秘密

 風にはためき揺れる白いカーテン。開け放された窓から聞こえるのは、下校する生徒たちの笑い声と運動部の気合いの入ったかけ声だ。
 揺れるカーテンの隙間からキラキラと夏の日差しが差し込む生徒会室には、パソコンのキーボードを叩く音だけがカタカタと響いていた。そんな静かな室内にいる生徒は二人だけ。
 窓際近くにある事務机でキーボードを叩いている柚原理人と、部屋の中央付近に置かれた二つ並んだ長机で書面整理をしている桂木将生だ。二人は放課後ここへやってきてから、かれこれ三十分ほど作業に没頭していた。

 けれどしばらくして理人がキーボードを叩く手を止めた。しかし将生はカタカタと鳴り響いていた音がやんだのも気づかないほど書面に集中してしまっている。
 それをちょっと不服そうに見つめる理人は、長いまつげにふちどられた茶色い瞳を細めた。するとそれとともに形の良い唇も不満げに引き結ばれる。カーテンのはためく音と外の喧騒がかすかに聞こえる中で、頬杖をつき理人は将生に視線を送る。

 ――気づいてよ。

 なんて理人は言葉には出さない。黒くて艶やかな将生の髪が吹き抜ける風にさらさらとなびいているのを見つめて、伏せられた黒い瞳がこちらを見つめるのを待つのだ。
 そうしてどのくらい時間が経っただろう。書面を真剣に見つめていた将生の目がふっと瞬きを繰り返した。そしてようやく顔を持ち上げて理人の方へと視線を向ける。するとじっと見つめていた理人の視線と持ち上げた将生の視線は真っ直ぐにぶつかった。

「理人先輩」

「……」

「あれ? 理人先輩?」

 視線は交わっているはずなのに、理人は将生の呼びかけに応えず口を引き結んだままだった。不思議そうな顔をして将生が首を傾げるけれど、理人はじっと将生を見つめているだけで身動き一つしない。時折ふわふわとした理人の茶色い髪が風に揺れる以外、瞬きもせずにじっと視線だけが将生に向かっている。

「えーと、理人?」

 反応のない理人にうろたえながら将生は頭の中で考えを巡らせた。返事をしない理由が見つからなくて、考えを巡らせた結果、呼び方だけを変えてみた。すると黙ったまま無表情だった理人の顔に笑みが浮かぶ。

「なに?」

 花が綻ぶような綺麗な微笑みを浮かべた理人は小さく首を傾げて目を細めた。

「え! あ、うん。もう終わった?」

 じっと自分を見ていたからにはなにかきっと理由があるのだろうと、そう思っていた将生は少し肩透かしを食らった。問いかけたつもりが問い返されて一瞬戸惑うけれど、先程までとは裏腹に機嫌の良さげな笑みを浮かべる理人に将生は気を取り直してもう一度問いかけ直した。

「作業、終わった?」

「半分終わったよ。でも今日はもう飽きちゃった」

「まだ一時間も経ってないよ」

 理人の言葉に壁掛時計を見上げた将生は困ったように笑う。けれどそんな笑みに肩をすくめると、理人は座っていた椅子から立ち上がり真っ直ぐに将生のいる場所に向かっていった。

「だって誰もいないんだよ。誰も今日は来ないんだよ。将生と二人きりなのにこんなの続かない」

 普段ならこの生徒会室には他に三人はいるはずだが、今日は部活動の方を優先しているらしく理人と将生だけが集まった。別段それに問題はない。誰かが欠けることはよくあることだ。けれど理人と将生には三年と二年、生徒会長と書記という間柄の他にもう一つ秘密の関係がある。

 足早に近づいた理人は将生の隣に立つと長机に片手をついて、驚いた顔をしている将生の顔を覗き込んだ。そして顔を近づけるとそのまま将生の唇に口づける。そっと触れるだけの口づけはすぐに離れたけれど、理人は身を屈めたまま将生の瞳をじっと見つめていた。

「俺だけがすごく好きみたい」

「え! そんなことないです! いや……そんなことない、俺も理人が、一番好き」

「ほんとかな」

 真っ直ぐな将生の瞳を見つめながら理人が眉をひそめると、しゅんとしょげたように将生の瞳は悲しそうな色になる。それはまるで大きな黒い犬が飼い主に叱られた時のようで、耳が伏せられ尻尾が下を向いているように見えた。

「どうしたら信じてくれる?」

「うーん、じゃあ……」

 一瞬ふっとなにかを考えるように目をそらした理人に将生の目が揺れた。しかし不安そうに見つめる視線をよそに、理人の視線はなかなか将生の方を向かない。
 焦らすように間を置かれて、机に向いていた将生の身体が理人の方へと向き直される。けれどそれをひらりとかわすように、理人は先程まで将生が向いていた方へ移動してしまう。そして身をかわされた将生はまた鼻を鳴らす大型犬のような瞳をする。

「将生」

 長机の上に腰掛けた理人は甘く名前を囁くと、キューンと鳴き声を上げそうな顔で振り向いた将生の鼻先を指でつついた。

「いまここで、さっきのみたいなのじゃなくて、ちゃんとしたのしてくれたら信じてあげる」

「それで信じてくれるの?」

 目の前で満面の笑みを浮かべた理人に将生の声が気持ちを表すように弾む。尻尾がパタパタと揺れるようなその真っ直ぐで純粋な将生の笑みに理人は満足そうに笑った。

「うん、ちゃんとしてよ」

「わかった」

 指先で唇を示し念を押す理人に身体を向き直った将生は、大きく頷き腕を伸ばして理人に抱きついた。けれど口角を上げて嬉しそうに笑った将生は、目を閉じた理人の頬やまぶたにいくつもの口づけをするばかりで唇に触れない。
 柔らかなくすぐったい感触がもどかしくなった理人が目を開けば、子供みたいに無邪気な笑みを浮かべた将生が文句を紡ごうとした理人の唇を塞いだ。

「んっ」

 吐き出そうとした言葉が飲み込まれて小さく甘い声が理人の唇から漏れる。そしてその声も息さえも絡めとるような将生の口づけに、理人の手が伸びてくしゃりと綺麗な将生の黒髪が乱れた。

「次からここに来たら今日のこと思い出しそう」

「駄目、これは秘密だよ」

「理人の秘密はどきどきする」

 大きく揺れたカーテンがふわりと室内に風を運び、それは長机の上の書類を舞わせるけれど、二人は小さな秘密に笑みをこぼした。