君への感謝に愛を込めて

 普段以上に忙しい日を終えて栄養を蓄えようとコンビニに寄る。肉、肉が食いたい。そんなことを思いながらショーケースを眺めていたら、後ろのほうから店員の声が聞こえてくる。

「こういうあとちょっとって売れ残りますよね」

「もう時間も遅いし買う人いないから下げようか」

「でも今日は終わってないですよ」

「んー、日付が変わるまで置くか」

 棚に向かい話しているのに耳を傾けていると、じっと見すぎたせいか、ふいに視線がこちらを向いた。しかし繊細さが欠片もない自分は驚いて目をそらすということをしない。
 そのまましばし店員の女の子と見つめ合う形になったが、向こうが照れたようにまた前を向いた。
 売れ残り? コンビニで? 今日で終わるものとはなんだ?
 そんなことを思って彼らが見ている棚へ目を向ける。そこにはピンクやビタミンカラー、ミントブルーなどの色とりどりにラッピングされた品が並んでいた。
 それを見つめてそのままその上のポップを見てからようやく、バレンタインか、と気づいた。

 しかしこれは、好きな人へ想いを込めて――なんてお菓子会社が色んなキャッチコピーを付けて展開したものだ。それ自体に別段興味はない。いままでもらったことはあるけれど、返したことはなかった気がする。
 とは言え、こういうのは普段の感謝の気持ちを込めるんですよ、なんて誰かが言っていたような。感謝、感謝なぁ、と思わず首の後ろを掻く。
 感謝すべき相手がいるのは確かだ。普段から色々と世話になっているやつがいる。そういえば今日こういうイベントでなにも言ってこないのは珍しいのではないだろうか。

 ふと気になってスマホを取り出してメッセージを確認する。いま別段なにも届いていないが、やり取りをスクロールして振り返ってみた。するとそこには「今日はなにが食べたい?」の文字。
 それに対して自分は「鍋かな」なんて返している。やばい、いま確認してよかった。コンビニ弁当なんて買って帰ったら水をやり忘れた花みたいに萎れるところだった。
 昼間忙しすぎて適当に返事してたんだ。帰ろう、早く帰ろう。ショーケースに向かっていた身体を方向転換して足早にコンビニを飛び出した。

 大急ぎでマンションに向かい慌てたまま扉を開いたら、その勢いに驚いたのか台所に立っていた男が目を丸くする。そんな反応と自分のその慌てっぷりに気づくと急激に恥ずかしさがこみ上げてきて顔が熱くなった。

「なっちゃん、おかえり」

「おう、ただいま」

「お鍋もうすぐで火を付けられるよ。ご飯を先に食べる? お風呂に入っちゃう?」

「飯、腹減って力が出ねぇ」

「了解! すぐ準備するよ」

 へにゃりとした子供みたいな顔で笑う男は冷蔵庫の中から鍋の具材を取り出す。野菜はもう切られているし、ほぼほぼ用意はできていて俺待ちだったのだろう。
 立ち飲み屋で一杯引っかけて帰る選択をしなくてよかった。ほにゃほにゃした見た目の通りにこいつ、打たれ弱いんだよな。俺に忘れられてたなんて知ったら絶望しそう。
 思わず肩で息をついてしまったが、部屋に上がりお日様みたいな色の髪をわしわしと撫でてやる。それに目を瞬かせている男はその意味を悟ることはないだろうが、ちょっと優しくしてやりたくなった。

「なっちゃん牡蠣は好きだったよね」

「ん? 今日は牡蠣鍋か?」

「そう、丁度タイムセールしててね。時期だしいいかなって。豆腐と白菜と、それと鶏モモの串を焼いたよ」

「おお、タンパク質」

 上着とネクタイをベッドに放り投げていそいそとこたつに入ればカセットコンロに火が付いた。鍋の中ではすでに昆布だしが取れているようだ。手際よく作業していく様子を眺めながら、出てきた缶ビールと鶏モモを先にいただく。

「美味い、やっぱり串は塩だよな。ぷはぁ、ビールがうめぇ」

「ほんとなっちゃんはおいしそうに食べるし飲むね。僕も早く一緒にビールが飲めるようになりたいな」

「んー、光弥はきっと舌がお子様だからカクテルのほうがいいんじゃねぇ?」

「確かに苦いのはやだなぁ。来年になったらなっちゃんが選んで」

「おう」

 たわいない会話をしているうちに鍋の中に具材が投入されていく。ぐつぐつと煮え立つ頃には美味そうなにおいが充満し始めた。
 そのあいだにビールもつまみも進みだいぶいい気分になってくる。しかしいまはこうして一人で飲むばかりだが、来年にはこいつも成人か。早いものだ。泣きながら鼻水垂らしていた子供の頃から知っているので時間の流れの速さを感じる。

 なっちゃんお嫁さんになって――そんなことを恥ずかしげもなく言ってたっけ。いや、これはいまも恥ずかしげもなく言ってるな。昔から変わらないんだよな。ぼんやりしたところもやけにまっすぐなところも。

「はーい、いいよ。熱いから気をつけて食べてね」

「……光弥」

「ん? どうしたの?」

「うん、これ、やるよ」

「なに買ってきたの?」

 乱雑に扱いすぎてくしゃくしゃになったビニール袋。ぐるぐる巻きになったそれを差し出せば、小さく首を傾げて目を瞬かせる。それでも中身を取り出せばその顔はぱぁっと花が咲いたみたいに明るくなった。

「もしかしてバレンタイン? わぁ! すごい! なっちゃんからもらえるなんて夢みたい」

 安っぽいラッピング。コンビニの残り物にそんなに喜んだ顔をされるとなんだか申し訳ない気持ちになる。次はもっとちゃんとしたのを買ってやろう。きっとこいつも用意しているから、それと比べたらもう天と地の差だ。
 それでも本当に嬉しそうに顔をほころばせているのを見ると、ものより気持ちが大事だなとも思う。忙しい忙しい、そんな言葉でだいぶなおざりにしていた。

「僕もね、用意したの。ご飯が終わったら食べて! ガトーショコラ好きだよね?」

「ああ、楽しみにしてる。……その前に、鍋だ、鍋。お前も晩飯まだだろ? 食え」

「うん! いただきまぁす」

 当たり前にあるこの日常が、当たり前じゃないって気づくのはこういう何気ない時間の中だ。前ばかり向いて振り向くこともしなかった俺に必死になって着いてきてくれたからいまがある。
 これから先の未来、愛想を尽かされるとしたら自分のほうだ。もっといい人に出会える可能性があるのはこいつのほうだ。
 執着されてなし崩しに付き合うことになったけれど、いまは手を離したくないと思っているのはきっと俺だろう。――それならここでするべき行動は。

「光弥」

「ん? 牡蠣おいしいねぇ」

「そうじゃなくて」

「え?」

「好きだ。これからも傍にいろよ」

「……えっ! えっ? いる、いるよ! どこにもいかないしっ」

 火を付けたみたいに赤くなった顔が落ち着きなく上を向いたり左右へ動いたり。それがひどくおかしかったが、まっすぐな瞳が欲しくて足を伸ばして膝を撫でた。

「なっちゃん! ダメ! ムラムラしちゃう!」

「わっかいなぁ」

「今日はバレンタインのご馳走をいただきます」

「おう、余さず食べてくれ」

 両手拳を握りしめて見据えてくる目に唇が緩む。日頃の感謝はたっぷりとしてやろう。