一緒にいるためにできること
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 チチチッと小鳥のさえずりが聞こえる。まどろみの中でウトウトしていると、ベッドが軋んで、こめかみにキスを落とされる。
 そのまま寝たふりをしていれば、さらに頬や鼻先に口づけられた。

 次第に悪戯するように、Tシャツの中に手が滑り込んだので、礼斗は重たいまぶたを開く。

「あ、起きた?」

「気づいてて、やってるんだろ」

「アヤが可愛いからだよ」

 寝返りを打つと、自分を見下ろしていた直輝が至極幸せそうな笑みを浮かべた。
 その顔に手を伸ばし、頬を撫でれば、そっと近づいてくる。やんわりと唇に触れた感触に、礼斗の口元が緩んだ。

「まだ時間あるから、ちょっとする?」

「馬鹿、昨日の夜も散々しただろう。あんたは毎度毎度そうやって」

「昨日の夜もアヤ、可愛かったね。もう自分から腰振っていやらし……ごめんっ、ごめん! えっちで可愛かったから、つい」

 ニヤニヤとし始めた、直輝の両頬をぎゅっとつねると、涙目になりながら礼斗の手を叩いてくる。それでもさらに指先に力を込めたら、泣きながら何度も許してと謝られた。

「ほっぺた腫れた気がする」

「このくらいで腫れない」

「でもすごいヒリヒリする。赤くなってない?」

「ほっとけば治る」

「ここにキスしてくれたら治るかも」

「図々しいぞ」

 ちょんちょんと頬を指さす直輝に、礼斗が目を細めたら、途端にしょぼんとする。その情けない顔が可愛くて、無条件に甘やかしてしまうのは、少しばかり意志が弱すぎる気がした。
 それでも腕を引き寄せて頬に唇を寄せると、嬉しそうにはにかむので、プラスマイナスをゼロにする。

「直輝、くすぐったい」

「だってアヤが可愛い」

 キス一つでご機嫌になった直輝は、にこにこと笑いながら、お返しとばかりに何度も顔にキスを降らす。あまりにも無邪気に笑うので、礼斗もつられるようにやんわりと笑った。

「アヤ、可愛い」

「さっきからそればっかりだな」

 顔中にキスをしたあと、引き寄せられるように唇にもキスをして、礼斗は直輝の両頬を手の平で撫でた。すると彼は胸元にすり寄り、甘えるように身体を寄せてくる。
 両腕にきつく抱きしめられて、照れくさい気持ちになった。

「朝ご飯、食べようか。できてるよ」

「うん。って、できてるなら、早く言えよ。冷めるだろう。顔を洗ってくる」

 いま思い出したかのような話しぶりに呆れる。鼻先をつまんだら、直輝はふがっと変な声を出した。

「そうだ、コーヒー豆、新しくしたんだけど」

「あんたはなにを飲んでも、一緒じゃないのか?」

 身支度を調えリビングに戻ると、いつものようにコーヒーの香りが漂っていた。しかし匂いで違いがわかるほど、礼斗はコーヒー通ではない。

「えー、最近は牛乳は三分の一だし、砂糖は二杯になったよ」

「それってあんまり、というか全然変わってない」

「俺もいつかブラックを飲めるようになる!」

「そこは頑張らなくてもいいと思うぞ」

「アヤが色んなこと頑張ってくれてるのに、俺がなにもしないわけにはいかないよ。少しずつ二人の丁度いいところ探そう」

「うん」

 マグカップを持った直輝に促されて、ダイニングテーブルに足を向ける。二人掛けのテーブルの上には、トーストとサラダ、コーヒーと半熟の目玉焼き。
 二人で向かい合って両手を合わせ、直輝は醤油、礼斗はソースを手に取った。

「今日のミーティングは、来週の打ち合わせについてだったな」

「新規の顧客だから、対応は考えないとね」

「そうだな。まあ、あんたならうまくやるだろう」

「信頼してもらえるのは嬉しいけど、結構プレッシャー」

「大丈夫だって、代表が担当なら向こうだって、……期待は大きいかな」

「そうやって追い打ちかける」

 恨めしげな目をして見つめてくる直輝に、ふっと礼斗は笑みをこぼした。けれどすぐに素知らぬ顔で、トーストに目玉焼きを載せてかぶりつく。
 パラパラとこぼれる、パンくずを払い皿へ落とすと、さらにもう一口。

「でもアヤがいてくれて、心強いよ」

「そうか? それならいいけど」

「アヤを獲得するために、俺たちがどんなに死力を尽くしたか」

「こっちも辞めてくれるなって、泣きすがられて大変だったんだぞ」

 あれから直輝は予定通り元の会社に戻り、そのあと独立を果たした。しばらく忙しくて会えないだろうと、そう思っていたところに、突然の礼斗へのヘッドハンティング。

 雇用条件は、できたばかりの会社のわりになかなか良くて、新しいことに興味が湧いた。一番の理由は直輝がいる場所、という邪なものだ。
 とはいえ新しい環境は居心地が良くて、選択に間違いはなかった。

「アヤ、あっちの家はもう片付けた?」

「あー、うーん、まあ」

「来週引き払うんだよね?」

「その予定だ」

「持ってくるのは、服だけでいいよって言っただろ」

「そうなんだけどな」

 最近はずっと、直輝の新居に入り浸っているので、早く引っ越して来いと、管理会社に電話させられた。
 しかし時間はあるのだが、私生活が面倒臭がりの礼斗は、荷造りがいつまで経っても終わらない。

「もう! 俺が片付けるよ」

「うん、悪い。頼む」

「最近のアヤは素直でよろしい」

「うるさいよ」

「可愛い、可愛い」

 じとりと礼斗が目を細めれば、直輝は締まりのない顔で笑う。近頃の彼はこれまでにも増して、よく笑うようになった。それは彼だけではなく、礼斗自身もだ。

 毎日のように喧嘩していた、あの頃が嘘のようだった。ほんの少し自分たちの譲れなかった部分を、譲歩し合っただけだというのに、こんなにも大きく変化するなんて。
 昔の自分に教えてやりたい、そんなことを思う。とはいえいまの二人だから、乗り越えられることなのかもしれない。

 当時は二十歳そこそこ、まだ子供だった自分たちは、感情をコントロールする術を知らなかった。言いたいことを言い合うのが、いい関係と思っていたのだろう。
 それは決して間違いはないけれど、お互いが引くこともなくぶつかり合えば火花も散る。

 少し前の礼斗も、まったく大人になりきれていなかったが、直輝の落ち着きを見てさすがに考えさせられた。
 相手を受け止められるだけの度量が欲しいと、好きな人を優しく包めるだけの、愛情が持てるようになりたいと。

「アヤ、今日の晩ご飯はなににする?」

「んー、給料日だろ? すき焼きとか」

「いいね! すき焼きと言ったら」

「はんぺん」

「焼き豆腐!」

「ネギ」

「白菜!」

 同時に発した二人の声が被るが、異なった好物にじっと睨み合う羽目になる。

「じゃあ肉は」

「豚ロース」

「牛肉!」

 すき焼きの具材は数あれど、ことごとく意見が食い違う。ここまで好みが真っ二つに分かれると、ある意味奇跡のように思える。しばらく睨み合ったあと、二人は吹き出すように笑った。

「まあ、全部入れればいいだけの話だな」

「鍋に入りきるかな?」

「入るか、じゃなくて入れるんだよ」

「大きい鍋、買っちゃおうか」

「そうだな」

「じゃあ、今日の帰り、デートしよう」

「うん。あ、ほら、そろそろ行くぞ」

 慌ただしく皿の上のものを腹に収めてから、二人は顔を見合わせるとお互いの手を差し出し、ぎゅっと握り合わせた。

「よし、今日も一日、頑張ろう」

「おう」

「あ、待ってアヤ」

「なんだよ」

 いざと鞄を手にした礼斗は、直輝に引き止められる。さらには身体を向き合わされて、両手を繋がれた。じっと見つめてくる視線に首をひねれば、にっこりと彼は微笑んだ。

「今日もすごく可愛いよ。大好きだよ」

「あんたは毎朝、ほんと飽きないな」

「だって毎朝言わないと落ち着かなくて。ほら、言葉にするだけで違うと思わない? 今日も一日、アヤのこと大事にするよ」

「へ、変な日課を作るな」

「アヤ、めちゃくちゃ愛してる。この先絶対に、隠しごとはしないからね。俺、正直に生きることにしたから」

「わかったって、もう」

 繋がれた手からは、優しい熱を感じる。触れた唇はぬくもりに愛情がこもっている。
 ぶつかり合って、喧嘩する日もたまにあるけれど、いまはそれに傷つくことはなくなった。心から笑い合う二人のあいだには、断ち切れることも、解けることもない運命の赤い糸が見える。

「アヤ、す……」

「もう言いすぎだ。俺の気持ちが霞むだろう」

 なおも言い募ろうとする直輝の口を片手で塞ぐ。すると彼は目を瞬かせて驚いた顔をした。その顔に礼斗が小さく笑うと、目の前の顔がやけに嬉々とした笑顔に変わる。

「じゃあ、アヤは?」

「え? あ、……好、き、好きだよ! 文句あるか!」

「ちょっと、そういう可愛い逆ギレやめて!」

「うるさい、笑うな!」

 キラキラとした笑顔が溢れるいまの二人なら、きっと幸せをたくさん降り積もらせることができるだろう。相手に寄り添う、たったそれだけのことが、二人に幸せをもたらす。
 失敗を繰り返して、一緒に成長していく。それがいまの二人にできること。

トライアル・アンド・エラー!
~もう一度、恋しませんか?/end

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