トキメキの放物線
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 楽しそうに笑いながら行き交う人たち。休日の遊園地というものは賑やかだ。普段家に篭もってばかりいる俺にはあまり縁がない。ないのだけれど、いまこうしてこの場所にいるのは、隣で機嫌良さそうにしている男のせいだ。
 暢気に園内マップを眺めている横顔が憎らしい。

「陽司、次はどこに行こうか」

 睨み付けていたらふいに顔がこちらを向いた。色素の薄い茶色の髪と瞳が日本人離れしていて、無駄に整った顔は周りに言わせると爽やかだとか。さらには背も高くて、嫌味なくらい脚も長い。
 平凡地味で目立たない俺的には、隣を歩きたくないやつナンバーワンだ。幼い頃からの付き合いではあるが、何年経ってもこの男といるのは落ち着かない。

「翔也、俺もう帰りたい」

「来たばっかりだよ? せっかくだし楽しみなよ」

「こんなに人の多いところ、疲れるだけだ」

「せめてあと二時間くらいは頑張ってよ。陽司の好きなサイバーシップの体験アトラクションは行きたいでしょ?」

「うっ……まあ」

 腕時計に視線を落とした幼馴染みに言葉が詰まる。
 普段ひきこもりな俺は家で堪能できる漫画や小説、映画やゲームが好きだ。その中でいま一番ハマっているものがある。夏休み期間中、遊園地でその作品のアトラクションが楽しめると知って、うっかりSNSで呟いたのが一週間前。

 翌々日には前売り券を手に入れたとメッセージが届いた。いつも予定が多いこの男が、自分の呟きを見ていたことに驚かされるが、それ以上に、一ヶ月前の予約から売り切れが続いていた前売り券を入手できる繋がりにも驚く。
 友達のいない俺とは違い、交友関係が広いのは知っていたけれど、ここまでくると友達が百人いても不思議ではなさそうだ。

「あ、ここ面白そうだよ」

「……んー、あっ」

「どうしたの?」

 ウキウキとした声に生返事をしていたが、ふと目に留まったものに吸い寄せられる。それは道の片隅にあった。気に留めなければ通り過ぎてしまうのではと思うくらい。

「おお、すげー! エルメス号のランタンだ」

 傍に寄って道にしゃがみ込むと、それをまじまじと見つめる。銅製とおぼしきランタンの台座に、お目当てだった作品のワンシーンが描かれていた。
 スマートフォンを取り出してそれを連写してから、辺りをキョロキョロと見回す。そして来た道にも同じようなランタンがあることに気づいた。慌てて駆け戻ると、描かれたデザインがストーリーに沿ったものだとわかる。

「陽司?」

「入り口に戻る!」

「え?」

 後ろから聞こえる怪訝そうな声には振り向かずに、大急ぎではじまりの場所まで戻った。入り口に入ってからすぐ見た、君の物語はここから始まる――そう書かれた横断幕。
 そこからゆっくりと歩いてほかのランタンを探す。

「すげぇなぁ。これ明かりが灯ったら綺麗だろうな」

「夜になると灯るらしいよ」

「そうなんだ」

 あっちこっちへと歩き回る俺の後ろをついてきた翔也がマップを指さした。そこには十六時からライトアップされるとある。スマートフォンの時計を見るといまは十四時だ。
 もう少ししたらアトラクションに並ぶので、出てきたらいい頃合いかもしれない。

「陽司が生き生きとしてくれて良かったよ」

「お、おう」

 考えていることが読めたのか、肩をすくめた翔也はほっとしたような顔で笑う。ここへ連れてきてくれたこと、なにも文句を言わずについてきてくれたこと。隣を歩きたくないナンバーワンだけど、いまばかりはその気遣いを認めよう思った。

 昔から見た目が華やかで、人がよく集まるタイプだった。黙っていても遊びに誘われるし、女の子だってたくさん寄ってくる。俺にはないものを山ほど持っていて、妬ましく思うことがほとんどだ。
 なのになぜか瞬也は俺を構おうとする。友達に声をかけられれば一緒に行こうと言うし、可愛い女の子にデートに誘われても俺との用事を優先する。

 イケメンが自分に懐いているその状況は多少の優越感を与える。しかし周りからのやっかみに肩身の狭い思いをすることのほうが多い。金魚のフンと揶揄されて、お門違いな文句を言われたこともあった。
 俺が頼んでいるわけではないと言えば、根暗のくせに生意気な、と噛みつかれる。最近は諦めて右から左へ流すようにしていた。
 今日だって二人で遊園地に来たなんて学校の女子に知られたら――怖い怖い。

「ああ、面白かった」

「うん」

「陽司はシューティング系が上手いんだね。機敏でビックリした」

「家でよくやる」

 建物を抜けると瞬也は隣で大きく伸びをした。暗いところから明るいところへ出ると、開放感があるのはなんとなくわかる。それと歩いたり乗り物に乗ったり銃を構えたりで、普段動かさない身体を大いに使った気がした。
 肝心のアトラクションは四十分ほどで期待通り、いや期待以上のクオリティだった。ナレーションも格好良くて、映像も綺麗で迫力がすごい。映画を観ているような、いや、むしろその中に入り込んだような気持ちにさせられた。

「なんかすごく面白かったから、小説? 今度貸してよ」

「えっ? あ、いいぞ」

「じゃあまた家に遊びに行くから、その時に」

「う、うん」

 驚きすぎて少し声が裏返った。まさか興味を持つとは思っていなかった。あまり俺の趣味には干渉しないほうだったのに、珍しいこともあるものだ。だけどアトラクションの完成度で言ったら当然かな。
 知らない人でも十分に楽しめる内容だった。できたらもう一度体験したい、と思うが、人気でチケットは終了日まで完売になっている。ほんとよく入手できたなって思う。

「あ、陽司、見なよ。明かりがついたよ」

「ほんとだ! でももっと暗かったらもっと綺麗だろうなぁ」

「じゃあさ、暗くなるまでほかのところに行こうよ」

「どこ?」

「あれ!」

「……観覧車?」

 指先が向けられたほうを見上げて首を傾げる。そういえば瞬也は高いところへ登るのが好きだった。いつもだったら二、三回くらい乗っていてもおかしくない。それなのに最後のほうまで取って置いていたのかと不思議な気持ちになる。

 もしかしてこれのために?
 灯ったランタンの明かりを見つめて小さく唸る。どうしてそこまでしてくれるのだろう。こちらはこれまで特別なにかをしてあげた覚えもない。

「陽司、行こう。これから混むだろうから」

「そうだな」

 よくわからない好意に戸惑うものの、昨日今日始まったことでもないなと考えるのはやめた。思えばわりと最初からこんな感じだ。

 初めて出会った時は幼稚園だったけれど、いいなと言ったら、お気に入りの図鑑をなんのためらいもなく俺にくれた。あれがしたいこれがしたいと言えば付き合ってくれて、なんでもしてくれる。
 幼馴染みってこんなものなのだろうか。しかし比べようにも俺の周りにはほかに誰もいない。

「ちょうどいい感じになってきたね。上に行く頃にはきっと夕陽が綺麗だよ」

「うん」

「どうしたの? 難しい顔して」

「ああ、いや。友達は必要かなって」

「え?」

 ぽつりとなにげなく呟いたら、ニコニコ笑っていた顔がふいに真顔になった。突然の変化に驚くが、目を瞬かせているうちにゴンドラに案内されてしまった。
 向かい合わせで座り、なぜか二人のあいだに居心地の悪い空気が流れる。機嫌を損なったような横顔に、なんと言葉をかけていいのかもわからない。先ほどの会話になにかおかしなことがあっただろうか。

 ただ友達が欲しいなと言っただけなのに、どうして瞬也が機嫌悪くなるのか。いつものパターンなら、じゃあ手伝ってあげる、とでも言い出しそうなのに。まったく意味がわからない。

「瞬也、なんか怒ってる?」

 奇妙な沈黙に耐えきれず、恐る恐る声をかけてみた。すると眉がきゅっと寄せられて、一瞬表情が険しくなる。それでも様子を窺っていると、ゆっくりと顔がこちらを向いた。
 そこにあるのは口を引き結んだふて腐れた顔。

「なにむくれてるんだよ」

「陽司は男心をわかってない」

「なに? どういう意味?」

 いきなり男心とか言われてもさらに意味不明だ。けれどそれが顔に出ていたのかますます顔が険しくなった。さらには大きなため息をつかれて、こちらがひどく悪いことをした気分になる。
 だがいくら考えてもご機嫌斜めになる理由がわからない。

「お前の感情のスイッチ、どこにあるの?」

「陽司次第でオンオフだよ!」

「え? 俺次第? ますます意味がわからん」

「……あの時、言えなかったことがあるんだよね」

「あの時? って、いつ?」

 またよくわからないことを言い始めた。そう思ったけれど、やけに神妙な面持ちをされて緊張する。次の言葉に固唾をのめば、ゆるりと瞬いた目にまっすぐと見つめられた。

「陽司にあげた図鑑。プレミアがついてて当時三十万くらいの値打ちがあったんだよね」

「はっ? なんでいまさら! え? あれ、どうしたっけ? まだ家にあったよな?」

「だから! そのくらい陽司に価値があったってことだよ!」

 思わぬ発言に記憶を反芻していたら、ふいにゴンドラが揺れた。気づいたら瞬也が目の前にいて、言葉を発しようとしたところで口を塞がれる。やんわりと触れたその感触に頭がフリーズした。
 驚きに目を見開いたまま、胸の音がどんどんと早くなっていくのを感じる。急な展開に頭がまったくついていけていない。それなのに唇を舐められて肩が大きく跳ね上がる。

「陽司は、俺のだよ。ほかの誰にも触れさせないから」

「……っ! その発言怖い!」

「なんのためにこれまでほかのやつらを排除してきたと思ってんの」

「排除?」

「それなのに友達が欲しいとか、冗談じゃない」

「冗談じゃないのは俺だ! 俺の友達できない原因はお前か!」

 確かに性格は明るくないしコミュ障ではあるが、どうして避けられるのかと不思議だった。初対面で話をしてくれた級友も、しばらくすると自分に話しかけてくれなくなる。その元凶が、これか!
 振り上げた手を容赦なく額に落とす。べちんと音がして、整った顔が少し歪んだ。

「なんでそんな意地の悪いことするんだよ!」

「もう! なんでわかんないの? 陽司が好きだからに決まってるでしょ!」

「す、き? え、ああ、まあ、俺も嫌いじゃないけど」

「違う! ライクじゃなくてラブ!」

「ん? ……んぅっ」

 理解できなくて首をひねったら、頬を両手で挟まれて引き寄せられる。再び触れた唇に頭が混乱してきた。ラブ? ラブってなんだ?

「ずっと好きなんだよ」

 なに冗談言ってるんだよ――そう言葉にしかけて、それが喉の奥に飲み込まれた。ひどく切ない顔で、ひどく苦しそうな顔で、自分を見つめるそのまなざしに声が出ない。
 こんな表情をするやつだったのかと、驚きさえ湧く。それでもからかいや冗談じゃないことは、馬鹿な俺にでもわかる。

「ごめん」

「それ、なんのごめん?」

「あっ、いや、冗談だと思ってごめん」

「俺と付き合ってくれる?」

「付き、合う? えっと、あー、考えておく」

「NOは俺とさよならだと思って」

「一か百かしかないのかよ! ……あ」

 極端な言葉に思わずツッコミを入れてしまった。真面目な場面だったとハッとするけれど、目の前の顔は驚いたようにパチパチと瞬いて、すぐにぷっと吹き出した。

「当たり前でしょ!」

「あ、当たり前ってなんだよ」

 得意気な声で、晴れやかに笑う顔がやけに眩しく感じる。この男はこんなにもキラキラとしていただろうか。胸の音が少しばかり騒がしくて、その変化にうろたえてしまった。
 始まる物語が恋物語だなんて――想定外だ。

トキメキの放物線/end

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