13.胸に灯った優しい想い
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 勢いよく小津が二階へ上がって十分ほど。階段の先から声をかけられた。その声を聞いて光喜はゆっくりと階段を上っていく。ひどく緊張しているような顔で見つめられて、それがおかしくてまた笑みがこぼれてしまう。

「おーい、光喜。足元に気をつけて上れよ。お前、結構飲んでるんだから」

「えー、平気平気。そんなに足に来てないよ」

「あっ! こっち振り向かなくていい、前向け、前!」

 一階から見上げてくる二つの視線に振り向こうとしたら、視界が一瞬ぐにゃりと歪む。しかしとっさに光喜が手すりに手を伸ばすと、その手に大きな手が重なった。

「み、光喜くん! 大丈夫?」

「ああ、ごめん。大丈夫だよ。思ってるより酔ってたのかも」

 ひどく焦った顔で見下ろされて、光喜は思わず瞬きをしてしまう。しっかりと握りしめられた左手からは自分とは違う体温を感じた。

「あ、ここ、小津さんの仕事場?」

「ああ、うん。いつもここで作業してるよ」

 下から見てロフトになっていた場所は広いフロアになっており、大きな机と見慣れない工具が目についた。興味を引かれて近づけば、加工途中の型を取った小さなレザーがある。大きくて指も太い小津の手でこんな小さなものを扱っているのかと、光喜はまじまじと観察し始めた。

「ふぅん、なんかものすごく職人って感じだね」

「あ、光喜くんの誕生日はいつ?」

「え? 俺? 随分と先だよ。十二月」

「そっか」

 ふとしょんぼりした声に振り向くと、小津は考え込むような難しい顔をしていた。なにかを自分に贈ろうとしてくれている、その気持ちが伝わってきて光喜はやんわりと目を細めてその顔を見つめる。

「あ、もし良かったら今度なにか作ってよ!」

 思惑に気づかないふりをして光喜が小さく首を傾げれば、俯きがちだった顔が弾かれるように前を向く。きっかけができたことを喜んでいるのがありありとわかる、光を宿した視線は言葉よりも正直だ。

「う、うん。いまなにか、欲しいものある? プレゼントするよ」

「んー、そうだなぁ。あ、パスケース。いま使ってるのが結構古くなって買い替えようと思ってたんだ」

「わかった。じゃあ、進級祝いにでも」

「そんなに急がなくていいよ。もう三月に入って一週間も過ぎてるし、春まですぐだよ」

「大丈夫、任せて」

「んふふ、それなら楽しみにしてるね」

 やけにキリリとした顔で拳を握った小津に光喜はふっと息を吐くように笑った。すると目の前の顔がふわりと穏やかになって、眩しいものを見るみたいに目が細められる。その眼差しをまっすぐに光喜が見つめ返すと、ゆっくりと手が伸びてきてそっと頬を撫でた。

「顔色、ちょっと良くなってきたね」

 肉厚な手のひら、不器用そうに見える指先。それが優しくさするように光喜を撫でる。そのぬくもりは乾いてひび割れた心までふんわりと包み込んだ。小津から与えられる優しさは、それを受け止めきれない光喜にとってひどく苦しいものだった。それなのに胸の奥がとくんと音を立てる。
 ぽつんと心に落とされた小さな感情が柔らかな波紋を作った。

「あ、ご、ごめん」

「え?」

「勝手に触ったりして、って……あ、さっきも勝手に頭とか撫でたりしちゃって」

 慌てたように手を引っ込める小津に光喜は目を瞬かせてぽかんとする。まさかそんなことで謝られるとは思っていなかった。優しくしたい相手を労るのも、手を伸ばしてしまうことも自然の原理だ。それなのに本当に申し訳なさそうな顔をして小津は落ち着きなく手を動かす。

「小津さんって、奥ゆかしいの? 別にいいよ、触っても」

 目を丸くする小津の手を掴んで引き寄せる。それをそっと頬に宛がえば、目の前の顔が一気に真っ赤に染まる。その沸騰したみたいな顔を見て、光喜は至極楽しげに笑みを浮かべた。

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