休息02
二人で暢気なやり取りをしていると、いつの間にか電車はトンネルに差しかかる。さほど長くない真っ暗なその中を過ぎれば、途端に外の景色はその様子を変えた。マンションやらビルやらが立ち並ぶ賑やかな風景とは一転、背の低い昔ながらの家や田畑が一帯に広がる。
「さすがにこの辺まで来ると全然雰囲気が違う。田舎って感じがやっぱりいいよな」
緑の青さが眩しく、縦に伸びる建物もない。電車に乗って一時間ちょっとで見違えるほどに風景は変わる。空がいつも以上に高く広く感じて清々しい。いまは仕事の利便性で大きな街に住んではいるけれど、自分にはこちらのほうが性に合う気がする。
「この辺り知ってるんですか」
「ん、実家が近いかな」
僕の答えにふと外へ視線を向ける藤堂。その視線の先にある一際背の高い鉄塔を僕が指差せば、藤堂は小さく首を傾げて振り返った。
「あの鉄塔の近く」
いつも実家へ帰る時にはこの電車に乗っているので、目印の鉄塔もすぐに目に入る。
「へぇ」
「ど田舎だけどな。昔は夏になるとそこら中、裸に裸足で駆けずり回ってる子供がたくさんいたよ」
いまでこそ路面がアスファルトに変わり、そんな光景は少ないけれど。それでもやはり田舎らしい田舎だと思う。利便性に慣れた都会の人には窮屈に感じるかもしれないけど、昔懐かしい雰囲気があって僕はいまも実家が好きだ。隠居するなら絶対にあそこにするとさえ思っている。
「夏休みにでもうち来るか? この辺、夏は涼しいからいつもこっちに帰ってくるんだ」
「え?」
「山も川もあって、陽が暮れるとみんな家に帰るような田舎だけどな」
そう言って僕が笑えば、藤堂は目を丸くしながらこちらをじっと見る。固まったように動かないその姿に目の前で手を振れば、やっと藤堂は我に返った。
「いいんですか?」
「藤堂が嫌じゃなければ」
「嫌じゃないです」
大きく首を左右に振る藤堂の姿に僕は思わず肩を震わせ笑ってしまう。時々、ふとした瞬間見せる藤堂の油断した表情が好きだ。
「だったら、どこかで予定を空けておけよ」
今年の夏は楽しみが一つ増えた。藤堂にも僕の田舎を気に入ってもらえたら嬉しいなと思う。夏祭りや花火大会なんかも色々あるけれど、どれか一つにでも予定が合って行けたらいいなと、いまから浮かれた気分になってしまった。
「あ、この辺を知ってるってことは行ったことありました?」
「ん? ああ、いや、まだ行ったことない。と言うか知らなかった」
毎年実家へ帰ってはいたが、実のところ近くに自分の好きな場所があったとは知らなかった。もし知っていたらそれこそ僕は入り浸るだろう。だからこそ家族の誰一人、僕にそのことを知らせなかったのかもしれない。僕が実家に帰る時にはなぜか家族が全員集合するので、単独行動すると嫌がられるのだ。
「まあ、ここ最近出来たみたいですしね」
ほんの少し口を曲げた僕を見て、藤堂はなだめるようにやんわりと微笑みを浮かべた。
田舎の風景を見ながらさらに四十分ほど。電車からバスへ乗り換え、ようやく目的地に着いた。バスターミナルにゆっくりと入り、園内への入り口前でバスは停まる。やはり連休中ということもあって人は多いが、それでも街中の人混みよりもずっとマシだ。
「大丈夫か」
半ば寝ぼけた様子でバスを降りてくる藤堂を振り返れば、噛み締めた欠伸と共に小さく頷く。その仕草に僕は思わず笑ってしまった。ちょっとだけ歳相応な雰囲気が感じられて可愛い。
「朝早かったしな」
いまの時刻は九時半を少し回ったところだ。移動時間などを考えても、間違いなく今日は普段の起床時間よりかなり早かったはず、ましてや朝が弱い藤堂ならなおさらキツかっただろう。
「まあ、それなりに」
その証拠にそう口ごもる藤堂は電車からバスに乗り換えてすぐに舟をこぎ出した。ここへ到着するまでかなり深く寝入ったのか、人の肩を枕にぐっすりだった。最初はその重みに恥ずかしいやら嬉しいやらでドキドキとしっぱなしだったが、時間が経つにつれなんだか寝顔が可愛くて、小さな幸せを噛み締めてしまった。
「そういえばさっき近くに座ってた子たちに、降りる間際、微妙な反応されたんですけど。寝てる時に俺、寝言でも言いました?」
「いや、言ってないぞ。うーん、なんだろうなぁ」
バスに乗っている時に藤堂が寝ているのを、何度も振り返って見ている四人組の女の子たちは確かにいた。そのちらちらと向けられる視線は正直言うと気分のいいものではなかった。けれどなぜか彼女たちは僕を追い越して行く際に、満面の笑みで仲いいですねと言って通り過ぎて行った。あれは一体どういう意味だったんだろうか。
「端から見たらどう見えると思う?」
彼女たちもそうだけれど、ほかの人から見たら一緒にいる僕たちはどんな風に映るんだろうか。学校の中にいるとこんなことは思いもしないが、こうして二人で外へ出るとふとそんな疑問が胸をよぎる。
「え? 俺と佐樹さん?」
「ん、そう」
なんの脈絡もない僕の問いかけに藤堂は眠たげな眼差しを一変、目を丸くする。しばらく瞬きを繰り返してから、顎に手を置き僕をじっと見つめる。
「どうですかね。普通に友達か、先輩後輩くらいの間柄じゃないですか。俺も普段はあまり歳相応には見えないって言われるし、佐樹さんは自分で思っているよりずっと若く見えますよ」
「ふぅん」
「佐樹さんはもうちょっと自分に自信を持ってもいいんじゃないですか」
反応が薄い僕の様子に、藤堂は困ったように苦笑いを浮かべる。
「親戚のおじさんとかじゃなくてよかった」
ポツリと呟いた僕の言葉に藤堂は困ったように笑う。確かにこの十五年の差はどう足掻いても縮めることなど出来ないのだから、気にしても仕方がないとわかっているのだが。やはり周りから不釣り合いだと思われたりするのは嫌だなと思った。
「気にし過ぎです。佐樹さんは十分、可愛いですよ」
「可愛いは余計だ!」
「ほら、そんなことより行きますよ。せっかく早起きしたんだからゆっくりしたいでしょ?」
「あ、うん」
急に藤堂に腕を取られ、軽く引っ張られるように僕は歩き始めた。そして僕らは大きな門に出迎えられる。
それを見上げた僕は、この先の楽しみでどうしても自然と頬が緩んでしまう。動物園に来るなんて何年ぶりだろうか。随分と来ていなかった気がする。本当に久しぶり過ぎて、僕はその気持ちを隠しきれずにいた。
「佐樹さんがここまで動物園好きだったとは思わなかった」
「いまちょっと馬鹿にしたろ」
「してませんよ。可愛いって思っただけです」
目を細め笑った藤堂に何度もしつこいと文句を言えば、さらに楽しそうな表情を浮かべられてしまう。
遊園地より動物園――小さい頃からこっちのほうが好きだったようで、母親によく安上がりな子だと言われた。一日なにをするでもなくふらふらと園内を歩き、そこへ連れて行けば大概機嫌がよかったといまでも言われる。
「藤堂、動物好き?」
今更ながらにそう聞けば、藤堂に至極優しく微笑み返された。
「好きですね。佐樹さんと一緒で裏表なくてピュアだし、癒やされますよ」
「お前、さっきから一言余計だ」
朝からいままで何度となく囁かれる甘い言葉に、いい加減耐えられなくなってくる。言い方がさり気なくて余計にむず痒い気分になるのだ。嫌じゃないけど恥ずかしい。
「嘘じゃないのに」
ムッとして口を歪めた僕に対し、藤堂はほんの少し眉を寄せて小さく首を傾げる。けれどそんな表情は見なかったことにして、僕は入り口へと向かった。