が過ぎただなんて、時間が早すぎてびっくりするな」

「でも俺はね、あと一年も早く過ぎないかなって思ってるんだよね」

「そうなの?」

「だって早く小津さんと一緒に暮らしたいし。……小津さんは?」

 首を傾げる恋人をちらりと見上げれば、頬が染まってじわじわと赤みが耳にまで広がっていく。そして慌てふためくようにそわそわと首に手をやったり下ろしたり。そんな反応に小さく笑うとますます顔は赤く染まっていった。

「う、うん。僕も早く光喜くんと、暮らしたい、です」

「なんでそこ敬語になっちゃうの? んふ、おかしいっ」

「ご、ごめん。なんかすごく大事なことのような気がして」

 肩を震わせて笑う光喜に小津は落ち着かない様子で目を泳がせた。それでもじっと見つめ続けていれば視線はまっすぐと見つめ返してくる。
 それは曇りも淀みもない正直者の瞳。初めて会った時から変わらない優しい色をしている。好き――その気持ちを隠すことなく伝えてくれる目が、光喜は愛おしくてたまらない。

「そっか、ありがと。小津さんはほんと優しくていい男だね」

「えっ? そうかな? 光喜くんのほうがよほど優しいと思うよ。懐が深いって言うか、心がまっすぐですごく綺麗だ」

「もう、なに? 急にそんなこと言われると照れちゃうよ」

「本当に、優柔不断ではっきりしない僕なんかを」

「こら、自分のことをなんかとか言わない! 小津さんはいつだって温かくて優しくて素敵な人だよ。だって俺が初めてほんとに好きになった人だからね」

「……あ、うん」

 驚いて見開かれた目、それにじわりと水の膜が張ってわずかに潤むのが見えた。慌てたように目をそらす小津の手を強く握って、光喜はそっと肩に頬を寄せる。

「もっと自信持っていいよ。小津さんは世界で一番いい男だからね」

「僕には、君が世界で一番いい男に見えるよ」

「そっか、じゃあ、俺たちは相思相愛だね」

「うん、そうだね。……君に出会えて、本当に良かった」

 優しく触れる手が髪を梳く。愛おしい愛おしい、そんな想いがこもっていそうな優しい手。いつだって彼の手は温かくて胸が安らぐ。
 その想いの深さを感じるたびに、この人を幸せにするのは自分でありたいと思う。彼の手を離した過去の彼らが羨むほど二人で幸せになるのだと、光喜の野望は大きく膨らんでいく。だからこそこの人をたくさん笑顔にしてあげようとも思う。

「ほらほら、そんなしんみりしないでよ。これから大騒ぎしに行くんだから」

「わっ、光喜くんっ!」

 繋いだ手を思いきりよく引っ張って駆け出すと、足をもつれさせながらも追いかけてくる。そして最初は驚いた表情を浮かべていた顔は次第に笑みに変わり、笑い声が小さく響いた。

「いまからそんなにエンジン全開だと、僕は途中でバテちゃうよ」

「とりあえず駅までダーッシュ! 急いで急いで! 駅に着いたらジュース買ったげる」

「え? なに、その子供のお駄賃みたいな」

「りんごとみかん、どっちがいい? 俺はねぇ」

「僕はみかん」

「じゃあ、俺はりんごにする」

 どうでもいいようなくだらないこと。それなのに二人だとなんでも楽しく思えてくる。それがどれほど幸せなことなのか、傍にいるのが心地良いと思うほどにひどく実感した。
 笑い声が重なるたびに二人の時間が永遠であればいいと思ってしまう。贅沢な願いだろうか――そう思って振り向けば、愛おしい人はいつでも光喜に笑顔をくれた。

02.ある日、森で出会った

 笑っている顔、照れたような顔、困り顔――どんな些細な表情も愛おしさしかない。小津との恋は光喜にとって初めてのことばかりで、すべてが新鮮で色鮮やかに見える。一年が経とうとしているのにまだまだ彼が知りたいと思う。

 いままでの恋はあっという間にスイッチが切れてしまった。どんなに愛おしいと思っていても、その感情はパチンと音を立ててなくなる。
 しかもそのことに対してなんの疑問も持たずにいた。それなのにいまの光喜はしがみついてでも小津を手放したくないと思っている。

 男女の恋人同士なら結婚してくださいと言えるのにと、時折ため息をついてしまうくらいだ。同性同士というのは色々と制約が多い。いまだに母親は小津と付き合いに難色を示していた。
 これまで彼女に否定的な態度を取られたことがなかったので、正直言えば気持ち的にひどく堪える。しかしだからと言って気持ちも曲げるなんてできない。時間が解決すると父親になだめられたが、光喜の複雑な胸の内は相変わらずだった。

「小津さんまだ仕事してるのかな。メッセージ送って気が散ったら悪いか」

 勝利や鶴橋と食事を済ませて最寄り駅に着いた時には、二十二時を回っていた。けれど携帯電話を確認したが小津からの連絡はなく、家に向かうのも少し躊躇われてしまう。しかし会わないまま自分の家に帰るのも気が進まず、彼のアパートを目指すことにした。

「そうだ、このあいだ発売になったプリンが美味しかったんだよね。買っていってあげようかな」

 まっすぐと向かってもまだ仕事中なのは目に見えてわかる。小津が一段落していて光喜に連絡を寄こさないことは考えにくい。だから少しでも遠回りして時間を引き延ばそうと思った。けれど本音としてはいますぐにでも駆け出してしまいたいくらいだ。

「あ、こんばんはぁ」

「こないだ出たプリンある?」

「ありますあります」

 コンビニに足を踏み入れると、よく遭遇する店員に声をかけられた。おそらくこの時間帯のシフトなのだろう彼は人なつこくて、いつも光喜に声をかけてくる。ぴょこぴょこと歩く小さな背中についていけば、お目当てのプリンがちょうど二つあった。

「そういえばこれ、あの人の最近のお気に入りみたいですよ」

 プリンを二つ捕獲して満悦な顔をしている光喜に店員は棚から一つデザートを取り上げる。それに視線を移すと手の平より少し大きいくらいのホールケーキ。商品名を見ると焦がしキャラメルのプリンケーキとある。

「え! なにこれっ、こんなの出たの?」

「結構人気で、あんまり店頭に残っていること少ないんですけど」

「買う!」

「ありがとうございまーす」

 プリンとプリンケーキでプリンづくしだが、あの人はお菓子の中で一番これが好きだ。毎日食べてもいいかな、と言っていたのを聞いてから光喜のお土産の定番になってきた。有名店の高級プリンから町のケーキ屋さんのプリンまで、かなり貢いでいる。

「そういや最近、あの人は来ないですね」

「ああ、いま仕事が忙しいみたいだから」

「いつもありがとう、って優しく笑ってくれるのに癒やされてたのになぁ」

 ここは小津のアパートから五分程度なので彼は頻繁に利用している。この一年で光喜の利用頻度も随分と上がった。よく二人で買い物に来ることもあるのですっかり顔を覚えられている。
 本人たちにあまり自覚はないが、どちらもとても目立つと言われるのでそれゆえだ。

「ねぇ、あの人をもし動物にたとえるならなんだと思う?」

「えー? そうですね、やっぱりクマさんですかね。森のクマさん。落とし物を拾ってくれそうですよね」

 レジで会計をしてもらいながら問いかけると、悩む素振りは見せたが答えはわりと早かった。やはりあの人に対するイメージは世間一般から見ても変わらないようだ。
 落とし物を拾ってくれそう、その言葉に思わず光喜が吹き出すと、優しいですよねと目の前の彼も楽しげに笑った。

「ありがとうございましたぁ」

 ビニール袋を下げて光喜は気分が上がったまま足を外へと踏み出す。するとそれと同時か、コートのポケットで携帯電話が震えた。それに気づくと取り出して真っ先に通知を確認した。
 届いたメッセージは待ちわびた小津からのものだ。

 ――いまどこにいるの?
 ――近所のコンビニ。いまから行ってもいい?
 ――迎えに行くよ
 ――歩いて五分だよ
 ――もう夜も遅いし

 子供のおつかいでもないのにわざわざと光喜は笑うけれど、心配は本気だったようで、道の途中で進行方向から歩いてくる姿が見えた。手を振れば足早に歩み寄ってくる。
 本当に迎えに来てくれた恋人に、光喜はにんまりと笑みを浮かべて抱きついた。そんな行動に小津は驚いて肩を跳ね上げたが、そっと手を回して抱きしめ返してくれる。ようやく触れられたぬくもりにすり寄ると優しく頭を撫でられた。

「仕事は終わった?」

「うん、さっき終わったところだよ。まだ来てなかったから心配になっちゃって」

「あ、そうなんだ。邪魔しちゃ悪いかなって思って、ゆっくりめで行動してた。お疲れさま」

「ありがとう。光喜くんになにもないなら良かったよ」

 抱きしめた身体を離して顔を持ち上げればやんわりと笑う。この人が笑みを浮かべると癒やされると言うコンビニ店員の気持ちがよくわかる笑顔だ。優しいぬくもりですべてを包み込んでくれるような温かさがある。
 バイトでひどく疲れていても小津の顔を見るだけで大抵のことは乗り切れた。光喜にとっての彼はまるでサプリメントみたいな優しい効能がある。

「小津さん、ご飯は? なにか買ってきたら良かったかな」

「大丈夫だよ。あり合わせで食べられるから」

「そっか、あっ、あのね。プリンケーキを買ったよ。これ好きなんでしょ?」

「それ、売ってたんだね。結構売り切れが多いんだけど。そっちは新作だ」

「もう食べた?」

「ううん、まだ。最近忙しくてコンビニに寄れてなかったから」

「良かった」

 どちらのお土産も喜んでもらえて光喜は嬉しさのあまり満面の笑みを浮かべる。そして夜道なのをいいことにそっと隣にある手を握った。大きくて分厚くて温かい手。職人の手らしく指の先などが少し硬くなっていて、頑張り屋の手だ。
 抱きしめた時の安心感も好きだけれど、手を繋いでいる時に感じる体温が光喜は一番好きだった。すぐ傍にいることを実感して気持ちが浮き立つ。

「小津さん、これちょっと早いけどホワイトデーのお返し」

「え? わざわざ買ってくれたの? プリンで十分なのに」

 アパートについてソファでひと息ついた頃に光喜は小さな紙袋を差し出した。それに驚いた顔をして小津は袋の中身を覗く。そして恋人の視線に促されて中身を取り出した。

「可愛いね。このあいだくれたマグカップと合わせて使えそうだ」

 ステンレス製のティースプーンは柄尻の部分に小熊があしらわれている。シュガーポットは白い陶器製でつるりとした質感。蓋の取っ手の部分がお座りをしたクマになっている。
 どちらも主張するようなデザインではなくさりげなく普段使いできそうな範囲だ。

「これを買ったお店がもうどれも可愛くて目移りしちゃった」

「光喜くんって、クマが好きなの? そういえばキーホルダーもクマだったよね」

「えっ、ああ、うん。好き」

 なんの疑問も抱かずに問いかけられて光喜は少し言葉に詰まる。もしかしたらみんな、彼のことをクマのようだと思っていても本人には言わなかったのかもしれない。そう思うとはぐらかす言葉も見つからず、曖昧な笑いをしてしまう。
 どこをどう見ても温厚な優しいクマさんと言うイメージだが、見た目をなにかに称するとからかいを感じる場合もある。おそらく本人に似て周りの人たちは優しい人が多かったのだろう。

「せっかくだからコーヒーを淹れようか」

「俺、やるよ! 小津さんはそのあいだに晩ご飯を用意して」

「うん、じゃあ、お願い」

 ソファを立った小津のあとを追いかけて光喜もキッチンへと向かう。最近はインスタントコーヒーではなくミルで挽いたコーヒー豆で淹れるようになった。挽き立てのコーヒーは香りも味も良くて、二人で色々な豆を飲み比べしている。
 豆によってブラックで飲んだり、砂糖とミルクを入れてカフェオレにしてみたり。ゆっくりと過ごす二人の時間に欠かせないものになった。

「光喜くん、明日はどこか行きたいところはある?」

「んー、小津さん仕事明けですごく疲れてるでしょ? 家でゆっくりでもいいよ」

「大丈夫だよ。それに光喜くんと出掛けるの楽しみにしてたし」

「そっか、じゃあどこに行こう」

「これと言って決まってないなら遊園地に行こうか。このあいだ営業さんに割引券をもらったんだ。それほど大きなところじゃないけどジェットコースター系もあるって」

「いいね! すごく楽しそう!」

 思いがけない提案に光喜は気持ちを跳ね上げる。二人で遊びに行くのはいつぶりだっただろうかとわくわくとした気分になって、一気に明日が待ち遠しくなった。

01.あの人に贈りたいもの

 思いがけないサプライズから一ヶ月、お返しのホワイトデーが明日に迫った。いままで光喜は付き合ってきた彼女たちに色々なものを買ってあげてきたけれど、やはりここは自分で選んだものを、と考える。
 しかし先週誕生日だった彼にプレゼント――お揃いのマグカップを渡したばかりだ。こう立て続くと渡すものにひどく悩んでしまう。

「おーい、光喜。なにかいいの見つかったか?」

 じっと商品の陳列棚を眺めていると、後ろから声をかけられた。振り返れば見慣れた顔、幼馴染みの勝利が首を傾げて立っている。彼も彼氏にお返しを買うために出てきているのだが、先ほどから入り口の辺りをぶらぶらしているので、ここには目当てのものがなかったようだ。

「んー、ここはいいや。あんまり惹かれるものがない」

「そんなこと言って相当悩んでたぞ」

「可愛いと言えば可愛いんだけど、なんかイメージが湧かなくてさ」

 一緒にご飯を食べる時の食器でも買おうかと思っていた。入ったお店はわりとおしゃれなカントリー風で可愛いものが多い。けれどそうは思うもののそれほどピンと来なかった。

「じゃあ、次に行こうぜ」

「うん」

 二人で待ち合わせをして品選びを始めて、もう軽く一時間は過ぎている。男の買い物にしては随分と長いが、光喜も勝利もお互い妥協はしたくないタイプだった。

「勝利のほうは目星ついてるの?」

「んー、逆にあり過ぎて悩ましいな。冬悟さんって自分のものにわりと無頓着だから買ってあげたいものが多過ぎる。シャツもネクタイも似たり寄ったりだし、ライターなんておまけだし」

「ああ、使えればいいタイプね。それなのに適当に見えないところが鶴橋さんのすごいところだよねぇ」

 幼馴染みの恋人は相変わらず隙のない男前、に見える。それでも付き合って一年が過ぎて、かなり甘えて来るらしく可愛いと惚気てくる勝利が面倒くさい。
 それに肩をすくめてからふと光喜は首を傾げた。そういえば自分たちもそろそろ一年ではないかと。そう考えると三月は誕生日にホワイトデーに記念日と目白押しだ。

「一年の記念日ってなにかした?」

「ん? いや、なにも」

「えー? そうなの?」

「付き合った記念日とか、するか? 光喜がアニバーサリーを意識し過ぎなんだよ。ケーキを買うくらいでいいんじゃねぇの?」

「んー、まあ、あんまり気を使い過ぎても小津さんも余計に気を回しそうだしな」

 記念日は一緒にご飯を食べに行くくらいでいいだろうかと頭の中で色々な予定を立てる。相変わらず光喜自身も忙しいが小津も暇がない。今日も仕事の納期前らしく大詰めだと言っていた。
 それでも明日は身体を空けてくれる約束をしてくれて、夜に彼の家へ行くことになっている。けれどもしかしたら大仕事のあとで疲れているかもしれない。そう考えるとやはりすでに気を使われているのは間違いないだろう。

「俺って重たいかな?」

「え? 光喜が? そうでもないだろう」

「ほら、小津さんって優しいでしょ。わりと自分の都合を後回しにしても相手を優先するというか」

 初めてのデートの時、彼は仕事で忙しかったにもかかわらず暇を持て余している光喜に付き合ってくれた。当時の状況は詳しく聞いてはいないが、一度は断りを入れていたのに来てくれたことを考えれば、優しさの塊でしかない。

「まあ、そういうところあるけど、それだって誰でもってわけじゃないだろ。お前だからなんとかしようと思うんじゃねぇ? それにマジで無理だったら断るって」

「そっかぁ」

 普段からいいよいいよと彼が笑うからなんでも甘えてしまう自分に光喜は自覚があった。しかし忙しい毎日は充実しているし楽しい。けれどふと時間の合間で寂しくなる。
 こんなに寂しい思いをするのなら余裕ぶったふりはせずに、すぐにでもあの家に転がり込めば良かったとさえ思う。大学を卒業するまであと一年、それを想像すると随分と果てしないような気になった。

「光喜、これ」

「ん?」

 隣を歩いていた勝利がふいに立ち止まり、なにかに視線を向けている。それに振り向いて光喜が近づくと、にんまりと笑みを浮かべてショーウィンドウの先にあるものを指さした。
 何気ない気持ちで視線を移した光喜だったが、それを目に留めるや否や、ガラスに貼り付く勢いで近づいた。

「なにこれ、可愛いっ」

 小さなショーウィンドウの向こうにはテディベアを初めとしたクマの雑貨がたくさんあった。ティッシュカバー、ティースプーン、箸置き、ランチボックス、とにかくすべてがクマづくしだ。
 第一印象から彼のイメージがこれだったために、光喜の中でクマと言えばイコール小津に直結する。

「デザインが子供っぽくなくていいなぁ」

「行ってみようぜ」

「うん!」

 瞳を輝かせた光喜は足を踏み出した勝利につられるままにあとに続く。扉の向こうは思ったよりも飾り気のないシンプルな内装で、男二人でもそれほど浮くことがなかった。
 並ぶ商品は表で見たもの同様にデザインが少女趣味ではない。ターゲットはおそらく大人の女性なのだろう。

「ちょっと自分用にも欲しいかも」

「お前の部屋、最近クマにまみれてるよな」

「だって可愛いんだもん」

 少し呆れたような視線を向けられて光喜は頬を染める。言われるように近頃クマアイテムが部屋に増えた。インテリアが変わるほどあからさまに持ち込んではいないが、コースターやマグカップ、プレートなど、ちょっとしたところに紛れ込んでいる。
 独り寝が寂しくて買った大きなぬいぐるみの存在を知られたら、おそらく余計に呆れられるだろう。

「小津さんちもクマまみれにすんの?」

「いやぁ、さすがにそれはしないかなぁ。だって自分がクマみたいって思われてるの嫌かもしれないでしょ」

「そうか? 絶対に昔から言われてるって」

「うん、まあ、想像はつくね。昔から身体が大きかったし。でもクマはクマでもふわふわのぬいぐるみのクマかな。あっ、ウェディングベアみたいなの欲しい。んー、でも男の子同士はやっぱりないよね」

 並んだテディベアはタキシードにドレスのカップルバージョン。普通に考えてセットものであればこの組み合わせになる。夫婦茶碗や夫婦箸が男女のセットであるようにウェディングものは仕方がない。
 けれどテディベアを見つめている光喜の後ろでふいに勝利が店員に声をかけた。

「これって単体で売ってないんですか?」

「えっ? 勝利、いいよ。カップルが離れ離れになったら可哀想だよ」

「ちょっとくらい時間がかかってもいいだろ。一周年記念にすれば?」

 驚く光喜をよそに勝利はさっさと店員と話をつけてしまう。けれど取り寄せで良ければ好きなものを組み合わせていいと言われて胸が弾まずにはいられなかった。
 カタログを手渡されるとしばらく光喜は真剣な面持ちでそれを見つめる。そして店員に微笑ましそうに見つめられながら、身体の大きなこげ茶色の子とミルキーブラウンのテディベアを選んだ。

「で、ほかになに買ったんだ?」

「えっとね、小津さんに食器はやめてティースプーンとシュガーポット。自分用にキースタンド」

「どんどんクマクマしくなっていくな」

 店を出ると日が暮れてかなり暗くなっていた。携帯電話で時間を確認すればもう十九時になっている。しかしあとは勝利の用事を済ますだけだと、それをポケットにしまおうとした光喜の手がふいに止まる。
 表示された通知をタップすると小津からで、夕飯は食べたか、と言うような内容だった。

「どうした?」

「小津さんがご飯は食べたのかって」

「忙しいんじゃないのか?」

「あー、そうなのかも。ご飯は作れなさそうだからまだなら勝利とご飯してきてって」

「ふぅん、ならどっかで食ってから帰るか?」

 この様子だと下手に気を使ってご飯を届けたりはしないほうがいい。おそらく仕事に集中したいはずだ。それでも根を詰め過ぎないでね――と光喜がメッセージを送れば、早く会いたいから頑張ると返ってくる。
 その言葉に嬉しくなって、いますぐにでも会いに行きたくなってしまう。

「そうだ、鶴橋さんは?」

「そろそろ仕事が終わるかもな」

「じゃあ買い物が終わったら三人でご飯食べよ。あんまり急いで行っても小津さんを急かしちゃうし、ゆっくりしてくるって返事した」

「なら、冬悟さんに連絡しておく」

「うん」

 会ったら目いっぱい抱きしめて、たくさんキスをしてお疲れさまと言ってあげよう。我がままは言われたことがないけれど、なんでも聞いてあげよう。
 いますぐに会いたい気持ちを胸にしまって「大好き」その気持ちだけぽんと指先で送る。それに返事はなかったが、光喜には画面の向こうで真っ赤になっているあの人が想像できた。

優しさは恋の味

 いままでの光喜はその日と言えばもらうことしかしてこなかった。誰かに贈るだなんて考えもしていない。だからショーケースの前で真剣に悩む日が来るなんて想像もしたことがなかった。
 けれどかれこれ売り場を歩いて三十分。ウロウロと行っては戻りを繰り返し、いきなり方向転換して隣を歩く姉にブーイングされる。しかし真剣な目をしてチョコレートを選んでいるいまはそれさえも気にならない。

「なにをそんなに悩んでるの? 値段? 数? 店を選んでるわけじゃないわね」

「バラエティに富んだのが欲しい」

「あー、見た目ね」

「だって食べる楽しみって必要でしょ」

「悩むのは結構だけど、早くしないといいものからなくなるわよ」

 バレンタインデー当日、売り場は滑り込みの客で溢れている。女性がこんなにこの日を重要視しているのも驚きの一つだ。お菓子業界の戦略なんて言われているが、このイベントの浸透力はすごい。
 本命チョコに友チョコに義理チョコ。いまは女性から男性へと言うのがお決まりではないようだ。男性同士となればどちらが渡すかなんて決まり事もない。なので待つよりも渡したい、その想いで光喜は姉を巻き込んで買い物へやって来たのだ。

「それに待ち合わせしてるんでしょ? 時間は大丈夫?」

「……あっ! あんまり時間ないっ、どうしよう」

 腕時計に視線を落とせば十六時を過ぎていた。恋人との待ち合わせは十七時で、待ち合わせ場所はここから四十分はかかる。しかし遅刻なんて絶対にしたくないと思いながらもまだ足が行っては戻りをする。

「ああ、もう! まどろっこしい! これとこれとこれ、ここから選びなさいよ。さっきからウロウロしてるのそこじゃない」

 パンフレットを開いた姉は苛ついた様子でそれを指さす。それに怪訝な顔をする光喜だが、小さく唸ってから黙ってパンフレットを見つめる。そして一呼吸置くことで冷静さが取り戻されたのか今度は迷いなく歩き出した。
 目指すは一番見た目が華やかで美味しそうだったショコラだ。

「やっばいっ、ほんとに遅れ、そ……っ」

「あっ、すみません」

 ギリギリで選んだチョコレートを手に駅の構内を足早に歩いていると、目の前を横切った人に思いきりぶつかる。あまりの勢いにひっくり返りそうになるけれど、顔を持ち上げたら見慣れた人がいた。

「小津さんっ」

「光喜くん! ……ごめん、あの、これ、中身は大丈夫?」

「あ、あーっ! ひしゃげてる!」

「だ、大事なものだった?」

「せっかく、小津さんに買ったのに」

「もしかして、バレンタイン?」

 しょんぼりとした光喜が小さく頷くと、小津は嬉しそうに形の崩れた小さな袋を胸元に引き寄せた。

 散々悩みに悩み抜いて買ったチョコレートはぶつかった拍子にぺしゃんこになった。けれどそれに落ち込む光喜に小津はまったく問題ないと笑う。
 確かに箱は角が潰れて見た目が悪くなっていたが、中身は散らばってはいない。それでもプレゼントの悲愴な姿に気分は落ち込んでしまう。せっかくおいしいイタリアンに連れてきてもらったのに、気持ちが盛り上がらない。

「光喜くん、なに飲む?」

「ああ、うん。ワインを頼もうかな」

 しかし下がったテンションはすぐには持ち上がらないが、忙しい中での久しぶりのデート。いつまでもくさくさとしてはいられないとも思う。優しい笑みを浮かべてくれる恋人をじっと見つめれば、励ますみたいにあれこれと料理を勧めてくれる。
 身体の大きさはまるで思いやりに比例しているようだ。熊のように大柄だけれどその分だけ優しさが詰まっているに違いない。そんなことを思ったらふっと笑みがこぼれる。そしてそんな光喜の表情に首を傾げる彼がひどく愛おしくなった。

「ご飯どれもおいしいね。かなり食べた気がする」

「お腹いっぱい? デザートも頼んでるんだけど」

「そうなの? 食べる食べる」

 普段からよく食べる光喜はいつも小津にその身体のどこに入るのかと笑われるほどだ。けれど実際は成人男性の人並みより背丈もあり体格もいい。だから彼の目から見たらほとんどの人が小柄に見えるだろうと笑い返すのが常だ。
 一通り食事が終わり食器が片付けられるとしばらくしてウェイターがデザートを運んでくる。恭しく運ばれてきたそれに期待で胸が弾むが、テーブルに置かれたそれを見て光喜は喜びの前に驚きが飛び出した。

「えっ? 小津さん、これ」

「うん、今日はバレンタインだから、僕も用意してた。こんなのいままでしたことなくって、ドキドキしてたんだけど」

「う、嬉しいに決まってるでしょ!」

 窺うような視線に対し光喜の顔はぱあっと光を灯したみたいに明るくなる。ハート型の、綺麗にデコレーションされたチョコレートケーキ。シャイな小津からしたらこれがどれほど勇気のいる注文だったか、考えなくともよくわかる。

「写真撮っていい?」

「うん」

「やった、これ待ち受けにしよう」

「え?」

「記念だもん! わぁ、食べるのもったいない、けど、食べるよ! 半分こしようね。ハート割れちゃうけどいいよね?」

 綺麗なハートにさっくりとナイフが通る。けれど飾りのハートをそれぞれに振り分けて、光喜はにんまりとご機嫌な笑みを浮かべた。
 ハッピーバレンタイン――そう言ってケーキを載せたフォークを差し向ければ、小津は首まで真っ赤に染めて目を丸くする。愛を伝える日、なんて素敵な日だろうと光喜は照れた笑顔も写真に収めた。

優しさは恋の味/end

二人の熱が触れる

 新しい年のはじまりは除夜の鐘の音とともに迎える。深夜とも言える時間帯にもかかわらず新年の参拝に向かう人の数は多い。その流れに少しばかり人の目を引く二人連れが混じる。
 一人はほかの人たちよりも頭二つ分ほどは抜きん出ている高い上背と大きな体躯をしていた。もう一人は暗がりでも見目の良さが際立つ美丈夫で、すらりと手足が長い日本人離れした容姿だ。
 仲良く並んで歩く二人は、先ほどから通り過ぎる人たちの視線を振り返らせていた。

「夜になったら冷えてきたね。手袋、置いてきちゃった」

「光喜くん、手、冷たい? 僕の貸すよ」

「えー、そうしたら小津さんが冷たいでしょ」

 両手をすりあわせて息を吹きかけた光喜は隣で心配そうな顔をする恋人に笑みを返す。その柔らかな笑みに、眉を寄せていた小津はしばらく考え込むような顔をした。ひどく難しげなその表情にヘーゼルカラーの瞳がますます優しく細められる。

「じゃあ、こうしようか」

「えっ!」

 じっと隣の人を見つめていた光喜はふいに声を上げた小津の行動に肩を跳ね上げる。なんの躊躇いもなくぎゅっと握られた左手が、ダウンジャケットのポケットにすっぽりと収まった。
 手に広がるぬくもりと思いがけない状況に胸の音が駆け足するみたいに早くなる。冷たさで火照っていた頬がじわじわと熱を広げて、耳まで移ったことを感じた。

「嫌だった?」

「……ち、違うよ! びっくりしただけ。小津さんって意外と大胆なんだね」

「結構暗いし、こう人が多いとそこまで周りは気にしないよ」

「ふぅん、まあ、いっか。お正月だしね」

「えっ!」

 んふふ、と小さく笑った恋人がふいに近づいて、右腕にぴったりとくっついた。それに今度は小津が肩を跳ね上げて、ますます楽しげに笑う彼の声に鼓動を速めた。しまいには先ほどの光喜と同じように頬を染めて耳まで赤くした。
 そしてお揃いだね――なんて笑う小悪魔めいた表情に、跳ね上がった胸の音を押さえるように息をつく。

「うわぁ、並んでるね」

「ここわりと有名だからね」

「でも家の近くにあるのはいいね。俺、こんな時間に初詣は初めてだ」

「朝はゆっくりしよう」

「ちょっと寝坊しても怒られないね」

「うん、お昼まで寝ても平気だよ」

 自営業に芸能業界――お互いに普段は仕事やバイトが忙しい。暦通りの休みなど存在しない職種なので、正月休みも何日取ることができるか、という少しばかり際どいスケジュールだった。それでも数日の休みを取るために年末までみっちり働いた。
 おかげで三箇日までは二人きりだ。昨夜はのんびりと年越し蕎麦を食べて、二人だけの時間を満喫してから家を出た。

「そういや小津さんは年賀状書いた?」

「印刷したものは取引先にね、挨拶だけはしておかないと」

「ああ、そっか。そういうお付き合いがあるもんね」

「光喜くんくらいの子だとみんなメールとかメッセージだよね? 日付変わった頃から着信たくさん来てたよね」

「そうそう、鬱陶しくて電源切っちゃった。せっかく小津さんといるのに」

 若者の携帯電話依存率は高いものだが、最近の光喜は休みの日には大抵サイレントモードか電源オフだ。仕事をしている小津を待ちながら寝室で本を読んでいたり、ぼんやりテレビを見ていたり。
 友達付き合いをしなくて大丈夫なのだろうかと気にかかるくらいで、少しばかり小津はそれを気にしていた。

「あ、そうだ。勝利がさ、新年会やろうって言ってた。いつがいいかな。鶴橋さんも仕事あるし休みのあいだがいいよね」

「光喜くんの仕事は?」

「んー、正月休みを除いたら、……来週、以降になっちゃうかな」

「じゃあ、相談して休みの日に合わせてもらおう。冬悟も休日ならきっといつでも大丈夫だよ」

「そっかぁ、じゃあ、相談してみる。年末も会えてないし、四人で久しぶりに集まりたいもんね」

「うん」

 光喜の幼馴染みとその恋人、彼らとは付かず離れずの距離だ。前ほど頻繁に顔を合わせていないが、誰かが声を上げれば集まってご飯を食べに行く。基本的に声を上げるのは光喜と幼馴染みの勝利だ。
 連絡を取るために携帯電話の電源を入れると、アイコンにどんどんと数字が増えて光喜は少しばかり煩わしそうに眉を寄せた。それでも幼馴染みのメッセージを見つけると笑みが浮かぶ。

「ふはっ、二人して夕方からずっと飲んでて鶴橋さんを潰したらしいよ」

「そうなの? 冬悟そんなにお酒弱くないのに」

「自分で潰しておいて暇持て余してるって、勝利、超バカ」

 指先が文字を入力していくのを隣で見ながら、子供みたいな笑顔を浮かべる光喜に小津は瞳を和らげる。ほかのどんな友達と連絡を取らなくても、最後に残る親友がいるのはいいことだ。
 初めて出会った頃は気持ちがその彼へ傾いていて焦れるような想いをしたけれど、いま小津の中にあるのは安心感、それだけだ。

「姫はじめは二日だからいいんだってさ。新年の最初って一日明けた二日なの? 初夢も二日に見る夢だよね?」

「うん、元旦の夜か二日の朝だね」

「夢ってあんまり覚えてないんだよね。大体寝て起きたら忘れちゃう」

「僕は覚えてるほうだよ。光喜くんが出てくる時は特によく覚えてる」

「……俺の夢とか見るんだ」

「あー、うん。結構よくみるよ」

「どんな?」

「えっと、それは色々」

 窺い見るように身体を傾けた光喜に、ふいと視線がそれた。じっとその様子を見ていると落ち着きなく目線がさ迷い、恋人の挙動不審さに光喜はにんまりと口の端を持ち上げる。

「わかった。あれでしょ、エロい夢とか見てるんでしょ? 小津さん意外とむっつり?」

「いや、それは、ないとは言わないけど。しょっちゅう見ているわけじゃ、ない、です」

「あははっ、なんで敬語! 小津さんほんと正直。可愛い」

「そんなに笑わないで、かなり恥ずかしい」

「ごめんごめん。じゃあ、俺たちも姫はじめしようね」

「……っ!」

 頭の天辺から湯気でも飛び出しそうなほど顔を赤く染めた小津は、やんわりと目を細めた恋人の視線に絡め取られるような気分になる。けれど唇が綻んでまた笑い声が響くと、身体を丸ごと釜ゆでされたような熱さを感じた。
 寒さも忘れてしまいそうなほどの火照りに身じろげば、ぎゅっと腕に抱きついた光喜が小さくぼそりと囁く。

「今日の夜まで待てないかも」

「み、光喜くん。あんまり煽らないで」

「んふふ、早くお参りして帰ろう!」

 二人で寄り添い合いながら人波に混じる。長い列を進んで柏手を打つ頃には心も身体もぽかぽかと熱を帯びた。

二人の熱が触れる/end

21.二人のこれから

 ゆっくりとした時間を過ごし時刻が迫ると、敦子と希美、そして愛犬三頭が駅まで送りに出てくれた。もっともその原因は凛太郎と茶太が光喜がいなくなるのを察して子犬のようにクーンクーンと鳴き出したからだ。

 そして駅の改札でもやたらと切なげに鳴き声を上げる。またねと彼が頭を撫でれば、大きな身体をこすりつけて自分たちの匂いを染み込ませようとした。行く手を阻むように足にまとわりつく二頭に敦子は離れるよう言い聞かせる。
 後ろで寂しげな目をして黙っているシロウは、じっと光喜を見つめてなにかを訴えかけているようにも見えた。彼が名前を呼ぶと遠慮がちに近づいてきて差し出した手をぺろりと舐める。

「修平、もう行っていいわよ。この子たちに構っていたらずっと電車に乗れないわ」

「お兄ちゃん、光喜くんまたね」

「うん」

「あ、えっと、お世話になりました!」

 ぺこりと頭を下げた光喜に女性陣は笑みを浮かべる。改札を抜けると背後から悲愴な鳴き声が聞こえてくるが、振り返ると余計に彼らの気持ちが募ってしまうので我慢をしてホームへと向かった。
 人の多くない田舎の駅は電車を待つ人はそれほどいない。電光掲示板で電車の時刻を確認して乗り継ぎ駅の到着時間を調べると、電車が来るまでもうしばらく時間があったので二人はホームのベンチに腰かけた。

 あっという間だったねと笑う光喜の様子に、色々とあったが来て良かったと小津は息をつく。そして今度はいつ来ようかと考えていると、ワンと犬の吠える声が聞こえた。その声が聞こえた先に視線を移せば、線路の向こう、金網越しに凛太郎と茶太、シロウが尻尾を揺らしているのが見える。
 わざわざ道を回ってきてくれたのか、その後ろではリードを掴む敦子と希美の姿もあった。こちらを見つめる視線に光喜が大きく手を振ると、やんちゃな二頭は金網に前足をかけてまた吠える。

「凛太郎! 茶太! シロウ! また来るね!」

 立ち上がった光喜の声が響くと、三頭は嬉しそうにぶんぶん尻尾を振り回した。そうしているうちに電車が近づいてきてそれはホームで停車する。開いたドアから乗り込んで、向かい側のドアから外を覗くとまだ彼らはまっすぐとこちらを見ていた。
 ゆっくりと電車が走り出せばそれを追いかけるように走り出し、慌てた様子で敦子と希美が追いかける。けれど電車がどんどんと加速して追いつけないと悟ると、足を止めてじっと電車を見つめていた。

「なんかすんごく寂しい」

「うん、また来よう。いつがいいかな。冬休み、お正月とか。あ、年明けてからでもいいね。二人でゆっくり初詣とかも行きたいし」

 瞳を潤ませた光喜の頭を小津が優しく撫でると振り向いた彼は嬉しそうに頷く。そっと隣り合った手を握れば、ぎゅっと強く握り返してくれる。これから先の未来、彼と一緒に歩いて行くことができるのだとそう思うだけで小津の心は躍るようだ。

「たくさん思い出を作ろう。いっぱい色んなところへ行こう。光喜くんとの時間を大事にしたい」

「じゃあ、今度のアルバムは俺で埋め尽くしてね」

「……光喜くん、わりとそれ気にしてた?」

「えー、気にしちゃうよ。あれ見て結構ショックだったもん。俺って好みの範疇外だって」

「ごめん」

「でもまあ、いいよ。結果良ければすべて良しって言うじゃん」

 申し訳なさそうに眉尻を下げた小津に小さく笑った光喜は明るい笑顔を見せる。いつだって彼はこの笑顔で恋人の過ちを許してくれた。自分も不安でたまらないはずなのに、それを飲み込んでまで抱きしめてくれる。
 この気丈さに救われもするけれど、それ以上にもうそんな想いをさせたくないと思う。見た目以上に繊細な彼を悲しませることは、二度としたくない。

「僕は、光喜くんが幸せだと思えるように君を愛していきたいよ」

「えっ? あ、なに、こんなところでそういうの狡いでしょ。ちょっと、やめてよ。恥ずかしい」

 まっすぐに瞳を見つめると彼は耳まで赤くして視線をさ迷わせる。けれど離れていこうと一歩後ずさる光喜の手を小津は強く握りしめた。そうすると逃げ場がないことを悟ったのか顔を俯かせて視線を外す。

「迷惑だった?」

「違うよ。こういうのは、もっと二人っきりの時に言ってよ。抱きつけないじゃん、もう」

「そうだね、僕も光喜くんを抱きしめられなくてもどかしいかも」

 カタンカタンと電車が走る中でお互いなにも言葉を紡がずにただ黙って手を握り合う。流れていく景色、空間に響くアナウンス、微かな人の気配。それを感じながら、早く二人だけの時間に戻りたいと思う。
 桜色の季節から始まった恋は月日を重ねるごとに鮮やかに色づいた。そして二人を繋ぐ赤い糸はもう解けないくらいにしっかりと結ばれた。思い出は優しく降り積もるように重なっていく。

「ねぇ、小津さん」

「なに?」

「誕生日に、ここにプレゼントちょうだい」

「……うん、いいよ。二人で探しに行こうか」

「やった! 約束だよ」

 繋いだ左手を持ち上げて薬指を叩いた光喜は、やんわりと目を細めた小津に陽だまりのような笑みを浮かべる。そしてクリスマスプレゼントを待つ子供みたいに目を輝かせた。彼の指にそれが輝く時、それはきっと二人を繋ぐ新しい絆になる。
 これから様々なものを積み重ねていくだろう恋人は、未来の約束もたくさん積み重ねていく。彼と共に迎える毎日が穏やかに、そして優しい日々であるように願うと二人で澄み渡る空を見上げた。

君と歩くこれからの毎日/end

20.優しい家族

 顔を洗ってから庭に下りると、小屋の外と入り口で寝転んでいた凛太郎と茶太が目をキラキラと輝かせて近づいてくる。いまにも押し倒しそうな勢いで走り寄ってきた二頭は、福丸同様にぶんぶんと尻尾を振っていた。
 大きな身体に詰め寄られて光喜の笑い声が響く。すると小屋の中にいたシロウもその声に誘われるように顔を出す。そして尻尾を揺らしながら二頭の後ろで控えめに順番待ちをし始めた。

「お手、おかわり、ハグ!」

 彼らの目線に合わせて芝生に座る光喜の前でお座りをする三頭は、両手を広げる彼に抱きつくように肩に前足を置く。そんなコマンドを教えたことはないはずなのに、お利口さんと光喜が背中を撫でると揃って得意気な顔をした。

 そんな様子を近くで見ている小津はじゃれ合う三頭と恋人をカメラの中に収めていく。なんて幸せな光景だろうと切り取った笑顔に胸が温かくなる。しばらくそのまま和やかな時間を過ごしていると、窓が開きリビングから敦子が顔を出した。
 ご飯よ、と呼ばれて立ち上がれば、まだ光喜に遊んでもらいたい三頭はあからさまにしょぼんと尻尾を垂らす。

「またあとでね」

 それぞれの頭を優しく撫でてリビングに戻ると、はしゃぎ疲れた福丸がお腹を出して眠っている。時折キューンと寝言のような鳴き声を上げるその姿に光喜は顔を綻ばせて笑った。
 手を洗ってからダイニングへ向かえば、テーブルの上に朝食が並んでいる。いつもは手早く済ませるためにパンを食べることが多いので、ご飯とお味噌汁、焼き魚や卵焼きなどが並んでいる食卓に光喜は感動をあらわにした。

「んー、朝からこんなにしっかりしたご飯が食べられるなんて幸せ!」

「いっぱい食べていいわよ」

「ありがとうございます!」

 言葉通りの幸せそうな顔でご飯を頬ばる姿に敦子の目が優しく細められる。けれど嬉々としながらご飯を食べる自分を見つめている小津に気づいた彼は目を瞬かせて振り返った。小さく首を傾げるその仕草に口元を緩めながら、口の端についた米粒を小津がつまみ上げればぽっと頬が赤く染まる。

「ご飯おいしい?」

「う、うん、おいしい」

 さりげなくつまんだ米粒を口先に寄せると、照れくさそうにはにかんで光喜は指先のそれをぱくんと食べた。けれどいつまでも見つめている小津に、ご飯冷めちゃう、と小さく呟いて視線をさ迷わせる。

「うん、いただきます」

 視線が気になってご飯が進まなくなった彼が指先で突いてくるので、笑みをこぼしながら小津は両手を合わせる。そしてたまにはこんなしっかりとした朝ご飯を作ってあげようと温かい味噌汁を飲みながら思った。
 朝食が済んでのんびりとお茶を啜っている頃に二階から希美が下りてくる。Tシャツにハーフパンツという部屋着で下りてきた彼女は、光喜の顔を見てはっと緊張した表情を浮かべる。そして彼がいたのだと言うことを思い出したのかあたふたとし始めた。

「き、着替えてくる!」

「もう希美、そんなこといいからご飯食べなさい」

 回れ右をして下りてきた階段を駆け上がろうとする娘を、母は呆れたような声でたしなめる。そんな声に恐る恐る振り返った希美はきょとんとする光喜に視線を向ける。顔を赤くしながら見つめられると、この状況に気づいた彼はにっこりと笑みを浮かべた。

「希美ちゃんおはよう」

「おっ、おはよう!」

「ご飯、おいしかったよ」

「……っ! か、顔洗ってくる!」

 朝からキラキラとした光喜の笑顔を見てなにかが振り切れたのか、妹はゆでだこのように顔を赤くしなが洗面所に駆けていった。小さな足音を聞きながら、小津は思わず苦笑いしてしまう。いつだって彼を振り返る女の子が絶えない。
 誰がどう見ても九割以上の人が光喜の容姿が優れていると言うだろう。けれど彼は自分のものだと言いたくなる独占欲で時折胸を焦がされた。

「敵は多いな」

「え? なに?」

「ううん、なんでもないよ」

 小さな呟きを聞き逃した恋人はぱっと振り向く。そうしてじっと見つめられると、ちょっとした優越感を覚える。持ち上がりそうになる口の端を誤魔化しながら、小津はそれ以上なにも言わずに再びお茶を啜った。

「修平、帰りの新幹線は何時だった? わりと早かったわよね」

「十三時、半くらいだったかな」

 もう少しゆっくりしても良かったのだが、慣れない場所で光喜に気を使わせるのは申し訳ないと小津は早めの時間を選んだ。けれど愛犬たちの懐きっぷりを見るともっとゆっくりでも良かったかもしれないとも思う。
 人付き合いがそれほど得意ではないという彼だけれど、見た目だけではない明るさや優しさで自然と周りに人が集まる。性根がまっすぐなのだ。だからこそ動物にもそれが伝わるに違いない。

「今度いつ帰ってくる?」

「んー、まだ考えてないけど」

「また近いうちに帰ってきなさいね、光喜くんと一緒に」

「うん、そうするよ」

「次に来る時は晩酌がしたいってお父さん言ってたから」

 頷いた息子に笑みを浮かべた母は、ふっと視線を流して和室で本を読んでいる夫の背中を見つめる。そして内緒話をするみたいに声を潜めて口数の多くない高道の言葉を教えてくれた。

「可愛い息子がもう一人増えたってお父さんずっと光喜くんのこと褒めてばっかりで、よっぽど来てくれたのが嬉しかったのねぇ」

 昨日の夜は敦子が喜んでいたと言っていた高道の本音を聞いて、誰よりも一番に思ってくれていたことに小津はひどく胸を打たれた。そして母にはそんな本音を話してしまう、二人の仲睦まじさに微笑ましい気持ちになった。

19.そこにある存在

 寝息を立てる恋人をしばらく眺めてから、汚れたTシャツやタオルをひとまとめにして小津は洗濯機を回した。そういえば学生時代は親に隠れてこっそり下着を洗ったこともあった、なんてことを思い起こして少し複雑な気分になりながら。
 乾燥まで終わらせてタオルを片付けたあと、光喜が眠るベッドに潜り込んだのは二時を回った頃だった。そしてぬくもりを感じたのか、胸元に頬を寄せてくる可愛らしい彼の髪を撫でながら眠りに落ちた。

 光喜が傍にいると小津はいつも深く眠りに落ちる。けれど久しぶりに眠っているあいだに色鮮やかな夢を見た。恋人と一緒に浜辺を歩くなにげないシーン。引いては寄せる波に楽しそうに笑い声を上げる彼が、ひまわりのような笑みを浮かべて振り返る。
 それは華やかで眩しく誰をも照らすような輝きを持っていた。けれどその顔を見ると胸が急に切なくなって小津は涙をこぼした。ボロボロこぼれ落ちる涙に戸惑っていると、そんな恋人の顔を優しく目を細めて彼はそっと撫でてくれる。

 そしてずっと一緒だよ、そう言って柔らかな唇でキスをくれた。手を伸ばして抱きしめた感触がひどくリアルで、絶対に失うものかと、心に誓いながら腕の中に閉じ込めた。けれどもしかしたら自分の独占欲がいつしか彼を縛り付けるものになるかもしれない。
 しかしいつだって自由でいて欲しい、そう想う心と同じくらいに光喜を手放したくないと心が叫ぶ。彼のいない未来には光など射さないと思えた。

「あ、小津さん。おはよ」

 大丈夫だよ、そう耳元で囁いた夢の中の恋人の声に優しい声が重なる。ぼんやりする思考のまま目線を上げると、抱きしめて寝ていたはずの彼に抱きしめられていた。そして夢と変わらぬ温かい手で頬を撫でられる。

「悲しい夢でも見た?」

「え?」

「起きたら小津さんが泣いてるから、びっくりした」

 やんわりと目を細めた光喜はまたそっと小津の頬を撫でた。彼の指先で拭われたそれが自分の涙だと気づくと、腕を持ち上げ確かめるように手のひらで触れる。濡れた指先を見つめれば小さなリップ音を立てて額に口づけが落とされた。

「君が傍にいてくれるのに、いつか消えてしまうような気持ちになった」

「俺は、どこにも行かないよ」

「うん、そうだよね。ありがとう」

 抱きしめる腕に力を込めて光喜は小津を優しく包む。胸元に引き寄せられると、緩やかな胸の音が響いて少しずつ気持ちが穏やかになった。腕を伸ばして抱きしめ返せば、すり寄るように髪に頬を寄せてくれる。

「小津さん、好き、大好き」

 囁かれる声に胸がじわじわと温かくなる。それと共にまた涙がこぼれて縋りつくように彼を抱きしめた。きついくらいに抱きしめているのに、泣き濡れる恋人に光喜は優しく何度も愛を囁いてくれた。

「そういえば、さっきお父さんとお母さんが散歩から帰って来たっぽいよ。凛太郎と茶太の鳴き声が聞こえた」

「いま何時?」

「んーと、もう少しで七時になるところ」

「お腹、空いたよね」

「あー、うん。空いた」

 顔を持ち上げると光喜は照れたように笑う。意識するとなおさらなのか、彼の腹の虫が静かな中に小さく響く。それに笑うと頬をますます染めて恥ずかしさを誤魔化すようにぎゅっと胸に引き寄せられた。

「下に下りようか」

「うん」

 そっと腕が解けていく、それをじっと見つめていると、ふいに近づいてきた彼が唇にキスをくれる。そしてふわっと花が開くような笑みを浮かべた。この先もこの笑顔を守っていきたい、そんな気持ちが小津の心に湧いてくる。

「あらぁ、おはよう。早いのね」

 一階に下りてリビングを覗くと高道はソファで新聞を開き、その隣で敦子が湯呑みを傾けていた。顔を覗かせた二人に振り向いた母は目を瞬かせてのんびりとした声を上げる。

「あ、ご飯まだ準備してないの。いつも希美は休みの日に起きてくるの遅くて。待ってて、すぐ用意するから」

「うん、ありがとう」

「顔でも洗ってきて。そうそう、待ってるあいだにあの子たち構ってあげてくれる? 昨日の散歩がよっぽど楽しかったのか、散歩に行く時に光喜くんじゃない、って駄々こねられちゃった」

 ソファから立ち上がった敦子は困ったように頬に手を当てて小さく息をつく。そしてそれと同時に光喜の名前に反応でもしたのか、窓際のクッションベッドで寝ていた福丸がキャンと鳴き声を上げる。
 尻尾をぶんぶんと振った彼はちまちまと走り寄ってきて、まっすぐに光喜の元へやってきた。飛び跳ねるようにはしゃいで足元にまとわりつくと、抱っこをせがんでまた鳴き声を上げる。

「母さん、福丸も茶太みたいに抱っこ癖がつくんじゃない?」

「そうなのよねぇ、大きくなった時が大変だわ」

 また困ったようにため息をついた敦子をよそに、光喜がしゃがむと福丸は膝の上によじ登る。そして抱き上げられると振り切れんばかりに尻尾を揺らし、鼻先を寄せて彼の顔を舐め回した。

「福丸、くすぐったいよ。なんか顔を洗われてる気分」

「んー、まあ、小さいうちは仕方ないか。光喜くん、交代で顔を洗おう」

 いま下ろしてもきっと福丸は洗面所までついてくる。あまり足元でウロウロすると小さい身体を誤って蹴飛ばしてしまいかねない。それならば抱っこを交代して済ませたほうが早いだろう。
 洗った顔をまた福丸に舐め尽くされる可能性はあるが、彼を抱っこしている恋人が至極嬉しそうにしているのでまあいいか、と思えてくる。笑い声を上げる光喜に小津はやんわりと目を細めて微笑んだ。

18.抗えない言葉※

 着ていた衣服をベッドの下へ放り綺麗な身体を見下ろすと、恥じらうように目を伏せる表情がよく見えた。いつもの寝室は間接照明のほの明るい灯りだが、いまは蛍光灯の下で隅々までよく見える。
 それに気づいた光喜が電気消して、と呟くが、小津は笑みを浮かべて聞き流した。その意地悪い反応に少しふて腐れた顔をして彼は長い脚で引き離すように肩を押してくる。けれどその脚を捕まえた小津はそこにキスをして舌を這わせた。

「ねぇ、小津、さん。そんなにしたら、俺、溶けちゃうよ」

 ふくらはぎ、足首、足の甲、指先――余すことなく舌で撫で上げると、わずかに震える声が聞こえてくる。肌を伝い太ももまでたどり着く頃には、反り返った熱からこぼれた蜜で繁みからその奥までびしょ濡れになっていた。
 それでもやめることはせずにさらに上へと辿っていく。刺激を待ち望む場所を通り過ぎ、付け根を撫でた時には身体がビクビクと跳ね上がった。ぐずつきだした声で早く、とねだられるけれど、ぷっくりと膨らんだ胸の先を舌先で弾くと小さな甘い声に変わる。

「そこ、駄目、すぐイッちゃうからっ、……んんっ」

 上擦った声が響きそうになると、両手で口を塞いで身体をくねらせる。それでも隙間から漏れてくる声は熱に浮かされたように甘ったるい。そして刺激を逃そうとしているのか、足をジタバタとしてシーツの上で打ち震える。

「あっんっ、小津さん、もう、いいから、早く挿れて」

「いいよ、イッても」

「駄目、だってまだ小津さん、イってないじゃん。俺ばっか、駄目……んっ」

 可愛いことを言う恋人に痛いくらいに硬くなったものが疼く。いますぐに突っ込んで揺さぶりたくなるが、ふっと息をついてから小津はまた胸の尖りを刺激する。指先でつまんでこねると光喜の腰が揺れた。
 腹に押しつけて自慰をするみたいに揺らされる腰がひどくいやらしい。けれど本人はおそらく無意識なのだろう。顔を真っ赤にしながら涙を浮かべて指を噛む。もう片方を口に含んできつく吸いつきながら、反対側を指先でもてあそぶと喉をさらしてのけ反った。

「やだ、イっちゃう、だ、め、……っ」

 とっさに声を飲み込んだ光喜は身体を震わせて欲を吐き出す。余韻が続いているのか涙が浮かんだ瞳がぼんやりとしていた。そっと身体のラインを撫でるとピクリと肩が揺れ、瞬きをした熱っぽい眼差しが向けられる。

「もう、俺ばっかり」

「気持ち良くなかった?」

「……き、気持ち良かった。でも、それより小津さんが欲しい」

「昨日もいっぱいしたのに」

「う、それは、そうだけど。……駄目、なの?」

「んー、そんなに可愛い顔でおねだりされたら、駄目なんて言えないよ。でもイキっぱなしで辛くない?」

「平気、俺は頑丈だから。いますぐ、欲しい」

 子供が抱っこをせがむみたいに両手を伸ばした光喜に自然と笑みが浮かぶ。ぎゅっと身体を抱きしめて、キスを交わしてからそっとぬかるんだ場所に指を這わせる。それだけで期待をするようにヒクつくそこは、張り詰めた熱を飲み込んだ。

 いつもなら気持ちが暴走して激しく揺さぶってしまうところだが、あまり動くとベッドが軋んでしまう。正常位でゆっくりと抜き挿しを繰り返して彼の快感を引き出していく。初めての時から感じやすかった身体だけれど、身体を重ねる回数が増えるほどに淫らに小津を煽ってくる。
 普段の青年らしい表情とは違うその姿に、理性のリミッターが壊れるなんてことはしょっちゅうだ。

「……はあ、なんか、いつもよりゾクゾクする。小津さん、気持ちいい?」

「うん、すごくいいよ。光喜くんの中、すごい熱くて」

「あっ、小津さんのも、すごいビクンビクンてしてて、気持ちいい」

 腹の奥の熱を確かめるみたいに下腹を撫でるうっとりとした顔にさらにズクンと熱が疼く。けれどそれを感じて、おっきくなった、と子供みたいに笑う姿に肩の力が抜ける。しかしすぐにもっと、とねだる彼は妖艶さを滲ませた。
 ラジオの雑音に混じる光喜の声はひどく甘やかで、それをずっと聞いていたいような気持ちになる。時折視線を持ち上げて熱を帯びた目を向けられて、さらに奥へと誘われた。

「ぁっ、ん……もうイク」

 吐き出す呼気が少しずつ荒くなると、刺激をねだるように両脚が腰へと回される。引き寄せられるままに近づいて赤く色づいた唇を塞げば、口を開いて光喜はその先を請うてきた。望むままに熱い口の中をたっぷりと撫で一番感じる場所に猛るものを押しつける。
 すると限界が来たのか足先が伸びてシーツの上にしわを作る。溢れ出した涙が彼の頬を伝い、伸ばされた手できつく背中を抱きしめられた。

「光喜くん、大丈夫?」

 ドライで達した光喜はまだ続いているのだろう快感をこらえるように指先に力を込める。爪の先で引っ掻かれる場所がヒリヒリと痛むが、落ち着くまで小津は耳元や首筋にキスをした。しばらくそうしていると力が抜けて彼の腕がはらりとベッドの上に投げ出される。
 それを見計らってゆっくりと萎えたものを抜けば、それだけでも刺激になったのか小さな声がこぼれた。

「ん、……ごめん、小津さん。もう力入んない」

「うん、いいよ。寝ちゃっても平気だよ」

 くたりとした光喜の頬を撫でて額に口づけると、ゴムを外して床に放りっぱなしのタオルで汗ばんだ身体を拭いていく。されるがままに小津に身を預けながら、彼は重たいまぶたを瞬かせる。とろんとしているそれはもう落ちる寸前だ。
 けれど必死に眠気と戦っているのか何度もパチパチと瞬く。その幼い子供みたいな仕草に小津は口元を緩めてしまう。あやすように髪を撫で梳いてあげれば、こらえきれなくなったまぶたはしっかりと閉じられた。