34.元通りになった二人の距離
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 突然始まったあの苦くて辛い恋はもう終わりを迎えた。いまは勝利の顔を見ていても切なくなったり、胸が痛くなったりしない。けれど新しく始まった恋もだいぶ切なくて苦しい。人を好きになることは幸せなことだけではないのだということを光喜は初めて知った。

「腹減った。行くぞ」

「うん! 俺もお腹空いたぁ」

 くるりと後ろを向いた背中を軽い足取りで追いかける。その先には店内からの光を漏らすラーメン屋があった。勝利のアパートから近いこの店は最近結構な頻度で来ている。カラカラと戸を引き開ければ威勢の良い「いらっしゃい」の声が響く。
 店内は四人掛けのテーブルが二つとカウンター席が八つ。遅い時間にもかかわらず半分くらいは埋まっていた。奥のカウンター席を勧められて二人並んで腰かける。

「豚骨ラーメン! ニンニク増し増しで」

「俺もー! あと餃子」

 焦がしニンニクの豚骨ラーメンはここに来た時のお決まりだ。かなり食べたあと匂うけれど光喜は明日特にこれと言った予定もない。勝利も明日はバイトが休みなので気を使わないのだろう。

「ニンニク食べて帰ったら鶴橋さんとキスする時に匂うよ」

「……いいんだよ。冬悟さんそんなこと気にしないし」

「ふぅん。今日、鶴橋さんは?」

「多分もう家じゃないか」

「声かけたら良かったのに」

「飯はもう食ったみたいだから」

 ラーメンが出てくるまで二人でたわいないことを話して、久しぶりに光喜はすんなりと笑うことができた。勝利が好きだと思い始めた頃から焦りや嫉妬ばかりで、上手く笑えず作り笑いばかりだった。けれどこうして普通に笑うことができて、ああ、この感覚が懐かしいなと口元が緩んでしまう。

「近場で部屋が見つかって良かったね」

「ああ、あのアパートは冬悟さんの職場にもアクセス良かったから、あんまり遠くには引っ越したくないなと思ってたんだよな」

「もしかしてベッドは一緒?」

「ち、ちげぇよ! 部屋は一人一部屋!」

「へぇ、そうなんだ」

 ニヤニヤとする光喜に勝利は顔を真っ赤にする。いままでだったらこんなことを聞いても面白くはなかっただろうと思う。しかしいまは勝利をからかうのが楽しいと、いじり甲斐のある彼に光喜は目を細めた。

「そういや今日はお前どうしてた?」

「今日? ああ、ぶらっとして水族館行ったりとか、小津さんが」

「あ、小津さんからなんか連絡あった?」

「え?」

「お前が暇してるだろうなって思ったから、時間があったら構ってやってって連絡したんだけど。なんか急ぎの仕事があって今日は難しいって返事があってさ」

「……そうなんだ」

 ラーメンを啜る横顔を見ながら光喜の胸には色んな疑問が浮かんでくる。行くのは難しいと返事をしたのに来てくれたのは、自分のことを放っておけないと思ってくれたのか。それとも頼まれた手前、行かないと申し訳なく思ってしまったのか。
 いつもより落ち着いていたのは、仕事のことが気にかかってそれどころではなかったとか。無理をしてきてくれたのだろうか。それでは楽しむ余裕もないはずだよなと光喜の口から重たいため息が漏れた。

「光喜?」

「ん? あ、ごめん。ちょっと考えごと」

「なんかあったか?」

「……あ、そうそう今日さ、晴に捕まっちゃって」

「ハル? ああ、高月さん。ってことはまた仕事すんのか?」

「そー、やだって言ったのに、全然聞いてくれなくってさ」

 しばらく首を傾げていた勝利だったが、すぐに思い当たったようで目を瞬かせた。その顔に苦笑いを返しながら光喜は餃子を口の中に押し込む。
 中学の頃から仕事をしていたので、勝利も何度か晴と面識がある。いつも晴はよそ行きの清純派モデルの仮面を付けていたので、可愛い子が大好きな勝利はかなり好印象を持っていた。可愛い可愛いと雑誌なんかもよく買っていたのを光喜は知っている。

「そっか、お前が載る雑誌、発売になる時は教えろよ」

「えー、またみんなに言いふらすんでしょ」

「同級生がそういうのに出たら嬉しいもんだろ。辞めたのもったいないなぁってみんな言ってた」

 高校時代のクラスメイトや友人たちは光喜の載る雑誌を欠かさず買ってくれていた。周囲への宣伝もかなりしてくれていたのだが、あまり大っぴらに目立ちたくない光喜からすると複雑な心境だ。しかし黙っていても目立つ光喜は大学に入ってからも人目からは逃れられなかった。
 興味津々な好奇な目にさらされ、積極的な子はぐいぐいと迫ってくる。仕事を辞めたいまも結構な頻度で声をかけられるので、もう諦めの境地だった。それがまた酷くなったら嫌だなとこの先を想像して光喜は息をついた。

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