その瞳に溺れる03

 映画が終わる頃にはハンカチはくしゃくしゃで泣き過ぎで目が赤くなっていた。啜る鼻をティッシュで勢いよくかんで、またほろほろと涙をこぼす。その顔が可愛くて指先で涙を拭えばほんのり頬を赤く染める。
 しかしなんとなく話の流れを見はしたが、恋愛にまったく興味がない俺には共感できるものではなかった。それでも少し興奮したように語る横顔を見ていれば満足した気分にもなれた。

「あそこのシーンすごくて、もう感動しました。九竜さんはどうでしたか?」

「ああ、良かったよ」

 映画の中身じゃなくてあんたの飽きない反応が、だけど。
 そんなことなど考えもしない竜也は感激したように目を輝かせて、両拳を握りしめて同意する。それがますます可愛くて頭を撫でたら顔をほころばせて笑った。

「さっきパンフレット売り場のポップを見たら、今度小説の続編が出るって書いてました。楽しみが増えました。あ、あの、また映画、付き合ってくれますか?」

「もちろん」

「良かった! 隣で大泣きしている男となんて恥ずかしくていられないとか言われたらどうしようかと思いました」

「あんたの泣いてる顔は可愛いから構わない」

「……そ、そうやってすぐに可愛いとかって、恥ずかしいです」

 そわそわと視線をさ迷わせているのを見つめていれば、ふいと顔をそらしてぎこちない動きで歩き始める。混雑した中でギクシャクとした動きで進む後ろ姿に思わず笑ってしまった。
 けれど見失うわけにもいかないのでその背中を追いかける。ちょこちょこと隙間を抜けて行く竜也は時折人にぶつかりながら進んでいく。危なっかしい様子に手を伸ばせば、大げさなくらい肩が跳ねた。

「少し落ち着いて歩け」

「も、もうっ、九竜さんのせいです」

「それは責任転嫁というやつじゃないのか?」

「違いますっ、九竜さんがドキドキさせるからです」

「可愛い言い訳だな」

「もう! 馬鹿っ」

 この天然極まりない男が可愛いと思わないやつがいるのなら見てみたいものだ。怒っているつもりなのか、両手の平で人の身体をバシバシと音を立てて叩いているそれすらいい。こちらこそどれだけ人をその気にさせるのかと言いたい。
 真っ赤になっている頬を撫でたらムキになりすぎて涙目になっている。

「ほかに行きたい場所はあるか?」

「……色々と見たいところはあるんですけど」

 気持ちが落ち着いた頃に声をかければ、ウロウロと視線が流れる。街中は休日と言うこともあり多くの人が行き交っていた。けれど賑やかな繁華街なので店が建ち並び気を引かれるものも多いのだろう。あちこちに寄り道をしながら楽しそうな笑みを見せる。
 買い物は基本決まったところで適当に見繕ったものを一括買いする俺とは違い、竜也は店を渡り歩いてあれこれと見比べる。あちらへ行ったと思えばまたこちらへ戻り、女の買い物に少し近い。
 それでもそれを見ていても苛つかないのはこの男だけだと思う。ほかのやつなら付き合う以前の問題だが。

「なにを悩んでるんだ?」

「さっきの店で見たトップスとこれ、似た形なんですけど。どっちがいいかなと思って」

「……さっきのよりもこっちのほうがいい。それと色はこちらのほうが好みだ。あんたに似合う」

「えっ? ほんとですか? あんまり着ない色だけど」

「いつもの白やネイビーもいいが、パープルやグリーンも似合うと思うぞ」

 素材がいいのにいつも着ている服の色がワンパターンだ。白黒紺、それ以外の色はほとんど見たことがない。もう少し華やかな色を身につければいいのに、もったいないとしか言いようがない。

「……んー、じゃあ、九竜さんが言うなら、こっちのパープルで」

「なら、これと、それとそっち」

「だっ、駄目です! 九竜さんの感覚で買い物しないで!」

「心配するな、買ってやる」

「それが駄目なんです!」

 ちまちま買うよりも気に入ったものがあるならその場で買えばいいと思う。ずっとほかにも目移りしていた。けれど必死になって止めるのでトップス三枚とボトム二枚、靴一足で譲歩してやった。金遣いが荒いと言うがまとめて買うか小出しに買うかの違いだ。

「結局買ってもらってしまって、すみません」

「別に、俺が買ってやりたくて買ってる」

「あの、荷物、自分で持ちます」

「あんたは黙って俺の隣を歩いていればいい」

「なんだか悪女になった気分です」

「……っ、どこが」

 人に荷物を持たせるくらいで悪女になっていたら世の中は悪女だらけだ。そこら中に男に荷物持ちをさせている女はいる。あまりにも謙虚すぎて笑えてきた。しかしさすがに笑いすぎたのかこちらを見上げる顔が困ったように眉を寄せる。

「九竜さん、笑い過ぎですよ」

「あんたは面白くていいな」

「そんなこと言われたの初めてです。……あ」

「どうした?」

 ふいに立ち止まった竜也に視線を落とせば少し先を見つめていた。そこにあるのはカントリー調の小さな間口の店。店の前には数人並んでいる。女性客しか見えないところを見るとカフェ、おそらくスイーツ系だろう。

「えっと、あの、甘いものはお好きですか?」

「コーヒーだけでいいのなら並んでもいい」

「ほ、ほんとですか! このお店いつもすごく混んでて、こんなに並んでる人が少ないの珍しいんです。まだ一度も入ったことがなくて」

「いいよ、行くか?」

「はいっ!」

 瞳を輝かせた竜也はウキウキとスキップでもしそうな勢いで道路の向かいへ渡っていく。列に近づくと並んでいる女たちはそわそわとした様子で彼を振り返った。正直なところいまいる全員を並べても、男の竜也のほうがよっぽど綺麗で可愛い顔をしていると思う。
 そんなことを考えながらゆっくりと近づいていけば余計に視線を集めたが、隣でメニューを見ながらご機嫌な調子で竜也があれこれと話しかけてくるので気にならなかった。
 前に並んでいたのは四組ほどだったけれど、タイミングが良かったのか並んでいたのは大体二十分かかったかどうかくらいだ。

「まだ悩んでるのか?」

「どれもおいしそうですごく悩ましくて」

「いま食べたいものを選べばいいだろう。またいつでも来られる」

「んー、食事系のパンケーキも捨てがたいんですけど。やっぱりここはデザート系がいいですよね。この苺とベリーにします。すみません!」

 ふいに竜也が手を上げて後ろを向くと間を置かず店員と視線が合う。それはいままで俺たちが注視されていたということだ。自分たちを除けば客はすべて女なので、外で並んでいた時同様にそちらからの視線も集まっている。
 しかしそれに竜也はまったく気づいていないようだった。自分はちっともモテないんですよ、なんてあっけらかんと笑って言っていたのを思い出す。この男は女から向けられる視線に疎いのだ。

 どれだけ視線を感じても気のせいだとスルーしてしまえるおかしな特技がある。いままで男相手からは実害があったようだが、女になにかされた経験はない。なので警戒心が薄い、薄すぎるくらいだ。
 ここまでぼんやりとした天然系だとやっかみであれこれ言ってくる女はいないだろうと思うが、まったくいないとも限らないだろう。四六時中、傍にいることはできないのだから、男だろうが女だろうが、少しだけ周りに注意を払ってもらいたい。

「んーっ、おいしいっ! ふかふか、生クリームもすごいミルク感があって苺も甘い!」

「俺は見てるだけで胸焼けしそうだ」

「ここはすごく素材にこだわってるらしいんですよ。だからオープンから結構経ってるのにいつも大人気で」

「来られて良かったな」

「はいっ、ありがとうございます。もう永遠に食べられそう。ほらっ、これ、ベリーソースと食べるとおいしいんですよ! ……あっ」

 よほど気分が上がっていたのかそのテンションのままに、クリームとソースたっぷりのパンケーキを差し向けられた。しかしそれにすぐさま気づいた竜也ははっとして動きを止める。じっとその様子を見つめていればじわじわと顔が赤く染まり始めて、慌てたように手を引こうとした。

「ごめんなさ、い……えっ?」

 引き戻されそうになった手を掴んで引き寄せる。それにビクリと肩が跳ねるがそのまま口元まで引き寄せた。口に含んだそれは想像通りに甘くて、舌と口の中に甘さが広がる。
 急に大人しくなった竜也の反応を見るためにちらりと視線を持ち上げると、白い肌が首筋まで真っ赤に染まっていた。