末候*半夏生(はんげしょうず)
長雨が続く季節、田舎町は少しばかり風情があるように見える。しとしとと降る雨の中、田んぼでカエルが跳ねたり、あじさいの葉の上にカタツムリがいたり。なにより都会と違うのは草葉の匂いがすることだ。 それは蒸し蒸しとした湿気と熱気ばかりの街中では…
可惜夜に浮かれ烏と暁の月
次候*菖蒲華(あやめはなさく)
雨降りが続く梅雨真っ盛り。梅雨の季節と言えばあじさい、というのが定番だけれど、校庭の花壇にはそれとは違う花が咲いている。 紫や青や白――すらりとした立ち姿や花の形などは、自宅の庭に咲いていたアヤメに似ている。しかし庭でそれが咲いていたのは…
可惜夜に浮かれ烏と暁の月
初候*乃東枯乃東枯(なつかれくさかるる)
梅雨入り宣言がなされたのはつい先日のこと。からっとした晴れ間が続いていたのに、梅雨となった途端に雨曇りになるのだから、日本の気候というものはとても面白い。 しかし雨が増えて湿気が多くなると、空気がじめじめとするので、暁治はあまりこの季節は…
可惜夜に浮かれ烏と暁の月
末候*梅子黄(うめのみきばむ)
居間と台所の間にある柱には、小さな傷がある。たくさん、というわけではないが、暁治の腰くらいの高さから、肩の辺りまでさまざまだ。 その犯人の一人である暁治は、刻まれた傷のひとつをするりとなでた。 柱の傷がどうのと言ったのは、端午の節句の歌だ…
可惜夜に浮かれ烏と暁の月
次候*腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)
ただいまぁという小さな声と、物音がしたのでアトリエから玄関を覗き込むと、玄関マットの上で朱嶺が麦わら帽子を脱いでた。とっくに察していたことではあるが、彼にとってこの家はすでに自宅と同じ扱いらしい。なんとなく嫌な予感がして視線をそらそうとし…
可惜夜に浮かれ烏と暁の月
初候*螳螂生(かまきりしょうず)
「ねぇっ、はるっはるっ!」 背中から声をかけられて振り返ると、赤茶色の髪をした少年が、手にした枝をゆらゆらと振った。 青々とした葉をつけた、のびやかな若枝だ。「ねぇ、これって、お豆腐みたいじゃない?」 言われてみると、枝の先にふわふわぷるん…
可惜夜に浮かれ烏と暁の月
末候*麦秋至(むぎのときいたる)
この歳になって、指切りをすることがあるなんて思いもしなかった。目の前で結ばれた小指と小指。ぶんぶんと縦に振られるそれを暁治は呆れたような目で見つめてしまった。「ゆ~びきりげんまん、うっそついたら針千本の~ますっ」 どこ間延びしたような歌声…
可惜夜に浮かれ烏と暁の月
次候*紅花栄(べにばなさかう)
絵を描くのが好きで、子供の頃から色々なものを描いてきた。けれどただ一つだけ、暁治には苦手なものがある。それは――人を描くことだ。これだけは昔から得意ではなく、絵の品評会などでは見向きもされない。 ひどくデッサンが崩れているわけでも、ひどく…
可惜夜に浮かれ烏と暁の月
初候*蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)
五月も後半にさしかかると、五月病だとか休みぼけだとか、言っていられなくなる。生徒たちは中間テストが間近だし、四月から始まった暁治の教師生活はまだ始まって日が浅い。覚えることも多く、手が空けばほかの先生たちに声をかけられた。 常勤の教師では…
可惜夜に浮かれ烏と暁の月
末候*竹笋生(たけのこしょうず)
子供のころはさほど気にしたことはなかったのだが、採れたての野菜の美味さは格別だ。 野菜はもいだ瞬間から味が落ちる。 先日も兼業農家を営むお隣の山田さんが、差し入れのトマトを食べて唸る暁治を見て、胸を張って言ったものだ。とうもろこしもキャベ…
可惜夜に浮かれ烏と暁の月