Love you/01

休日の街中は人で溢れている。昼前からこんなにもたくさん人が出歩いているのだなと、あくびを噛み締めながらぼんやりと人波を見つめる視線がひとつ。神谷雪羽かみやゆきはは人が賑わう駅からほんのわずか離れたコンビニの壁にもたれていた。

 楽しげな様子で目の前の横断歩道を渡り歩いていく友達、恋人、家族。様々な人がそこを通り抜けていく。普段休みの午前中は寝ている雪羽にはそれは少しばかり驚きの光景だった。
 人は寝だめができないと言われるが、平日でも遅刻ギリギリまで寝ている雪羽にとって休日とは、目覚まし時計に起こされることのない最高な日だった。しかしそんな雪羽が珍しく休日の早い時間にこうして街中にいるのには訳がある。

 先月バレンタインデーに恋人の葛原日向くずはらひゅうがにねだられて、手作りチョコというものを生まれて初めて作った雪羽は、そのお返しをするという日向とデートの約束を交わしたのだ。
 ホワイトデー当日は平日ということもあって、ゆっくりと出かけることができないからと週末の日曜日ということになった。それでも当日は小さな包みに入った飴を日向はくれた。
 それだけでも充分だと雪羽自身は思ったのだが、日向はそうは思わなかったようだ。

「早く着きすぎたな」

 何度もついて出るあくびをまた噛み締め、雪羽は腕時計に視線を落としてコンビニの中へ足を踏み入れる。時刻は九時四十五分。待ち合わせの時間は十時だった。
 なぜ遅刻魔である雪羽がこんなにも早く約束の場所に着いているかというと、いつもは目覚まし時計と母親の声でやっと起きるところだが、思わぬことに普段よりも早く目を覚ましてしまったのだ。
 再び寝ては遅刻しそうだと不安がよぎった雪羽は、そのまま起きて身支度を調えると家を出た。そして約束の駅に着いたのは九時三十分頃だった。

 コンビニに入るとのんびりとした店員の「いらっしゃいませぇ」という間延びした声が響いた。駅前のコンビニということもあって客は多い。眠気覚ましにガムでも買おうと、人を避けながら目的の場所へ若干遠回りしながら歩いていると、ふと自分の姿が目に入った。
 飲み物が入ったショーケースだ。それを雪羽は思わずじっと見つめてしまう。

「地味」

 ぽつりと自分で呟いて雪羽はへこんだ気分になった。春になったら高校二年になるというのに身長はいまだ百六十センチ。一年間の伸びたセンチメートルを聞けば伸びたと言えるが、元々低かったのにたったの五センチ伸びたところで小さいことには変わりない。
 顔は不細工ではないと思うが、それほどはっきりした顔立ちでもなく、黒髪の癖っ毛のほうがやけに目立つ。

 一応名目はデート、しかも初めてなのだからと、昨日の夜に姉を巻き込んで着る服を選んだ。あまり子供っぽく見えないようにしたくてパステルカラーは避けた。
 雪羽の姉は渋ったが、最後まで頑なに首を振った弟に大人っぽい雰囲気が少しでも出るようにと、クローゼットの中にある少ない服をあれこれ引っ張りだしてコーディネートしてくれた。

 淡いパープルと濃いパープルのシンプルなボーダーのカットソーに、白に近いグレーのジャケット。そして細めのブラックデニムにスニーカー。
 着ている人間がそれなりだったらもう少し映えるのに、そう思いながらため息ひとつ吐いて、雪羽は目的のガムを手にレジに向かった。

「あ、ヤバっ、着いた?」

 レジで会計をしていると携帯電話が鳴り出し、慌てて小銭で支払いガムを掴むと、雪羽はコンビニを飛び出した。そしていまだ鳴り続ける携帯電話の画面を見て、手にしたガムを斜めがけにしていた鞄に放り込むと、急いで画面を指先でスライドさせる。

「もしもし雪羽?」

「日向もう着いたのか?」

 電話から聞こえてきた声に思わずそう問いかけると、一瞬の間を置いて訝しげな声が聞こえてきた。

「もしかして遅れてるのか?」

「お、遅れてはない。いる、コンビニの近く」

 普段の遅刻ギリギリを知っている電話の向こうの日向は、一瞬まさかという考えをよぎらせたようだ。慌てて訂正をするとホッと息を吐いたのが電話越しでも伝わり、雪羽は申し訳ない気分になった。

 いま着いたばかりであろう日向を探して駅のほうへ視線を向けるが、人の波が多くて背の低い雪羽は駅から吐き出されてくるその波に埋もれてしまう。
 けれどふいに前へ進もうとする雪羽の肩を背後から強く掴む手があった。驚いてその手を振り返ると「すれ違うとこだった」という耳元と同じ声が目の前でも聞こえた。

「日向っ」

「なんかいつもと雰囲気が違うから見過ごしそうになった」

 目の前に現れた日向は雪羽を見下ろし苦笑いを浮かべる。しかし自分を見上げる顔を見てその笑みは次第に緩やかなものに変わっていく。癖毛の黒髪を撫で梳き、触り心地のいい頬をいつものように撫で回し始めたところで、急に顔を赤くした雪羽にその手を止められた。

「馬鹿、ここ外だって」

「お前が可愛いから」

「なっ、なに言ってんだよ。それでなくても日向は目立つんだから」

 再び顔を赤くした雪羽がちらりと上げた視線の先。そこにいる日向はとても人目を引いていた。それの多くは女性で、大げさに振り返る人もいる。
 けれどそれは納得のいくもので、雪羽の目の前に立つ日向は自分より頭ひとつ分は背が高く、色素の薄い茶色い髪と瞳。目鼻立ちのはっきりしたどこか日本人離れした風貌。それはバランスよく整っていて、女性だけでなく時折男性まで振り返ってしまうほどの華やかさがある。

 葛原日向という男はモデルや芸能人かなにかかと思える容姿なのだ。
 普段の制服姿とは違い今日の日向ははラフな服装だった。シンプルな白いジャケットにダークブルーのシャツ。下は黒のボトムで足元は黒の革靴。そしていつもは結うことのない長めの襟足は珍しく首元でまとめられていた。その姿はあまり高校生らしさを感じない。

「まぁ、気にするなよ。それよりまず飯食いに行く? それともちょっとふらっとするか」

「おい、日向っ」

 ふいに感じた手のぬくもりに雪羽は驚いて肩を跳ね上げる。しかしそのぬくもりの主はまったく気にする素振りもなく手を握りしめた。そして最初は掴まれていただけだった手は、いつの間にか指先が絡み合い恋人繋ぎになっている。

 そのまま歩き出した日向に慌てて雪羽が何度も声をかけるが、その手は一向に離れていかない。それどころか強く握りしめられるだけだった。
 人混みのおかげか二人はそれほど目立ちはしなかったが、それでも気づいた人は驚いた顔をして振り返ったり、繋がれた手をじっと見つめたりとやはり反応は大きかった。

「お前オープンすぎる」

「そうか? 普通だろう? せっかく二人でいるのになんで離れないといけないんだよ」

 どうやっても離れる気配のない握られた手は諦めて、歩幅の広い日向の手を少し引っ張りそれを訴える。するとそれを察した彼はなにも言わずに歩調を緩めた。
 そのあまりにもスマートすぎる立ち振る舞いに、正直雪羽は驚きを隠せずにいた。けれどそんな雪羽の顔を覗き込み、日向は笑みを浮かべてやんわりと頬に口づける。

「これはやりすぎだっ」

 頬の感触に目を見開いた雪羽は思わず声を上げてしまうが、当の本人はなぜいま驚かれ、怒られているのかがまったくわかっていなかった。

「なにが?」

「なにがって……した」

 首を傾げる日向にもごもごと口を動かして訴えるが、目を瞬かせる彼はなぜキスをして怒られているのかをわかっていないようだ。

「雪羽、さっきから変だぜ。なにかおかしいか? 好きな相手には好きっていうのも、触れるのもキスするのだって当たり前だろ」

「う、確かに間違ってはないけど。いまここでってのと、これはおかしいと俺は思う」

 道の真ん中で日向はなんの躊躇いもなく雪羽に向かい合い、腰に腕を回し抱き寄せていた。さらに機嫌を伺っているのか覗き込むように顔を近づけられて、雪羽は慌てて身を引こうと足を後ろへ下げる。しかし腰に回された腕は、それを遮るように強く雪羽を抱きしめた。

「なにがおかしいのか俺にはわかんねぇ」

「なんでっ、目立ってんじゃん」

 難しい顔をして眉を寄せる日向に雪羽は自然と突っ込みを入れていた。もはや通り過ぎる人たちはほぼこの二人を振り返って歩いている。中には興味本位に写真を撮っている若い女の子も何人かいて、雪羽は即行でこの場から逃げ出したい気分だった。

「女の子とだったらいいかもしれないけど、俺は男だぞ」

「女はどうでもいい。なんで雪は駄目なのかがわからねぇって言ってんの」

「いま言ったじゃん俺っ、ていうか、場所変えて話さねぇ?」

 さすがに雪羽はこの衆人環視の中で話し合いをしているのが耐え難くなってきた。しかも日向はまだ自身を抱きしめたままだ。これ以上ここで話しているともっと人の目が集まりそうで、雪羽は軽いめまいに襲われそうな気分になっていた。
 強く肩を押し引き剥がされている日向は納得のいった顔をしてはいないが、それでも周囲の視線は感じ出したのか渋々といった態で雪羽を離した。けれど再び手は繋がれて、少し引っ張られるように日向に手を引かれる。

 早足に日向の背中を追いかけるように歩くと、しばらくして人のあまりいない道に抜けた。普段あまり遊び歩かないので雪羽はこの場所の位置がよく理解できない。辺りに視線を右往左往と向けて、最後に日向の背中を見つめる。
 怒ったかもしれない――そんな感情がふと湧いて、握られていた手を雪羽は強く握りしめてしまった。それを察したのかただ単に握られた手に返しただけなのか、日向も雪羽の手を優しく握り返してくれた。

「雪羽、気になる店あるか?」

「えっ?」

 しばらく黙々と歩いている中で、雪羽は落ち着きを取り戻しゆっくりと辺りを見回していた。時折何度か立ち止まりそうになって、日向が首を傾げて振り返る。けれどその度に雪羽は首を横に振って「なんでもない」と言う。しかしそれが何度も続くとさすがの日向も立ち止まり雪羽を振り返った。

「あ、いやなんでもない」

「さっきからそればっか、言えよ、今日はお前のための日なんだから」

 同じ言葉を繰り返す雪羽に小さなため息をついて、日向は身を屈めて困ったような表情を浮かべる顔を覗き込んだ。すると急に恥ずかしげに頬を染めた雪羽はぎこちなく俯いた。

「いや、あ、違くて。その、いろんな店あるなと思って見てたら、その服とか、アクセサリーとか、雑貨とか、その」

「だから気になるなら」

「俺がじゃなくて、日向に……似合いそうとか、思って」

 若干日向の言葉にかぶせる勢いでそう言った雪羽は、癖毛の髪からわずかに見える耳までも真っ赤だった。俯いたままなので表情はわからなかったが、日向はその姿に堪らず腕を伸ばし抱きしめた。
 そして驚いて顔を跳ね上げた雪羽の頬を両手で包むと、躊躇いもなく目の前の唇に口づける。その感触に目を丸くした雪羽は咄嗟に離れようとしたが、それを日向が許すはずもなく、さらに口づけが深くなっていく。

 舌を絡め取られ上顎を優しく舐め上げられて、ふわふわとした感覚とその気持ちよさにカクンと膝が落ちると、腰を抱く日向の腕が力強く雪羽を抱き寄せる。
 瞳を潤ませた雪羽がしがみつくようにぎゅっと日向のシャツを握った頃、ようやく唇が離された。くたりと頭を胸に預ける雪羽の髪に口づけを落として、日向はさらに強く抱き寄せる。

「なぁ、お前さ。どんだけ俺をメロメロにさせる気だよ」

「えっ?」

 散々口内を貪られ骨抜きにされた雪羽には、耳元で囁かれた日向の言葉があまり頭の中に入ってこない。小さく首を傾げて見上げると、小さなリップ音を立てて額にも口づけを落とされた。

「雪羽はアクセサリーの類はつけねぇの?」

「ん、だってあんまし似合わねぇし。日向みたいにかっこよかったらなんでも似合うんだろうけど」

「よし、んじゃ、あそこの店に寄るぞ」

「あっ、ちょっ」

 口ごもりながら呟く雪羽を見ていた日向はなにかを思い立ったのか、再び手を取り歩き出した。そんな勢いに若干ふらつきながら雪羽が追いかけると、しばらく歩いた先に小さな門構えのアクセサリーショップらしき店があった。
 そこはなに気なく通り過ぎては入り口を見過ごしてしまいそうだったが、ショーウィンドーが大きく通りに面していて、中の様子が少し見て取れる。中を覗くとアクセサリーだけでなく帽子や雑貨などもあるようだった。