輪廻

 ちらちらと舞い落ちる結晶が手のひらに肩に頬に触れる。どのくらいそこに立ち尽くしているのか、それもわからなくなるほどに無の中にいた。パキパキと凍った枝が折れる音が微かに響くが、すぐに夜闇へ音が吸収されていく。
 目の前にあるのは一本の葉を落とした老木。ぽつんと周りから外れた場所に伸びるそれは、決して寂しそうでも侘しそうでもない。枝を伸ばして立つその姿は年月を感じないほどに雄々しかった。

「やあ、君はいつになっても変わらないね」

 ここに来るのはきっと自分だけだ。森の奥深いこの場所にたどり着く者がいるとしたら迷い人くらいだろう。彼らはきっと道先が見えないまま彷徨いどこかで朽ちているかもしれない。
 悪魔の森――などという名にふさわしい樹海だ。人を惑わせる夜まとう世界に生者はいない。ぼんやりと薄明るく光るのは生き物たちの霊魂か。けれども自分がこの森で道を誤ることはない。身体にコンパスが入っているかのようにここへたどり着くことができる。
 それは太く千切れることのない(えにし)が頑丈に絡まっているからに違いない。

「君がいなくなってもう何世紀だろう。そろそろ私は待つことに疲れてきたよ。君はいつ戻ってくるの?」

 ため息をつくと息に含まれた水分がキラキラと光る。雪はいまだ止むことなく降り続いていた。悪魔の森は氷の森でもある。一年中ここでは雪が降るのだ。
 それはこの老木に人を寄せないための(まじな)い。ここは彼と自分だけの世界だった。作り出したのは私自身。

「早く帰ってこないと次のパートナーを選んでしまうよ」

 愛した男をこの老木の下へ埋めた。数百年ごとに繰り返し繰り返し、ここへ埋葬する。命が巡りまた再生して生まれ変わるまで自分はここで待ち続けるのだ。
 尽きることのない命を持て余しながら独り、寂しく、侘しく。愛した男が生まれ変わるその時まで、老木に語りかける。

「はあ、今日も冷えるな。また来るよ。早く帰っておいで」

 サクサクと雪を踏み歩きまっすぐと森の出口へと進む。外界に近づくとちらついていた雪は消え、木立の隙間から木漏れ日が落ち始める。ここが境目。

「やあ、お兄さん。感傷に浸って満足したかい?」

 森を抜けたら人が積み上げた護り石の上に、どっかりと腰を下ろした年若い少年がいる。勝ち気なアメジストの瞳は光を含んで煌めき、にぃーっと口の端を持ち上げた唇は桃色でふっくらとしている。
 細く長い脚は短いズボンから惜しげもなくむき出しになっていて、血色も良く瑞々しさを感じた。顔はひどく美しい、けれど鳥の巣のような焦げ茶色の頭に呆れてしまう。

「レヴェラ、君のその頭はどうにかならないの? なにかの災厄かな?」

「アージィン、君がまた優しく整えてくれるんだろう? 期待しているよ。ああ、そんなことより腹が減ったよ。なにか食べさせてくれ」

「君はいつもそれだ」

「恋人に会うために街を越え国を越え、健気だとは思わないかい?」

「そうだね、いささかのんびりではあるけれどそれは認めよう」

 彼がどこにどの国にどの街に生まれ落ちるかは知ることができない。記憶が戻るか否かもわからない。すべてはこの愛しい男次第。

「久しぶりに見る君の銀髪は絹糸のように美しいね。そしてビジョンブラッドの瞳が蠱惑的だ。うん、余さず食べてしまいたい」

「君は相変わらずハイエナのようだ。まあ、いい。まずは街で祝杯でも挙げようか。そして次はどこの国へ行きたい?」

「久しぶりに初心に帰るのはどう? 君が生まれた美しき海の街」

 立ち上がった彼は上機嫌な様子でくるりとその場で回転すると、正面を向いた方へと歩き出す。さあ! と振り向き手を伸ばされて、まだ小さな手のひらに手を重ねた。
 その手は自分の手とは違いとても温かかった。それを感じると胸にたまっていた感情が解けていく。

「今世は君と何年過ごせるかな?」

「そろそろ私と生きていってはくれないのか?」

「ずっと一緒にいて飽きられたら困るだろう。新鮮さは必要だ」

「君は本当に気ままだな」

 寂しい、侘しい、独りが切ない、言ってしまえば楽になる。けれど言ってしまったら、きっとすべてが終わる気がしていた。

輪廻/end