第十九節気 立冬

初候*山茶始開(つばきはじめてひらく)

 食事というものは、日常に則している。と、暁治は思う。
 逆に遊びに出かけたりするようなイベントは、非日常だろう。となると外食は日常と非日常の間にあるのかもしれない。

「ただいまっ、七番目の兄者! 僕いつもの食べたい」

「ここではマスターと呼べ末っ子。大盛りナポリタン、ソーセージマシマシ、玉ねぎ抜き、だな」

 カラリと鳴る扉を開けた瞬間、手を上げて元気にそう言った朱嶺に、中にいた男がそう返してきた。
 ここは喫茶リョン・リヨン。暁治たちの通う大黒高校そばにある、喫茶店だ。

「どこかの呪文カフェのメニューみたいだな。おれはラーメンライス、ご飯は炒飯にして餃子付けるにゃ――じゃない『にゃ』はなしにゃ」

 暁治の隣に座ったキイチが、メニューを横目に呆れた声を出した。いつものように、暁治がサンドイッチ状態である。

「猫屋殿、『にゃ』がついてるでござる」

 鷹野が水とおしぼりを置きながら、突っ込みを入れた。

「こちらは生きゅうり三人前お願いしますぞ」

「喫茶店にそんなメニューあったか?」

 河太郎の言葉に暁治が首を傾げつつメニューを見ると、ちゃんと載っていた。たまに来るお仲間用らしい。さすが店主が妖なだけある。

 詳しくは聞いてないのだが、店主は朱嶺の七番目の兄だ。朱嶺のことを末っ子と言っていたのは、鷹野は朱嶺の弟弟子で、弟ではないからである。

「正確には拙僧は烏天狗、兄ぃは天狗でござる」

 暁治にコーヒーを給仕しつつ、鷹野が答えてくれた。師弟関係、なかなかややこしい。

「俺はカツカレーセット。味噌汁は大盛り豚汁で。それとデミグラスハンバーグひとつ、テイクアウトでお願いします」

 お持ち帰りは桃の分だ。一度テイクアウトしたら、すっかり気に入ってしまったらしく、次はいつ行くのかと、催促されていた。
 彼女とのコミュニケーションは、もっぱらボディーランゲージだが、最近は暁治のアトリエで絵を描くのがお気に入りで、ハンバーグの絵ばかり描いている。

 少し考えて、ご飯もつけてもらう。今日は米を炊かず、ここで夕飯を済ませるつもりだ。
 見事にバラバラなメニューを書き留めることもなく、マスターは「わかりました」と頷く。
 今日は珍しく他に人がいないが、満員でも同じだ。それでいて、暁治が知る限り、彼が間違えたことはない。すごい記憶力である。

 家にいる桃にメッセを送った。最近スマホの扱いを覚えた童女は、家でテレビを見ながらスマホを弄るのが楽しいらしい。お子様用フィルターをかけてはいるが、変な影響を受けないか心配だ。

 昼ドラもよく見るのか、この役者が好きなのだと、先日もCMに出てくる男を指差していた。どうやら背が高く、細マッチョタイプのイケメンが好きらしい。

「え、じゃぁ桃ちゃん僕とかタイプじゃない?」

 いつだったか、みんなで机を囲んでお茶をしていたとき、朱嶺がそんなことを聞いていた。なんて図々しいやつだろう。朱嶺はイケメンというより、美形と言った方がしっくりくるが、顔がいいのが事実なだけに腹立たしい。

 だが、「やぁ、困ったなぁ」とわざとらしく頭をかいた朱嶺を指差した桃は、次に自分の顔を指差して、頭の上で指先をちょんっと合わせて大きな丸を作り、続いて自分の胸を人差し指で突いて、胸の前で大きなバツを作った。

 ――顔は好みだが、性格がちょっと。

 清々しいほど正直な意見である。

「ひどいっ! じゃぁ桃ちゃんのタイプって?」

 言われて桃は、ちらりと暁治を見ると、ぽっと頬を染めて両手を当てた。

「もしかして、桃ちゃんが出てきたのって、暁治が好みのタイプだったからかにゃ……?」

 衝撃の告白に、キイチが柿を食べながら尋ねると、えへへぇと意味深な笑顔を浮かべて、右手を口元に持っていき、なにやら食べる仕草をする。

「ご飯も美味しくて好きだって? もう、はるの浮気者!! 僕や駄猫だけじゃなくて、幼女もたぶらかしてたの!?」

「人聞きの悪いことを言うな!!」

 自慢ではないが、暁治は今までモテたことがない。彼女がいたことはないではないが、知らぬ間に振られていた。ここに来て妖連中にやたら好かれている気がするが、嬉しいかと聞かれると微妙だ。
 まぁ、桃は可愛いのだが。

 そんなわけで、今もリヨン・リヨンで食べて帰ると連絡したところ、『ちよこけき』と、返事が来た。
 普段は喋らない桃なのだが、スマホのおかげで意思の疎通がたやすくなった。それでも小さな手でフリックは難しいのか、短文でひらがなが多い。

「ちよこけき――チョコレートケーキだな」

 暁治の向かいからスマホを覗き込んだマスターは、あっさり解読すると、冷蔵庫から卵を三つ、取り出した。
 この店には何種類かスイーツを常備していて、チョコレートケーキもある。今日はガトーショコラとチョコシフォン。一介の喫茶店で提供するには種類が豊富だ。

 だが、桃のお気に入りは、チョコスポンジに、たっぷりのチョコのホイップクリームといちごでデコレーションしたチョコレートケーキで、日持ちしないこともあり、滅多にお目見えしないもの。
 前に一度朱嶺が持ち帰ったところ、いたく気に入ったのをマスターに話したらしい。

「童様のリクエストには答えないとだ」

 ボウルや泡立て器などを準備し始める。どうやら今から作ってくれるようだ。

「七番目の兄者! いちごいっぱいサービスしてね!」

 ホール丸ごとお持ち帰りする気らしい。ここの財布は暁治なのだが。

「あぁ、ケーキ代はいらない。童様へのプレゼントだ」

 察したのか、マスターが請け合ってくる。そう言えば、前のときも桃の分は受け取ってくれなかった。

「童様は我らの姫、だからな」

「そうなのか」

 どうやら桃は彼らにとって、特別な存在のようだ。代わりというならまた来てくれと言われ、もちろんと答える。高校の近所とか、朱嶺の兄とかだけではなく、ここは居心地いいし、なによりご飯が美味しい。
 だが、砂糖や小麦粉の分量を量り始めたマスターに、朱嶺が声を上げた。

「七番目の兄者! 僕のナポリタンは?」

 てしてしと、朱嶺が机を叩いて催促する。マスターは弟をちらりと見た後、「後でな」と一言。兄だといつものように反論しづらいらしい。

「こっちのが効率的だ」

「えぇ~っ、僕お腹空いたよ~」

 ひょろりとしたシルエットのマスターは、卵を泡立てる姿も様になる。確かにケーキの焼ける時間を考えると、彼の言う通りである。どの道彼らが持って帰るものなのだ。
 お腹空いたと、ぶーぶー文句を言う末っ子に、七番目の兄者は顎をしゃくった。

「早く食いたいなら手伝え」

「え~?」

 しょんぼり顔の朱嶺は店員に顔を向けるが、重々しく首を振られた。残念ながら鷹野は給仕はできるが、作ったりはできない。
 情けなくテーブルに突っ伏す朱嶺がおかしくて、暁治はくすりと笑った。

「俺が作ってもいいですか?」

 立ち上がった暁治は、カウンターの中を指差す。マスターは手を止めると、しばらく暁治を見た後、朱嶺へと視線を向けた。

「末っ子の嫁なら、まぁ、いい」

「あの、俺は嫁じゃないですよ」

「親父殿はなにか言っているようだが、自分は別に構わない」

「だから嫁じゃなくて」

「ナポリタン、作ってやってくれ」

「……はい」

 腕もよく、居心地のいい店のマスターの欠点は、人の話をあまり聞かないとこだろうか。言いたいことだけ言って、自分の作業に戻ったマスターに、そいやここにいるメンツで、人の話を聞くやつは誰もいないのを思い出す。妖とは得てしてそうなのか、こいつらがたまたま揃っているだけなのか。

 鷹野から予備のエプロンを借りると、カウンターの中に入る。すぐ作るつもりだったのだろう。材料はすでに準備されていた。
 麺を茹でながら、刻んだ具を炒める。思わずなにか口ずさみたくなる、今のBGMは秋の歌。山茶花の歌詞が流れてきて、先日の焼き芋大会を思い出す。焚き火と落ち葉だ。

 タイマーを睨みつつ、時間との勝負である。だがふと、自分が作ってもよかったろうかと、疑問が浮かんだ。作る手順は暁治と変わらないはずなのに、マスターの作る方がいつも美味しく感じていたからだ。暁治は迷いつつ、マスターに言われるままにケチャップを混ぜて味を整える。

「あ、これも」

 最後にマスターは、そこにあった瓶を開けると、フライパンの上からぱぱっとかけた。

「お好み焼きソース!?」

 思わず叫んでしまっても、仕方あるまい。

「うちの美味いだろ?」

 目を見開いた暁治に、マスターは端正な顔を和らげて、悪戯っぽい笑みを浮かべる。思い返せば、彼のナポリタンに足りないのは、確かにその味だ。意外な取り合わせに、暁治が口を開きかけると、カラリと、店の扉が開いた。

「あ、やっぱりここにいた」

 視線を向けると、石蕗が立っている。彼は笑顔で人差し指を立てると、くるりと自分の後ろを指差した。

「宮古先生、お客様ですよ」