Days with you/01
5/11

 二人の出逢いのはじまり――それは神谷雪羽が一年だった頃。長いゴールデンウィークが終わってしばらくした時のことだ。その日は昼休み前に理科の教師から、教材を授業までに運んで欲しいと頼まれた。そしてそれは旧校舎の教材室にあると教えられる。

 古びた旧校舎は普段はあまり使われておらず、一階と二階を放課後に美術部と吹奏楽部が使用している程度。三階は教材室と使われていない教室がいくつか。日中はほとんどそこに人が出入りすることはない。そして本校舎と旧校舎は渡り廊下を抜けなければならないほど、距離が離れている。
 そのため女子生徒に用事を言いつけるのは不用心と雪羽を指名してきたのだ。

 昼飯を食べてからのんびりと行っては時間がかかると判断した雪羽は、昼休みになるとすぐに旧校舎へと向かうことにした。
 そしてひと気のない旧校舎の階段を上って、三階の奥にある教材室へ足を向けた時、小さな物音が廊下に響いた。思いがけないその音に驚いて視線を巡らせた雪羽は、教材室の隣にある教室の戸が薄く開いているのに気がつく。
 なに気ない気持ちで誘われるようにその中を覗けば、机や椅子が隅へ押しやられた一角、そこに見覚えのある横顔を見つけた。

 すっと通った高い鼻筋、大人びた色を浮かべる茶色い瞳。色気すら感じさせる薄い唇。さらさらと風になびく薄茶色の髪さえ煌めいて見える。それは人の目を惹きつけて止まない整った顔立ちだ。そこにいたのは同じ一年の葛原日向。一度見れば大抵の人がその存在を忘れられないだろう人物。

 見目の整った彼がまとう空気はとても非凡に感じられる。それゆえそれに惹き寄せられる者たちが集まり、いつも彼の周りには人が絶えない。しかし見るからに彼は群れるのを好まない雰囲気を持っている。
 ひと気のない場所で一人きりになりたいと思うのも道理だろう。だから雪羽はその時、なにも見なかったことにしてその場を通り過ぎた。

 それでもなにかと用事を言いつけられる雪羽は、そのあとも度々旧校舎で日向を見かけた。いつも一人静かに窓の外を眺めていたり、携帯電話に視線を落としていたり。時折紛れ込んでくる猫と戯れていることもあった。
 けれどそんな日向を見守るだけの日はある日一転する。思いがけずに近づくきっかけが生まれ、気づけば誰よりも傍にいる存在に変わっていた。そして旧校舎はいつの間にか二人の秘密の場所になった。

 けれどそれから一年以上が過ぎ、日向もいまでは教室で昼休みを過ごすことが増えた。一番の原因は雪羽を独り占めにしている日向への友人たちからの抗議だ。
 せめて週の半分は雪羽を返せと日向は詰め寄られた。最初はそれに難色を示していた日向も、雪羽がどうしてもとねだれば不承不承だが頷いた。
 結局いまでは雪羽の教室に日向もやって来て、みんなで食事をしている。それにもう暦は十二月。旧校舎は隙間風も吹き、暖房がなくて寒いという理由もあった。

「ところでさ、神谷」

「なんだ?」

「ずっと気になってたんだけど」

「ん?」

 いつものように友人たちと和やかに食事をしていたら、中学時代からの付き合いで親友でもある滝川が、至極真面目な顔をして雪羽を見た。その視線に雪羽は不思議そうに首を傾げる。

「お前たちって、付き合ってんの?」

「えっ?」

 ぴんと伸ばされた指先が雪羽と日向を指し示す。その指先を見つめて雪羽は大げさなほど肩を跳ね上げた。けれどその反応に滝川は細い目をさらに細めて、少し呆れたように息をつく。そんな思いがけない視線を向けられて、雪羽は恐る恐るほかの二人の友人たちにも視線を向ける。

「確かにびっくりするけどさ」

「なんて言うか、あーなるほどって感じだよな」

 高校からの友人、木山と小出は窺うような雪羽の視線に、ほんの少し困ったように笑いながら肩をすくめた。まったく嫌悪的な反応は見られないが、やけに納得したような対応をされて雪羽は戸惑い固まってしまう。

「神谷、いいか。お前のいまの状況を冷静に考えて見ろ」

「状況?」

 どう答えていいのかを迷っている雪羽に、滝川は多くを語らずまっすぐに見据えてくる。その視線と言葉に状況確認を試みる雪羽だったが、いまの自分が言い訳の効かない状態だと言うことを再認識して、目に見てわかるほど顔を紅潮させる。

 なんの疑問も抱かずに、雪羽は日向が腰かけている椅子の隙間に座っている。足を大きく開いた日向のあいだにすっぽりと収まり、後ろからは腰に腕を回されていた。それは端から見なくとも明らかにべったりな状態。
 普段から雪羽は日向といるとこの体勢が多い。旧校舎でも壁にもたれて座る日向に背中を預けて座っていることがほとんどだった。

「今年の初め頃から明らかに葛原が神谷にべったりだよな」

「つまりその頃からってことだよな」

「まあ、以前から女子の噂は耳にはしてたけど。神谷と葛原が仲良すぎて怪しいって」

 しみじみと語る三人の友人たちに雪羽は耳や首筋まで赤くする。けれどその主原因である日向は、しれっとした顔で雪羽が手に持っていた紙パックジュースを口元に引き寄せる。そしてなんの躊躇いもなくストローをくわえてジュースを啜った。

「そうそう、このなんでもなさそうな感じが思わずスルーしたくなるところだよな」

「まあ、俺たちは今更どっちでも気にしないけどな」

 暢気に笑った木山と小出はなにごともなかったみたいな顔でパンを頬ばり、弁当に箸を向ける。

「まあ、周りになんか言われたら俺たちに言えよ。文句言ってやる」

「あ、ああ、なんか悪いな。ありがとう」

「そんなことよりクリスマスだけどさ。今年はどうする? 葛原も来る?」

 にんまりと笑みを浮かべた滝川に雪羽はほっと胸をなで下ろす。けれどふいに振られた言葉を聞いて、いままでだんまりだった日向が雪羽の腰に回した腕に力を込める。それに気づいた雪羽が顔を上げれば、どこか不機嫌そうな横顔がそこにはあった。

「そうだ、日向。滝川と俺で毎年クリスマス会みたいなの開いてるんだよ。とは言っても少人数で集まるんだけど。今年は俺も含めてこの四人かな」

「ははーん、その気に入らないって顔は、なるほど。さてはクリスマスデートだな」

「え?」

 むっつりと顔をしかめている日向に滝川はにやにやと笑って目を細める。そして彼が発した言葉に雪羽は驚いて目を瞬かせた。間近にある顔を見上げたら、もの言いたげに眉間にしわが寄っている。

「安心しろ。やるのは二十四日の夕方から夜の八時か九時くらいまで。そのあとはお持ち帰りするなりなんなり、どうぞ」

「た、滝川! そういういやらしい言い方すんな」

「え? だってそういうことだろ? じゃあ、どこでやる? あ、葛原の家は? 時短でよくない? 俺たち帰ったあとは自由だぞ」

「その話、乗った」

「日向まで!」

 滝川の軽い調子に即答した日向に雪羽は肩を落とす。けれどそんな雪羽を抱き寄せて日向は後ろから頬を寄せてくる。クリスマス――雪羽は深く考えていなかったが、去年はここまで関係が進んでいなかったから一緒には過ごさなかった。
 付き合う意識を持ったのは今年の初め頃。けれど考えてみれば、好きな相手と過ごすクリスマスはかなり重要だ。それを改めて感じて、雪羽は自分を抱き寄せる手をそっと握った。そしてプレゼントはなにをあげよう、そんなことを考えて顔を緩ませる。

「料理とかはどうする? 持ち寄るか?」

「いい、母親に言っておく。多分喜んで準備をするから、それはこちらに任せておいてくれて構わない」

「あ、日向のお母さんはすごい料理上手だから、楽しみにしてたほうがいいぞ」

「へぇ、そうなんだ。そっか、神谷は親公認か」

「だから滝川、いちいち突っ込むなよ。恥ずかしい」

 にやにやと笑う親友に雪羽はむず痒い顔をして目を伏せる。そして恥ずかしさを誤魔化すように焼きそばパンを大きく口に頬ばった。いまはもう口にものを詰めていないと口元が緩んで仕方がないと、立て続けにクリームパンにまでかぶりつく。

「いいなぁ、俺も恋人欲しい」

「可愛い子と知り合いになりたいな」

「野郎同士でクリスマス会やってる時点で無理だろう」

 甲斐甲斐しく雪羽にジュースを差し出したり、頭を撫でたりしている日向を見ながら木山と小出が羨ましげな声を上げるが、滝川がそれを容赦なく一刀両断した。それに二人は「だよな」と口を揃えてもの悲しげにうな垂れる。けれどそんな様子に日向がふいに視線を持ち上げた。

「年下でよけりゃ、声かけてやるぜ」

「え! なになに! 葛原、女子を紹介してくれんの?」

「年下でもいい! いくつ下?」

 ぽつりと呟いた日向の言葉に、雨雲を背負っていた二人が目を輝かせて顔を上げる。それに肩をすくめて、日向は制服のポケットに入れていた携帯電話を取り出した。

「一個下。妹に友達を呼ぶように言っておく」

「葛原マジで神!」

「って言うか、葛原の妹レベル高そうなんだけど」

「日向の妹すごく可愛いけど、彼氏はいるぞ。あ、でも友達は多いみたいだし、ちょっとくらいは期待してもいいかもな。妹の海玲ちゃんは丘の上にあるお嬢様学校だったはず」

「おおー! お嬢様!」

 一喜一憂して大騒ぎする木山と小出に、慌ててフォローを入れながら雪羽は乾いた笑いを浮かべる。けれど期待に胸を膨らます二人はそんなことには気づいていない。

「なんか今年はいつも以上に賑やかになりそうだな」

「うん、楽しみだ」

「ああ、早く冬休みにならないかな」

「あと三日で終業式だろ」

 両腕を伸ばして伸び上がった滝川に呆れたように雪羽は笑う。しかし冬休みが待ち遠しいのは雪羽も同じこと。それほど長い休みではないが、日向と年末年始は一緒に過ごす約束している。さらにクリスマスの予定も入って浮かれるには充分な楽しみだ。背中のぬくもりに雪羽はやんわりと笑みをこぼした。

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