80.新しい始まり
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 新しい恋を初めてから光喜は前向きになれたような気がしていた。心が豊かになって、立ち止まっていた足を踏み出せるようなパワーをもらう。疲れても、へこたれても彼のことを考えれば、また立ち上がれる。
 若いっていいね、なんて言われても、笑みしか浮かばない。頑張れば頑張るだけあの人は褒めてくれる。頑張ってるねって抱きしめてくれる。それだけでなにもかもが昇華される気になった。
 気づけば桜の季節から陽射しの暑い夏に移り変わり、二人の時間は刻刻と思い出を刻んでいる。

「時原! 三番の衣装」

「はい!」

「ちょっと光喜くん! これしわになってるからアイロンかけて!」

「はい!」

「ねぇ、借りてきたビロードのバックは?」

「あっ、それは衣装棚の」

 右へ左へ、あっちこっちへ走り回るたびに声をかけられて、立ち止まる暇もない。それでも嫌な顔一つせずに光喜は返事をする。けれど慌ただしい雰囲気がふっと静まったのを感じて、入り口へ視線を向けた。

「光喜、頑張ってる?」

「あ、渉さん」

 そこに立っているのは相変わらずの華やかさがある麗しい人。エメラルドの瞳を細めてひらひらと手を振られ光喜は足を止めた。するとゆっくりと近づいてきて、にんまりと笑みを浮かべて頭を撫でられる。

「こき使われてるみたいだね」

「でも、仕事は楽しいよ」

「そっか、宮原に珍しくありがたがられちゃった。いいのを紹介してもらったって」

 ふっと渉が視線を流した先には背の高い顔立ちが穏やかなイケメン。彼は向けられる視線に会釈を返す。話している相手が渉なので、立ち止まっていても怒られることがない。

「夏休みいっぱい仕事を詰め込まれたんだって?」

「あー、うん。割と詰め詰め」

「大丈夫? 恋人と時間は作れてるの?」

「うん、まあ、隙間を縫って会いに行ってる。今日もこのあと会う予定だし」

「そうなんだ。それならいいけど、あんまり無茶ぶりされるようなら俺にいいなよ」

「ありがと、渉さんにはすごく感謝してるよ。せっかく紹介してもらえたからには頑張るから」

 春を過ぎた頃、この先の目標もなく宙ぶらりんの自分が情けなくなって小津に相談をした。手に職が欲しいと言っていた光喜に色々ツテはあるけれど、まずは興味あることに目を向けてみたらどうかと言ってくれて、悩んだ結果、選んだのがスタイリストの仕事。
 モデルをやっていた時から光喜は裏方の仕事に興味があった。ものを作り上げる過程はわくわくするので、そういう縁の下の力持ち、のような仕事がしたいと思っていた。しかし光喜の誰の目も惹く華やかな容姿。腐らせるのはもったいないというところがほとんどで、一向にバイト先が見つからなかった。

 けれど藁を掴むような気持ちで渉に相談したところ、本気でやる気があるなら紹介してあげると言われた。いま光喜の上で指導している宮原は長年気難しい渉の元で専属に近い形で仕事をしている。
 学ぶことは山のようにあり、厳しいことを言われるのもしょっちゅうではあるが、それでも充実した毎日を送れている。

「よしよし、いい子いい子。その調子で頑張って」

「うん」

「光喜くーん! こっちお願い」

「あ、はい! じゃあ、渉さんまたね」

 くしゃくしゃと頭を撫でてくれた渉に笑みを返すと、やんわりと目を細めてひらひらと手を振られる。モデルの頃の光喜は綺麗に笑みを浮かべるものの、ひどく大人びた冷めた目をしていた。けれどいまの彼は作り上げられた笑みではない、自然と浮かぶ若者らしい笑顔。暗かった目はいまではキラキラと輝いている。
 光喜が持つその明るさは周りまで広く照らす。慌ただしく尖りやすい現場に柔らかさが満ちて、気持ちのいい笑みが溢れた。

「光喜くん、このあと飲みに行くんだけど、時間ある?」

「え? ああ、えっと」

「駄目駄目、時原はこれからデートらしいから」

「あ、そうなの? それじゃあ、急いで帰らなくちゃね」

「すみません、また誘ってください」

「ううん、クマさんによろしくね」

 相変わらず光喜の恋愛事情は周りに筒抜けだ。大っぴらに相手が男であることを口には出さないが、いつも一緒に仕事をしている面子にはもう知られている。腰にぶら下げているクマのキーホルダーが恋人の代わりだと言うことも。頬を赤らめた光喜に生暖かい眼差しが向けられた。

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