ふたりの時間01
6/10

 週末、いつものように藤堂はやってくる。今日はバイト先の歓送迎会とやらで、普段よりずっと遅い時間だけど。
 日付も変わりかけた頃で、それをすまなそうにしながら帰ってきた。こちらもよく都合が悪くなり断ることもあるので、そんなことは気にしなくとも良いのに、藤堂らしいというか。

「あれ、佐樹さんまだ起きてたの?」

 リビングのソファでぼんやりとしていたら、風呂から上がった藤堂が不思議そうに目を瞬かせていた。

「うん」

 三十分くらい前、風呂へ向かった藤堂に、先に寝るからと言ったのは確かに自分だ。でも寝ようと思いつつもまったく動けずにいた。

「どうかしたんですか?」

「いや、別に」

 首を傾げる藤堂は珍しくソファでごろりと横になる僕を、ひどく訝しげな顔で見つめる。

「なにもない」

 でもそんな風にじっと見られると変に胸の辺りがざわめく。
 自分と同じく、Tシャツにスウェットというラフないでたちで、藤堂が濡れ髪をタオルで拭きながら自分の家を歩く。そんな当たり前すぎる姿はだいぶ見慣れてきたが、なんとなくいまだ違和感を抱く時がある。一緒にいる実感はあるのに、時々日常に彼がいることが不思議に思えるのだ。
 それでいて――ただいまと帰ってくる藤堂の姿に、たまらなく胸が熱くなる時もある。

「幸せすぎて怖いってやつ?」

「……? いまなにか言いましたか?」

「なんにも」

 ぽつりと呟いた僕の独り言に振り向く藤堂は、ほんの少し疑いの眼差しを向けてくる。
 けれどそれに気づかぬふりをして、僕はソファのクッションを抱き寄せ藤堂から視線をそらした。

「佐樹さん、誰か来た?」

 泊まりに来た時の決まりごとのように冷蔵庫の中を確認すべくキッチンに入った藤堂が、ふいに立ち止まりシンクに視線を落としながら首を傾げた。

「あ、悪い。カップそのままだった」

 その視線と藤堂の言葉に僕は慌てて身体を起こす。使ったカップを洗わずシンクに置きっぱなしでいたことをすっかり忘れていた。

「それはいいですけど」

「……えっと、明良がちょっと来た」

 怪訝な表情を浮かべる藤堂に慌てて来訪者の名を教えると、じっとシンクを見つめ小さく首を傾げる。

「なにかありました?」

「え? なにかって」

「なんだか今日は落ち着きがないから」

「そんな、ことは」

 こんな時、鋭い藤堂の感覚が恨めしい。僕は言葉に詰まり視線を泳がせてしまった。すると途端に藤堂は目を細めてこちらを窺い見る。そして僕はさらに右往左往と視線を動かしてしまうのだ。

「あの人にまたなにか、変なこと吹き込まれてないですよね」

「変な、ことじゃないけど」

 足早に僕の元へ歩み寄る藤堂に思わず身体が萎縮する。別に悪いことをしているわけじゃないし、変なことなど考えているわけではないのだが。

「なにを言われたんですか」

「……」

 床に膝をつき、僕を覗き込む藤堂の顔が歪む。これは多分怒ってるんじゃなくて、隠し事をされて拗ねているのだろう。
 自分も明良と藤堂にしかわからない話をされるのは好きじゃないから、その気持ちはよくわかる。そしてそんな顔を藤堂にされると僕は弱い。

「あのさ」

「なんですか?」

「藤堂は……その」

 言い澱む僕に藤堂の視線が和らぐ。ゆるりと持ち上げられた手で優しく髪を梳かれ、やたらと心臓が忙しなく鳴った。
 しかしこのまま黙っているわけにもいかず、僕は意を決して言い澱んでいた言葉を発する。

「やっぱりしたい?」

「え? なにをですか?」

「だからその、セックス」

「は?」

 小さく驚きの声を上げた藤堂がものの見事に固まった。瞬きも忘れたぽかんとした表情は、藤堂に僕が告白した時に見たそれとまったく一緒だ。いや、いまはそれよりひどいかもしれない。

「藤堂? ……うわっ」

 固まった藤堂の目の前で手のひらを振ったら、急に腹の上に彼の頭が乗った。
 驚いて肩を跳ね上げた僕に対し、大きなため息と共に肩を落とした藤堂は首を傾け戸惑っている僕をじっと見る。

「すっかり忘れてました。佐樹さんはいつもウブなくらい可愛いくせに、そういうとこストレートというか、はっきり言うというか」

「ば、馬鹿。三十路過ぎた男がそんなこと恥ずかしがって言うほうが気持ち悪いだろ」

 思春期の中高生じゃあるまいし、もうそんなことを口にして恥じらう歳でもない。再び深いため息をついた藤堂の頭を撫でつつ、僕は彼の髪を梳いた。

「じゃあ、なにを悩んでたんですか」

「……そういや、ちゃんとそういうの真面目に考えたことなかったなぁと思ってさ。いつも僕がはぐらかしたり、逃げたりしてたから」

 こちらを窺うみたいに目を細める藤堂にそうぽつりと呟いたら、ますます重たいため息を吐き出されてしまった。
 確かに何度かそんな雰囲気になり、そういうことも意識しろと藤堂に言われたが、実際泊まりに来て横で何事もなく寝ているとそんなことすらすっかり忘れてしまうのだ。

「まったく、佐樹さんらしいと言えばらしいけど」

 しばらく人の腹の上に頭を乗せたまま、ため息やらブツブツ独り言やらを吐いていた藤堂だが、おもむろにソファに乗り上げて来た。

「な、なんだ?」

 突然身体にのし掛かるように跨がられ、起こした身体を再びソファに戻される。軽く押し倒されたようなその状況に一瞬怯んでしまうが、見下ろす藤堂の表情はほんの少し呆れ気味だけれど優しかった。
 身構える僕に苦笑しながら、藤堂はじっとこちらを見つめてくる。その視線を戸惑いつつも見返せば、やんわりと頭を撫でられた。

「前から気づいてはいましたけど、ほんと佐樹さんって色事に興味ない人ですよね」

「……かな?」

 確かに言われてみれば淡白かもしれない。歳と共にというのもあるけれど、昔から別にがっつくこともなく、しなければしないでも困らないほうだ。

「藤堂は、やっぱりしたい?」

「それを俺に聞きますか?」

「あ、悪い」

 ふっと困惑した表情を浮かべる藤堂に思わず苦笑いで返してしまった。

「だって、明良が」

「あの人がなに?」

「一緒に寝ててなんにもしないのは若いうちにし過ぎて、性欲が薄れてんじゃないか、なんて言うから……あ、もちろん冗談だからな。僕はそんなこと思ってないし」

 急に細められた瞳に慌ててフォローするが、藤堂の額に刻まれた眉間のしわが徐々に深くなり、空気がふいにひんやりした気がする。
 藤堂が珍しく本気で怒った。どっちに怒ったのかわからないが、多分きっと明良だろうか。

「あいつ冗談ばっかりだから」

 フォローにもならないがそう言って僕が苦笑いを返すと、藤堂は眉間にしわを寄せたまま大きなため息を吐き出した。

「一回、あの人……シメて良いですか」

 明良と藤堂は意外と仲が良いけれど、あの明良だから藤堂を怒らせることは少なくなくて、容赦なく殴り飛ばされることがしばしばだ。

「うーん、とりあえず怪我がない程度で」

 それだけ藤堂が素を見せているのだから、気を許しているんだろうと信じているが――たまにあいつはマゾなんじゃないかと思ってしまう。いや、明良の場合は相手を怒らせたり、困らせたりして楽しんでいるだけだろうから、ありえない話だけど。