友人たちの嘘
非日常というものは、通り過ぎると夢や幻のように思えてしまう。
現実の慌ただしさに追われているうちに、思いがけずカメラを構えたあの日から、二週間も過ぎていた。
いつもなら少しばかり長く感じる時間が刻刻と過ぎていき、焦りすら覚える。
学校の講義を終えて、幸司はじっと食い入るようにスマートフォンを見つめていた。
伏せては手に取り、伏せてはまた手に取る、という挙動不審さを発揮しながら。
「ああっ、俺の意気地なし」
ついには机に伏して、幸司はスマートフォンを額の下に敷いた。それとともにため息が一つ。
この小さな機械が音を鳴らすのを、こんなに待ちわびた時はない。あれが本当に夢であったらどうしよう、などと考えて呻きながらうな垂れる。
行われた撮影は幸司史上ナンバーワンのスムーズさだった。それを夢にしておくなんてもったいない。あんな経験はそうできるものではないだろう。
いつもであれば緊張でミスをする場面も、明るい真澄に和まされた。すんなりと出てこない言葉も、その時ばかりはするりと紡げて、百枚というカットも無事に撮り終えることができた。
アシスタントの仕事だけでは味わえない経験だ。だが夢であったら、そう思うのは撮影だけではない。
いや、むしろ一番の気がかりは、あの華やかで麗しくていい香りがする、真澄その人だ。
お願いを聞くからお願いを聞いて、という話だったが、幸司のお願いはいまもまだ果たされていない。音信がないまま二週間が経っていた。それでも帰り際に連絡先を二つもらった。
美容院の店長だというハーフみたいな顔立ちの野坂と、約束をした真澄のもの。
いつでも連絡してね、と笑っていたけれど、帰り際に野坂が幸司に耳打ちしてきた。真澄とは絶対に一対一では会わないほうがいい、と。
もしかして牽制、この二人は恋人同士か――そんな考えも浮かんだが、その可能性は薄そうだった。
野坂は結婚指輪をしていたが、真澄は指輪を身につけていなかった。
それならば片想いくらいしても、許されるのではないだろうか。
そう思うものの、その言葉が引っかかって、自分から連絡ができないでいた。
「はあ、そもそも俺みたいな冴えない男と、あんな綺麗な人じゃ釣り合わない。夢は見るもんじゃないな」
しばらく唸っていたが、諦めたように幸司は身体を起こした。今日はもう講義はおしまいだ。
さっさと家に帰ってしまおうと、教科書やノートを鞄に突っ込む。
人肌で温くなったスマートフォンはポケットにしまい、鞄を肩にかけた。
「おーい、幸司!」
「良かった! まだ帰ってなかったんだな」
「あ、原ちゃん、富くん、なにか用事?」
廊下へ出たところで、大きな声に呼び止められる。振り向くと見慣れた顔が二つあった。数少ない幸司の友人、原田と富岡だ。
もっさりとした幸司の容姿とは対照的な、いまどきの青年たちだが、いつも気安く遊びに誘ってくれる。
「俺たちこれから飲みに行くんだけど、時間あるか?」
「飲み? うん、あるよ。どこに行くのトリ屋?」
「いや、もっといいとこ」
普段の三人の行き先は、最寄り駅の近くにある焼き鳥屋が定番だ。そこではなくいいところ、ならばバイト代が入った時に行く、少しばかりリッチな居酒屋か。
けれど二人はそのどれとも違うと笑った。
普段あまり言葉を濁さない二人の笑みを訝しく思うが、根本的に幸司は人を疑うということを知らない。
両脇を固められて、連れて行かれた場所に着いた頃、ようやく友人たちの小さな嘘に気づいた。
そこはフレンチレストランだった。男三人でならまず訪れない場所だ。だがそれは男三人だけ、ならばの話。
三人並んで腰かけた向かい側に、普段接する機会が少ない女の子たちが座った。
友人たちと並んで座る時点でおかしいと思ったけれど、幸司が問いかける前にこの場面が完成してしまった。
緊張のバロメーターは上がる一方だ。
しかし逃げ出したい状況だとしても、ここで声を上げて帰るのは、彼女たちに泥を塗る行為であるとわかる。
とはいえ極度のあがり症は、我慢をすれば治るわけではない。
和やかに自己紹介などをしている彼らの声が、次第にうるさい心臓の音で遠ざかり始める。
いますぐ帰りたい――面接の時の気持ちが甦って、握りしめた手に汗を掻いた。
「ほら、幸司。挨拶、挨拶」
「美人さんから連絡ないなら、ここは新しい出逢いだって」
「……む、り」
両脇に座った友人たちに肘で小突かれたけれど、喉はもうカラカラで掠れた声しか出ない。
確かに連絡がないと彼らにぼやきはしたが、こんな配慮はいらなかった。むしろ逆効果だ。
いまほど友人たちを恨めしく思ったことはない。
俯いたまま顔を上げられないでいる幸司に、二人はあれこれとフォローしてくれる。
気の優しい友人たちなのは確かなのだ。いまはその気遣いが空回ってはいるが。
「ねぇ、君、顔上げてよ」
「……えっ?」
もう自分は無き者として楽しんでくれと、頑なに俯いた姿勢を通してどのくらいか。
原田と富岡はお目当ての子と席を離れて、バルコニーやバーカウンターへ行ってしまったようだ。
それでもなお置き石のように固まっていたら、ふいにすぐ傍で人の気配がした。三対二という場面を考えれば、自分のせいであぶれてしまった女の子だ。
どうしようかと考えあぐねていると、その人は横にある椅子を寄せてぴったりと寄り添ってきた。
初対面で積極的すぎやしないか。無意識に逃げ出そうと幸司の腰が浮いた。
だがそれより先に、汗でぐっしょりとした手を握られて、全速力で駆け足し始めた心臓が痛み出す。
けれどあの人もためらいなく握ってきたなと、ふっと思い浮かんだ人に心が惹き寄せられた。
「顔を上げてよ、こ、う、ちゃんっ」
「ええ?」
ぼんやり真澄のことを思い返していたら、隣の彼女は腕に身体を寄せて抱きついてきた。しかしいまはそれよりも、その口から紡ぎ出された呼び名に驚く。
バッと音がしそうな勢いで顔を持ち上げると、二週間前にも見た麗しの人がいた。