63.小さなヤキモチ
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 ケトルポットがカチッと音を立てると鶴橋が四つのマグカップに湯を注いでいく。粉末のお茶をスプーンでかき混ぜて、カップがそれぞれの前に置かれる。オレンジは勝利、青は鶴橋、グリーンは小津、黄色は光喜。引っ越しをして、いままで以上に集まる機会があるだろうと、買い揃えたようだ。

「光喜、飯。いつまでいじってんの」

「んー、待って」

「なに悩んでんだよ」

 食事が始まってから鳴り出した携帯電話。それを見ながら光喜は一人で小さく唸っていた。いつまで経っても顔を上げないその様子に、勝利が画面をのぞき込んでくる。そして少し驚いたように目を瞬かせた。

「なに、合コン? 行くの?」

「いやー、行かない、つもりなんだけど。なんかみんなしつこくて」

「相変わらずお前が彼女いないから心配してんだろ。まだ女の子にときめかないの?」

「うん、まあ、ね。あ、でも勝利にはドキドキするよ」

「嘘つけ」

「……いっ、たいなぁ」

 呆れたような声音の勝利に光喜が満面の笑みを返すと、思いきり額を指で弾かれた。そしてじんじんとした痛みで涙目になった光喜に重たいため息が吐き出される。
 風邪を引いた日から一週間と少し、勝利はなにかと気を使って光喜のところへ来てくれた。だから距離感がこれまで通りではないことに気づいている。

「勝利はデレが足りないよね」

「お前にやるデレはねぇ」

「えー、勝利がキスでもしてくれたら、元気出ちゃうけどねぇ」

「……」

「ちょっと、なんで黙るの? そこ笑うとこだよ。……って、なに?」

 軽く光喜が笑い声を上げると目を細めた勝利にじっと凝視された。その視線の意図がわからず首を傾げれば、いきなり顎を掴まれる。そしてずいと顔を近づけられた。

「ほんとにしてやろうか?」

「えっ? 待って、勝利。目が怖い」

 顔を背けようとするが顎を掴む手が力強くて逃げられない。徐々に狭まる間合いに光喜の肩が跳ね上がる。数センチ、数ミリと近づいたところで身体が逃げ出そうと力が入った。唇に吐息がかかるほどの距離、それが怖くて光喜は目を瞑った。けれどその瞬間、なにかを叩きつけたような音が響く。

「笠原さん!」

 慌てて目を開いた光喜が音がしたほうへ視線を向けると、立ち上がった鶴橋がテーブルに両手をついているのが見えた。しばらくしんと静まり、テーブルに付かれた手が握りしめられる。小さく震えるその手に勝利が慌ただしく立ち上がった。

「ご、ごめん! 冬悟さん、冗談、からかおうと思っただけだって!」

「冗談でもこういうことはやめてください」

「ほんとにごめん。悪かった。もう絶対にしないから」

 勝利は泣きそうに顔を歪めた鶴橋をなだめるように抱きしめる。何度も背中を叩いて頬を撫でて、抱きすくめられてもずっと謝り続けていた。鶴橋のことはいつもそれほど動じた姿を見せない、余裕のある大人だと思っていた。けれどそんな人でもこんなに取り乱すのだなと、光喜は驚きを隠せない。
 けれど恋や愛に大人だとか子供だとか、そんなものは関係ないのかもしれないとも思う。ふと視線を向けた先にある顔を見て、それをひどく実感する。時が止まったみたいに身動きをしない小津の姿に、思わず光喜は笑みをこぼしてしまった。

「小津さんも、驚き過ぎ。俺のほうがびっくりしたよ」

「……あ、ああ、そうだよね」

 小さな笑い声にようやく瞬きをした小津は、上手く笑えないのかぎこちない表情を浮かべる。けれどその顔に光喜はほっとしてしまう。まだ、まだ大丈夫だ、そう思えて安心した。少し前に見せたあのもの言いたげな視線、それもヤキモチだったらいいのにと光喜はやんわり目を細める。
 そして手元の画面を見つめて大きく深呼吸をすると、よそ見する余裕はない、そう返信して携帯電話をポケットに押し込んだ。そして決意を新たに両手を合わせ、この場の空気を読まずに弁当に箸を向けた。

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