明るい夜の日に

日が落ちて暗闇が訪れた頃に目を覚ます。窓を塞いだ真っ暗な部屋は相変わらずしんと静まり返っていた。けれど喉が渇く感覚に促されて廊下へ出るとリビングに明かりが灯っている。普段は夜になっても間接照明が点いている程度なのに。
 行きたくはないが食欲を満たすためには行かねばならない。渋々俯いたまま近づいて、手探りで眩しい照明のスイッチを消した。リビングには人の気配があり、その人物は電気を消されて振り返る。

「桐斗、おはよう!」

 いきなり灯りを消されたのに暢気な声をかけてくるそいつは、普段から賑やかだがいつもに増して浮き立った様子。それに顔をしかめると軽い足取りで近づいてくる。

「今日は満月じゃないぞ」

「知ってるよ! 外は三日月だよ」

「なんだその格好」

「どう? 似合う?」

 目の前でくるりと身をひるがえした男は向き直ると小さく首を傾げた。テールコートをアレンジしたのだろう装い。濃紺の上着に同じ色の膝丈のズボン。赤いタイが目を惹く。そして頭では三角の獣耳がこちらの反応を窺うようにピクピクとする。

「その格好でどこへ行くつもりだ。気でも触れたか」

「もう桐斗ったら! 今日はハロウィンだよ! お祭りだよ! 一緒に行こうよ」

「浮かれ騒いでその耳と尻尾を引っこ抜かれるぞ」

 呆れてため息をついた自分に頬を膨らませて、アンバーの瞳を細める男の頭と尻から生えているものは本物だ。いまは絶滅したと言われるニホンオオカミの人狼。人の世に紛れて高校生をしている。

「きーりーとー!」

「うるさい! 一狼、ハウス!」

「僕は犬じゃない!」

 後ろでギャンギャンとうるさい狼を払うとますます膨れた顔になる。もう一世紀は生きているはずなのに、見た目と一緒で些か子供っぽい。人が着ているトレーナーの裾を掴んだまま離さない手を無視すると、冷蔵庫を開けて血液パックを取り出す。

「今日は桐斗が外に出てもみんな気にしないよ。ジイ様のマントを着ていこうよ」

「行かない、おいっ! 返せ!」

 ぶすりと刺したストローを咥えようとした瞬間にそれが取り上げられる。慌てて手を伸ばすが身軽な一狼はさらりとかわして、それをキッチンのシンクで逆さまにしようとした。

「やめろ! もったいない!」

「近所の小さなお祭りだよ。ね、行こう。帰ってきたら僕のをあげる」

「……うっ、さ、三十分だけだ」

「オーケー! じゃあ着替えていこう!」

 機嫌がわかる尻尾は勢いよく振られ、耳は喜びのあまりぺたんと倒れる。これは狼じゃないな、犬だ。そんなことを思う自分の手を引いて、一狼は足早にリビングを飛び出した。
 人のクローゼットを漁って持ち物の中で一番古いマントと、これまたいつ作ったかもわからないドレスシャツを引っ張り出す。どれも質も保存もいいので見劣りするものではないが、こんな格好は目立ちそうだ。
 けれど手を引かれて街に出ると、騒がしい喧騒の中には自分たちより遙かに派手なのがゴロゴロしていた。特殊メイクもびっくりなゾンビから子供の可愛い仮装まで。

「ね、桐斗は目立たないでしょ。綺麗なプラチナブロンドもレインボーアイも普段隠してるのもったいないよね。外に出るのいつぶり?」

「……二ヶ月くらい」

「たまには出掛けなきゃ! まあ、コンタクトしたりウィッグ被ったり面倒かもだけど」

 肩をすくめて少し遠くを見た一狼はじっと視線を送るこちらにすぐさま振り向いて、にんまりと笑みを浮かべる。握る手が温かいと感じるのも久しぶりだ。血の通った人のぬくもり。腹を満たしていないことを思い出して喉が鳴るが、それは頭から追い出した。

「あー! 狼男ー!」

「ハッピーハロウィン! 悪戯妖精さんこんばんは」

「トリックオアトリート! お菓子を頂戴!」

 道を歩いていると子供の群れに何度となく捕まる。本物と見紛う――本物だが、耳と尻尾を触られても一狼はニコニコと笑っていた。そしてポケットから取り出したキャンディを小さな手のひらに載せる。

「吸血鬼さん、綺麗だね。キラキラしてる」

「でしょー! 素敵だよね」

「うん!」

 無邪気な子供の声を聞くのも久しぶりだ。こんな見た目、人は大抵距離を置く。けれど子供は畏怖を知らない。狼男がまたにこやかに笑うのでそれにつられて笑い声が響く。小さな手が振られるのを見ながら不思議な気持ちになった。

「桐斗、楽しい?」

「え?」

「んふふ、珍しく笑ってる」

 やんわり目を細められて自分の頬に触れる。冷たい肌、それでも口元が緩むような感覚。人の中で生きるのはどれほど時が流れても苦手だけれど、人という存在はそれほど嫌いではない。自分の食料、というのを忘れてしまいそうな日常だからか。

「可愛い! トリックイェットトリート!」

「……っ」

 ぼんやりしているといきなり襟元を掴まれて引き寄せられる。抵抗もないまま身体が前に傾くと唇に熱を感じた。それに目を瞬かせれば、なんとも意地悪げな瞳に見つめ返される。慌てて身を引くけれど飛びつくように抱き寄せられた。

「桐斗より先に僕が食べちゃいたい!」

「離せ馬鹿! 目立つな!」

「誰も僕らのことなんか気にしないよ。そんなに気になるなら、こっち来て」

「お、おいっ」

 ふいに手を引っ張られて薄暗い路地裏に連れ込まれる。逃げ腰になるこちらを追い詰めるようににじり寄られて、どんどん奥へと追いやられた。しかし袋小路で逃げ道がないのに気づくと諦めて足を止める。そして機嫌よさげに笑っている男を睨みつけた。

「ご飯にする? それとも僕?」

「鬱陶しいやつだな」

「いらない?」

 見透かすような瞳がキラリと光の反射を受けて煌めく。惹き寄せられるように手を伸ばして襟元をくつろげると、躊躇うことなく血の脈動を感じさせる喉元に牙を立てた。皮膚を貫く感触は久方ぶりで、温かい血液も興奮を煽る。

「やっぱり生がいいよね。瞳孔が開いてるよ」

「うるさい餌だな」

「言ってくれれば冷たいパックなんかで済ます必要ないのに」

「干からびたいのか」

「桐斗は食欲旺盛だな」

 喉を潤して唾液を含ませた舌で首筋を撫でると二つの傷跡は収縮して小さくなった。次にここに噛みつけるのはいつのことかともう少し味わいたくなるが、血の気が多いこいつでも本当に干からびさせてしまう。

「ここで押し倒したら怒るよね」

「当たり前だ」

「じゃあ、僕も噛みつくだけで我慢してあげる」

 両手で頬を包まれて引き寄せられるままに唇を重ねる。ついばむように触れたそれは次第に血の香りがする口内へと滑り込んだ。唾液すら絡め取るみたいに荒らされて頭の芯がぼんやりとする。

「今度から夜はデートしよっか」

「満月の夜は出掛けない」

「えー、僕が一番元気な日なのに。あ、そっか家で僕といちゃいちゃしたいってことね」

「違う! 振り回されたくないだけだ!」

「またまたぁ」

「もう、帰る!」

「桐斗っ! まだ三十分経ってないよ」

 手を振り払って路地を飛び出せば賑やかな光に目が眩んだ。けれどその光が怖くなくなったのはいつからだろう。握られるこの手に温かさを感じられるようになった日からか。けれどそれに気づいたって、隣でふやけた顔で笑っている男には言ってやらない。

明るい夜の日に/end