65.目に見えない一線
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 話をしているとまっすぐな視線を感じる。けれどそれに振り向くとすぐにその眼差しは離れていく。何度も何度も同じことを繰り返されて、胸がどんどんと切なくなっていった。想いが募って何度も言葉にしようとしたけれど、そのたびに曖昧に微笑まれて声に出せなくなる。
 好き、好き、好き――ねぇ、あなたもそうなんでしょう。そう問いかけられたらどんなにいいか。自分を見る目は愛おしさがこもっているのに、こちらには見えない線を引く。そんな小津の態度に、光喜はひどくもどかしくなった。

 行き場のない感情を押し流すようにアルコールを身体に流し込んで、持ち寄ったビールも酎ハイもほとんどが空になりかけた頃、光喜の意識は急に深く沈み込んだ。
 焦ったような小津の声が聞こえた気はしたが、そこで記憶はぷつりと途切れる。
 それからふっと最初に浮上したのは大きな広い背中に身体を預けている時だった。そこから感じるぬくもりが心地よく、ゆっくりと歩くその小さな振動に光喜はまたウトウトする。

「今度みんなで実家に遊びに来て」

「えー、そういうのは光喜だけ誘えばいいのに」

「いやぁ、それはさすがに無理かなって」

「親に紹介しろとは言わないけどさ。もうちょっと二人だけの時間を作らないと」

「あはは、んーまあ、そうだね。けど、そんなに急くことでもないし」

 呆れたような勝利の声に、話題を遠ざけようとするような小津の笑い声。進展の兆しが見えないと思ったのか勝利が大きなため息を吐く。こんな時でもこの人ははっきりとものを言えないのだなと感じた。
 遠回しにしてなかったことにするつもりだろうか。そうしてやっぱり無理だったよ、なんて嘘をつくのだろうか。一度も本人に気持ちを確かめることもなく。

 胸がツキンと痛みを感じたけれど光喜は黙って目を閉じる。そして泥のように深い眠りに落ちて、夢を見た。いつものように優しい笑みを浮かべて笑っているあの人が遠くに見えて、光喜は息を上げながら駆け寄る。
 けれど走っても走っても近づくことはできなくて、それどころか遠ざかっていくような気もした。声を張り上げて叫ぶけれど、その声は空気を震わすこともなく音にもならない。それでもがむしゃらに走り続けていると、石のようなものにつまづく。
 転んで膝をついたら、あの人がなにかに気づいたように後ろを振り返る。そしてひどく柔らかく微笑んで、両手を伸ばして誰かを抱きしめた。彼の腕すっぽりと収まるほどの華奢な身体、少女のような可憐な笑み、その人にそっと唇を寄せる。

「……っ」

 やめて! そう叫びそうになった自分の声を光喜は飲み込んだ。目の前には薄暗さと見覚えのない天井があった。ずっしりと重たさを感じる身体と肩が上下するほど荒い呼吸。瞬きを繰り返して、混乱している頭を整理する。
 普段自分が眠っているベッドとは違う感触。見慣れない部屋。ゆっくりと息を吐いて、そこが勝利の部屋であることを認識した。そして光喜は最初に目が覚めた時のことを思い返し、酒を飲み過ぎて意識を落とした自分を小津が運んでくれていたこと思い出す。

 身体を起こしてベッドから抜け出ると、音を立てぬように静かに立ち上がる。その瞬間、頭がぐらぐらとして思わず光喜はその場にしゃがみ込んだ。思っている以上の酔いと身体のふらつきに、小さく息を吐いてしばらく膝に額を預けた。そうしているとふいに戸の向こうから声が聞こえてくる。

「小津さん! そんなにのんびりしてたら、そのうちあいつほかにいい人を見つけちゃうかもしれないぞ!」

「ああ、うん、そうなんだけど」

 勝利の声のあとに乾いた笑い声。それが気になって光喜はそろりと床を這うと戸に近づいた。ほんの少し開いた隙間から明るい光が差し込んでいて、そこから声がはっきりと聞こえる。

「ああ見えて光喜は他人に対する警戒心は強いんだよ。酒に酔い潰れるなんていままでなかったし、それだけ小津さんには気を許してるはずだ。好意的であるのは確かだって!」

「そ、そうなのかな」

「もうちょっと自信持ってぶつかっていかないと! まあ、あいつ束縛は嫌いだから、あんまり押し過ぎても駄目だけど。でも小津さんはもうちょっと攻めてもいいと思うぞ。いまは全然足りてないって感じる」

「う、うん」

「光喜はとっさに自分を誤魔化すところはあるけど、根っこは素直だから嫌なことは態度に表れるし、それを見誤らなければ大丈夫だ。そんなに不安な顔しなくても平気だって」

「が、頑張るよ」

 大きな勝利の声に対して小さな小津の声。もう頑張る気も失せているのではないかと、そう思いたくなるような反応に光喜はため息を落とす。そして小さくうずくまって震える手を握りしめた。

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