01.二人の日常

 人の出逢いの中には運命的な出会いというものがあるよ。そんな話を聞かせてくれたのは誰だっただろう。それは随分と遠い記憶。幼い頃の記憶だ。その時は言っている意味がさっぱりわからなかった。首を傾げるとその人は目を細めて笑い、大丈夫と頭を撫でてくれた。君にもいつかそんな人が現れるよ。そう言ってまた小さく笑った。

 ふっと浮上した意識。ぼんやりする頭で小津は昔の記憶に思考を漂わせる。あの人は誰だっただろうと考えて小さく唸った。けれどいくら考えても思い浮かばないのでまあいいか、と考えるのをやめた。
 見慣れた天井を見上げながらぼんやりしていると、隣で身じろぐ気配を感じる。彼は背を向けていた身体をこちらに向け、なにかを手探るように腕を伸ばしてきた。そして小津の腕を捕まえるとそこにすり寄ってくる。

 幼さを感じさせるその仕草にそれを見つめている瞳はやんわり細められ、顔は相好を崩しひどく緩みきったものになる。そっと手を伸ばして柔らかなアッシュブラウンの髪を撫で梳くと、腕に頬をすり寄せて美しい眠り姫は口元に笑みを浮かべた。

 こうして彼が隣にいるのを感じるたびに、小津はそれが夢幻であったらどうしようか、なんてことを考えてしまう。誰の目も惹くような華やかな容姿、初めて会った時からその姿に惹き寄せられた。近くで彼を感じるだけで胸が騒いだ。
 まっすぐに見つめられるだけで、綻んだ笑みを向けられるだけで、気持ちが膨れ上がっていくのを感じた。こんなにも心が揺さぶられるのは初めての経験だった。

「ん、小津さん」

 髪を梳いて頬を撫でているとその感触で目を覚ましたのか、まつげが震えてゆっくりとまぶたが持ち上がる。何度かパチパチと瞬きをして視線がこちらを向く。綺麗なヘーゼルカラーの瞳がじっと小津を見つめた。

「ごめんね、起こしちゃったね」

「大丈夫」

「あともうちょっと寝ててもいいよ」

「ん、でもお腹空いたかも」

「そっか、じゃあ朝ご飯を用意してくるから、目覚ましが鳴るまで寝てて」

 まだ眠たげな目をしている彼の頭を優しく撫でると、小津はベッドから下りた。けれど後ろからTシャツの裾を引っ張られて振り返る。視線の先には自分を見上げる瞳。首を傾げると恥じらうようにそれは伏せられた。その仕草で表情の意味を悟り、小津は身を屈めて額に口づけを落とす。
 小さなリップ音を立てて唇を離すと伸びてきた手がまた小津を引き寄せた。そしてねだるような眼差しを向けてくる。そんな表情に小津の口元が緩む。されるがままにまた身を寄せて、今度は淡く色づいている唇に触れた。

 ついばむように触れるとその先を請うようにうっすらと唇が開かれる。その内側に舌を滑り込ませれば、舌先に彼のものが絡んでくる。それに優しく応えながら口の中をたっぷりと愛撫すると、小さな甘い声が漏れ出す。
 目を開くとキスに夢中になっている彼もゆるりと瞳を開く。薄い涙の膜を張ったその瞳はキラキラとしてひどく美しい。

「光喜くん、大丈夫?」

「うん、平気。気持ち良かった」

 再び唇を離す頃には淡いピンク色だった唇が赤く色づいていた。潤んだ瞳、艶のある表情にそのまま貪り尽くしたい感情が湧いてくるが、その感情をなだめすかして上気した頬を優しく撫でる。
 昨日の夜も抱き潰す勢いだったこと思い出して、小津は苦笑いを浮かべた。彼を前にすると自制心というものがなくなる。触れても触れてもまだ足りない気持ちになる。抱きしめるたびに愛おしさが増して、溺れていくような感覚だった。

「小津さん、やっぱり俺も起きる」

「まだ少し早いよ?」

「うん、でも起きる」

 身体を起こして目をこすりながら、光喜は大きく身体を伸ばしあくびをする。そして後ろを振り返り、ベッドボードの目覚まし時計を掴む。それをオフにして元に戻すとするりとベッドから抜け出て小津の腕にぴったりとくっついた。

「いま、お腹鳴ったね」

「……うん、すごいお腹空いた」

 二人で寝室を出て階段を下りていく。ダイニングへ着くと光喜はテーブルに据えてある椅子に座り、小津はキッチンへと向かう。冷蔵庫を開けて取り出した牛乳をグラスに注ぐとそれをテーブルの上に置いた。

「ありがと」

「ちょっと待っててね。すぐ用意するから」

「うん」

 やんわりとはにかんだ顔が可愛くて、小津は思わず手を伸ばして撫でてしまう。それにますます頬を緩めて笑うものだから、誘われるままに柔らかなその頬に唇を寄せた。すると瞳がまたじっと自分を見つめてくる。
 期待を含んだ眼差しを向けられて、そのまま流すこともできずにまたついばむようなキスをした。二人きりでいると毎回毎回こんな調子だ。飽きることなく触れて口づけをして抱きしめ合う。

「オムレツと目玉焼き、どっちがいい?」

「んー、オムレツかな」

「わかった。待ってるあいだに顔でも洗ってきたら?」

「うん、そうする」

 立ち上がった光喜の頭を撫でて彼の後ろ姿を見送ると、再び小津はキッチンへ向かう。冷蔵庫の中身を物色しながら卵にウィンナー、レタスにキュウリにトマト、あとはなにがあるだろうと朝ご飯のメニューを考えた。
 朝はしっかり食べないと身体が動かない二人の食卓はいつも潤沢だ。バターの香りが漂い、コーヒーの香ばしい香りも広がる。ゆったりとした朝が今日もはじまりを迎えた。