独占的03

 僕は生まれてからいままでずっと、親にも周りにも手のかからない子だと言われてきた。自分のことが自分で出来ない物心つく前も、夜泣きも騒ぎもしない大人しい子だとありがたがられていた。
 それに比べたら明博なんてね、とかよく兄と比べられていたっけ。人間ってさ、手間がかかる子ほど可愛いんじゃないの?

 気にかけた分だけ愛情が移るって言うでしょ。あの三人が社交的で、僕だけ内向的なのはそういうところも要因している気がする。だからと言って親に愛情をかけてもらっていないとは言わない。
 僕の言い分は否定したりしないし、物事を強要されたりしたこともない。いまもこうして一人暮らしをさせてもらっている。なんでも思うままに手に入るこの現状が、いいのか悪いのかはわからないけど。

 でもそんな世界で、初めて思い通りにならなかったのが鷹くんだ。大人しくしていればすぐにどこかへ行ってしまうし、言葉にしなければ聞く耳を持ってくれない。まあ、言ったところで八割くらいは聞いてくれないんだけど。
 それでも鷹くんの持つ引力は僕を惹きつけて放さなかった。もしかしたらそれは、ひな鳥の刷り込み効果なのかもしれないが。

「僕は、鷹くんがいればそれだけでいい。もし僕のことがいらなくなって捨てられても、僕は鷹くんから離れないよ。だから本当に必要なくなったら、僕の息の根が止まるくらいに僕の気持ちをへし折って」

「……お前を、そんなにしちまったのは、俺なのかな。和臣、お前さ。前はもっと笑ってた。最近はあんまり笑わなくなったよな」

「去年は楽しかったよ。鷹くんといっぱい一緒にいられたし。いまだって、離れてた頃に比べたら」

「全然平気じゃないだろ。いっつもしんどそうだ。でもお前はどんなことがあってもついてくるから、俺はそれに甘えきってるんだ。お前は絶対に俺を裏切らないもんな。だからお前が俺を繋ぎ止めようとする感情が怖いけど、どこか安心もしてる」

 ひどく切なそうに僕を見つめるけど、よっぽど鷹くんのほうが苦しそうだ。そんな目で見られるとどうしたらいいのかわからなくなる。僕と一緒にいるのが辛いみたいに思えてしまう。

「ねぇ、鷹くん。鷹くんは僕のこと好き?」

「好きだよ。俺はお前が好きだ。いらないなんて思ったことない。だけど俺を好きなお前はあんまりにも可哀想だ」

「……かわ、い、そう?」

 掴んだ左手をきつく握りしめて、僕の背中を震える手で抱きしめて、鷹くんは静かに涙をこぼした。頬が触れる肩がじんわり温かなもので濡れていくのがわかる。でも僕はその涙の意味がよくわからなかった。鷹くんを好きな僕が可哀想? それがなぜなのか、どうしてもわからない。

「鷹くん」

「和臣はたまに凶暴だけど。駅でご主人様の帰りを待つ忠犬みたいだな」

「え?」

 鷹くんの口から吐き出された言葉に、ひどく息苦しさを感じた。帰ることのない主人の帰りを待つあの犬が僕なのだとしたら、それは可哀想なんじゃなくて、哀れと言うほうが近い。
 自分のところに帰ってこないことにも気づかずに待ち続ける。それは手の届かないものに必死で手を伸ばしているようにも見えるだろう。恋しい恋しいと思いながら、僕は無駄なあがきをしてるということなのか。
 鷹くんの目に映る僕は、そんなに憐憫の情を誘うほど惨めに見えているのか。そう思ったらなんだか胸が痛くて仕方がなかった。

「やめて、俺を哀れまないでよ。このままでいい、これ以上は望まないから、鷹くんにまで見下ろされるのは、嫌だ」

 息がうまく吸い込めない。声が掠れて情けないくらいに震えた。
 選び取る答えを間違えれば、いつもみんながひどく哀れんだ目で僕を見下ろす。どうしたの? なにかあったの? 和臣くんらしくないね。そうじゃないよね。ほら、やり直してみようか。
 きっと次はうまく出来るよ、大丈夫。――それは他人に干渉されないため、いい子でいるため。そのためにいつだって手に握った鮮やかな色彩が他人の正しさに塗りつぶされていった。
 ずっとそんな生き方しか知らなかった。それでも僕は光る一番星に心を救われたんだ。

 それなのに目の前のものがわからなくなるくらいに鷹くんを好きでいることは、見ているのが可哀想になるくらい僕らしくない? みっともなくすがる僕はそんなに哀れ? 僕はまたなにか選択を間違えたのだろうか。
 ――違う、僕は間違えたんじゃない、ただ僕はまっすぐに人を愛しただけだ。

「……僕は、可哀想な子じゃない! 違う、僕は」

「お、み?」

 頭の中が真っ白になった。息が苦しくて、もがいて手を伸ばして、必死になってすがりついた。気づいたら白くて細い首に両手をかけて、僕はボタボタとしずくをこぼしていた。
 荒い呼吸が耳について、肩がゼイゼイと大きく息をする。抵抗することのない身体にまたがり、僕は声を上げて叫んだ。

「……み、臣、和臣!」

 空気が震え、つんざくような奇声が響く。その声から逃れるように僕は耳を塞いだ。だけどその声は消えていかなくて、きつく耳を塞ぐほどに鼓膜を侵食していく。どんどんと脈打つ音が速くなって、どんどんと呼吸が出来なくなる。でも両手に重ねられた手と、唇を塞ぐ柔らかなぬくもりが、耳障りな音と声をかき消した。

「んっ」

 触れた唇を割り、口の中に滑り込んだ熱いものに舌を絡め取られる。上擦るように声が漏れるけれど、感じる熱が心地よくて僕はゆっくりと目を閉じた。何度も繰り返される口づけに、忙しなく動いていた鼓動は少しずつ減速していく。息が混ざり合ってようやく頭がクリアになった。

「た、かくん」

 瞬きをしたら頬に生ぬるいものが滴る。慣れないその感触に眉をひそめれば、鷹くんの手のひらがそれを拭うように触れた。ゴシゴシと乱雑なくらいだけど、その手の温かさに胸の軋みが和らいだ。

「ごめん、和臣。そうだな、お前は可哀想じゃない。それは俺が作り出したイメージだ。本当の気持ちは他人なんかにわかるもんじゃないよな。俺はさ、いつも適当で、いい加減に生きてきたから。和臣の感じてる辛さは半分もわかってやれねぇ。だけどお前を否定しないことくらいは、出来るはずだよな」

 まっすぐな鷹くんの目が僕の瞳の奥をのぞき込む。奥底に押し込められた感情が、彼に呼び起こされる。僕は腕を伸ばして目の前の身体を抱きしめた。情けないくらい震えた手は、鷹くんの背中にしわを作る。

「いい子にしてるから、僕を置いていかないで」

「うん」

「傍にいて」

「うん」

「好き、鷹くんが好き。僕のことずっと好きでいて」

「ああ、どこにも行かない。大丈夫、俺はお前が好きだ」

 鼻をすすり、ぐずつく僕の頭を優しく両腕で包み込んで、鷹くんは優しい声で何度も好きだと囁いた。いままでこんなに言葉にしてもらったことはなかったから、夢ではないと確かめるようにきつく鷹くんを抱き寄せてしまう。

「和臣の馬鹿力。苦しいって。ちょっとは手加減しろよ」

「目が覚めて、なにも残ってなかったらどうしよう」

「もしなにも残ってなかったら、何回だってお前の中に俺の気持ち詰め込んでやるよ」

 温かい両手が僕の髪を梳いて、頬を撫でる。それに誘われるように顔を上げたら、目尻に口づけられた。浮かび上がった残骸を吸い取るように何度も触れて、目を閉じるとまぶたにもそれは降り注ぐ。羽根が触れるようなその感触が嬉しくて、気づいたら口元がほころんでいた。

「臣は、笑ってるほうが可愛い」

 ゆっくりと目を開けば、眩しそうに目を細める鷹くんの笑顔があった。視線が合うとそっと唇が重なる。ついばむように触れたそれはなんだか甘くて、胸がじわじわ温かくなってきた。ああ、これが幸せってやつだなって、変に納得してしまう。

「鷹くん、来週末は一緒に買い物に行こう」

「ん? なにか欲しいものでもあんのか?」

「今週行くつもりだったけど、プレゼント一緒に買いたい。それと一緒にご飯食べて、鷹くんの好きなところに行こう」

「……お前、人混み苦手じゃん。無理しなくていいんだぞ。家で飯食うだけでも」

「当たり前のことがしたい、鷹くんと。少しずつ慣れるから。あ、乗り物酔いするから遊園地とかは無理だ」

 ざわめきの中を歩きたいわけじゃないけど、人並みに恋人らしく、二人で外を歩きたいって思う。いつもこの狭い部屋の中でしか会うことが出来ないから、もっと違う鷹くんが見てみたい。いきなりなんでも楽しくなるとは思わないが、相手が鷹くんならきっと少しは面白いと思えるかもしれない。

「あー! 畜生!」

「鷹くん? なに? どうしたの?」

 じっと返事を待ちながら見つめていたら、大きな声を上げて鷹くんはいきなり上を向いた。そして両手で顔を覆うとなにやらうんうんと唸り始める。

「可愛いが過ぎる!」

「は?」

「普段つんけんしてるくせになんだそのデレは! だから人に紹介できねぇんだよ! 俺のこと好き過ぎるのバレバレじゃん!」

 頭を抱えながら鷹くんはそのままバタリと仰向けに倒れた。そしてカーペットの上で身もだえるように身体をよじっている。少し呆然とそれを見つめてしまったが、僕は挟み込むように両手をついて鷹くんを見下ろした。

「ねぇ、僕が鷹くんを好きなことバレたら駄目なの? 友達に紹介してとは言わないけど、わざと隠すのは嫌だよ。いままでだって平気だったでしょ。みんな兄離れできない弟くらいの感覚だったじゃない」

 鷹くんにべったりな僕に、彼の友達も周りの人間もみんな呆れはしていたがいつもの光景、くらいの感覚だった。幼馴染みに懐いている、それこそ犬のような存在だ。普通の視点から見れば、そこに恋愛感情があることはそうそうわからない。

「あ、あの時と、いまとは違うんだよ」

「なにが違うのさ」

「俺が、お前を、好きな気持ちの大きさが! お前の気持ちがバレたら俺の気持ちまでバレるだろ!」

「え?」

 むず痒そうに口を曲げた鷹くんに驚いて僕は間の抜けた声を上げてしまう。まさかそんな答えは予想もしていない。鷹くんが僕のことを好きな感情、それに大きさがあるなんて、そんなこと考えたこともなかった。

「いまは前より僕のことが好きってこと?」

「悪いか!」

「え? 悪くないけど、ほんとに?」

「こんなことで嘘ついてどうすんだよ!」

 眉間にしわを寄せて怒るその顔を、思わずまじまじと見つめてしまった。でもそれと同時に胸がキュンとして、口元が意志とは裏腹にふやけて歪んでしまう。
 鷹くんが、僕を好き。前よりもずっと好き。それを心の中で何回も繰り返して、覆い被さるように鷹くんに抱きついてしまった。ずっと抱きしめてきた彼がいままで以上に愛おしくてたまらない気持ちになる。

 持ち上げられた手が、僕の背中をぎゅと強く掴む。それだけで鬱屈としていたものがすべて消し飛んだかのような、晴れやかな気分になった。