第15話 ようやく終わった昔の恋
もし想像が確かなら――優哉は西岡以外には絶対振り向かない一途な男だ。
一真のように寂しさを紛らわして関係を持つ、いい加減な人間とは違う。
希壱に比べられたらと思うとゾッとする。
「情緒不安定?」
「こいつは意外と繊細なんですよ」
「優哉のほうが峰岸をよく知ってるもんな」
「腐れ縁ですね」
一真がうな垂れている傍で、暢気に会話する二人の声にやや肩の力が抜ける。
(マジか、まじか……確かにこいつじゃ見込みがねぇけど。なんでよりによって俺に転がったんだ? 俺よりいい男なんて、世の中にごまんといるだろうに。俺なんて所詮、顔が少しばかりいいって程度だろ?)
現実的にものを見れば、自分を三年も心の片隅に置いていたなど、信じられなくなってくる。
だがこれまでまっすぐに希壱が見つめていたのは、間違いなく一真自身だった。
頭ではわかるものの、にこやかに恋人に笑う優哉と、一真の人間性は天と地との差。
多少Sっ気のある性格で腹が黒くとも、人としての出来は断然優哉のほうが上だ。
本当に片想い相手が彼だったとしたら、一真はこれから先の自信を喪失したくなる。
(結婚式の時に気づいた、って言ってたからな。優哉が海外に行ってるあいだ、俺が近くにいたからコロッと?)
黙々と一真がリゾットを口に運ぶと、また顔を見合わせ、二人が心配そうな視線を向けてきた。
「いまの時期は忙しいから、相手に気楽にいつでも会おうって、言えないからな」
「佐樹さんも帰りが遅いですもんね。……間男って言っても、ただの友達かもしれないんだろ? 確認する前に思い込むなよ」
「いや、俺の良さがわからなくて」
「峰岸の良さ?」
「お前、顔だけだろ」
「こら、優哉!」
「冗談ですよ。少なくともこいつは他人の感情に敏感で繊細だから、本当に他人が傷つくことはしない。逆にこうやって、敏感になりすぎて自分が傷つくやつです」
伸びてきた手に、ぽんぽんと頭をあやすように撫でられ、一真は驚いて俯きがちだった顔を上げる。
そこには呆れつつも心配をする、一番気の合う親友がいた。
(そういえば希壱、彬人ってやつと趣味も話も合うって言ってたな。――でも俺は希壱とは趣味も好みもそれほど合わない。いつも合わせてもらっているような。似たもの同士なんて言葉があるけど、そういうのってこの二人みたいに、あとからついてくるものだよな、たぶん)
目の前の二人は性格が真反対だ。
まさしく陰と陽くらいに。だからこそ噛み合っていて、お互いで支え合っているのだろう。少々依存の傾向が強いが、お互いにそこも理解した上で傍にいる。
希壱たちは意気投合し、楽しめる相手だから友達を選んだ。
甘酸っぱい恋愛関係よりも、そちらのほうが長く付き合えるからの判断だったに違いない。
これで本当に他人の物になるのが惜しいから、という男だったら――さすがの一真も、希壱に関係を改めろと言いたくなる。
「そういやお前、フラれに来たんだったな。俺はクソ面倒くさい、お前の面倒なんて見るのは冗談じゃないからお断りだ」
「ゆ、優哉」
「とりあえずしょげてないで、まっすぐ相手と向き合えよ」
「うん。僕もその相手、大事にしたほうがいいと思うぞ。いまこうして悩めるくらいなんだから、峰岸にとって一生ものな気がする」
「まあ、今日のフラれるという目的は果たしたから、最善を尽くすか」
久しぶりに二人揃った姿を見て、改めて一線を引き直したら、くすぶっていた感情が一真の中から綺麗さっぱり消えた。
(希壱の片想い相手は気になるが、これで少しはまともに向き合えるか? まずは希壱の誤解を解くのが先だよな)
いまだに希壱は、一真が自分を想っている事実を知らない。
一真が妙な意固地で先延ばしにして、タイミングが見当たらなくなると言う。本当に馬鹿馬鹿しい状況だ。
「まったく、こんな些細な引っかかりで、十年も立ち止まるとか。ほんと馬鹿だな」
「うるせぇ、いま自分でもバカだと思った」
「気にするな峰岸。優哉はほんと峰岸にだけは天の邪鬼だな。いまのままで大丈夫だろうか、ってずっと心配してたくせに」
「佐樹さん、余計なこと言わない」
「……っ、知ってる。こいつツンデレだからな。でも仕方ねぇだろ。あんたたちが仲良すぎて、そういうのを俺が他人と築く――なんて想像できなかったんだよ」
本当にこの二人の絆というものは、半端ではない。
十四も歳が離れていて、当時は教師と生徒だった。
色々なことを乗り越え、こうして笑っている二人を見ると、自分にそんな大それた真似ができるのか。と怖じ気づくのは当然だろう。
「僕と優哉と峰岸、みんな違う人間なんだから。みんながみんな、同じような関係じゃなくていいと思うぞ。峰岸と相手の人。二人ならではの関係を築けばいい」
「センセは相変わらず優しいな。誰かさんとは大違いだ。このあと時間あるならデートしに行こうぜ」
「おい、調子に乗るなよ」
「あはは、ようやく峰岸らしくなった」
食後もしばらく、三人で他愛ない話を続けていた。しかし夕方からの営業に向けて優哉は仕込みがあるので、図らずも一真は西岡と一緒に店を出ることになった。
調子に乗って変なちょっかいを出すな、と優哉に釘を刺され、一真は苦笑いを浮かべて「また来る」とだけ返す。
「峰岸のおかげで、久しぶりに口の悪い優哉を見た。いつもの丁寧で優しい優哉もいいけど、たまに見るあれもいいよな」
「あいつはセンセにだけは、いい顔したい男だからなぁ」
「うん。でもある意味、どっちも素だし。僕は気にしないんだけどな」
にこやか優等生スマイルの優哉も、毒舌でツンがすぎる優哉も、一真と西岡の中では彼らしい姿なのだ。
「峰岸、ありがとうな」
「なにがだ?」
ふいに礼を言われて一真は首を傾げる。いま礼を言うのは、西岡より自分だと思えた。けれど黙って答えを待つと彼はふっと笑う。
「峰岸は自分のこととなるとさっぱりだな。僕と優哉がいまこうしていられるのは、峰岸のおかげだよ。当時は嵐みたいな男だなって思ってたけど。僕らを振り回して、背中をひっぱたいてくれて。だから、いまがある」
確かに一真は二人のあいだで、散々好き勝手をした覚えがある。
最後のほうは西岡に肩入れしすぎて、うだうだして、へたれてばかりの優哉はやめて自分にしておけ――
なんて言った覚えもあった。
しかしいま振り返ると、現実的に考えて。十八歳になったばかりの、大人とも子供ともつかない中途半端な学生の立場。
優哉が臆面なく、世間に立ち向かえなかった理由もよく理解できる。
外野だから言える部分もあったのだ。そしてなにより一真自身もまだ子供だった。
「俺は、さ。二人はどうしたって、離れられないんだろうなって思ってた。だけど四年も離れてまた笑って再スタートをしただろ。二人はすげぇなぁって。俺はそのあいだ、なにもせずに腐ってただけだった」
「そうかな? 峰岸はずっと自分と向き合って、戦ってるように見えたぞ」
「ふぅん。そうか?」
優しく笑った西岡に、一真は曖昧な相づちしか返せなかった。
キラキラと眩しかった青春時代。留まっているのは楽で、幸せで――
だけれど本当はもっと前へ、未来へ進みたい。そう心の中で思っていたのだろうか。
「いまはやっと、羽を休める場所が見つかったんだな」
「だといいけどな」
「本当に、峰岸は人のことばかりで、自分に関してはまるで疎いな。ちゃんと相手の人と話し合うんだぞ」
「……ああ」
いまこの歳になって、一真はようやくわかった。人は恋をすると、誰かを心の底から想うと、臆病になる生き物なのだ。