可惜夜に浮かれ烏と暁の月

次候*蚯蚓出(みみずいづる)

 ――解せぬ。 徒歩で三時間ばかり歩いた山道。その先にあったのは、白い河原と澄んだ水の流れる川だった。キャッキャうふふとはしゃいで釣り糸を垂れる少年二人を横目で見つつ、暁治は岩のひとつにぐてりと腰をおろした。 なんであいつらはあんなに元気な…

初候*蛙始鳴かわずはじめてなく)

 そういえば、ここは田舎だったな。 色々あって超してきて早四ヶ月。確かに周りは田んぼや畑。駅まで遠いわ、家の前の路は辛うじて舗装されてはいるものの、近所のバス停から学校へ向かう道すがらはまだ砂利道という。 もしかしてここは新しい年号を迎えて…

末候*牡丹華(ぼたんはなさく)

 気にかけたのなら、きっといまよりもっと――そう言われてからしばらくして気づいた。校舎の中で生徒たちと会話を交わす赤朽葉色。 これまで目に映っていなかったものが、ふっと現れたような不思議な感覚だけれど、おそらく単にタイミングが合わなかっただ…

次候*霜止出苗(しもやんでなえいづる)

 昔はこの町でも田んぼで稲の苗を育てていた。しかしいまではパイプハウスで育苗するのが主流らしい。水の管理や温度、病害虫の駆除などを行いやすいためなのだと、豆知識のようなものを石蕗に教えてもらった。 なぜ米の話になったのかと言えば、一人暮らし…

初候*葭始生(あしはじめてしょうず)

 人というものは突然の出来事と、理解不能なものには、とっさに反応ができないものだ。あの日、耳元で囁かれた言葉に、正直言えばまだ暁治は理解が追いついていない。 好き――それには色々な感情がある。しかしあの脳天気そうな男の好き、なんて、それほど…

末候*虹始見(にじはじめてあらわる)

 雨は普段目に見えない水蒸気が、空の上の方の冷たい空気に冷やされて雲になり、さらに粒が大きくなると、雨となって降ってくるんだよ。 小さいころ、田舎の縁側に座って空を眺めていた暁治に、教えてくれたのは祖父だった。 古典文学や逸話だけではなく、…

次候*鴻雁北(こうがんきたへかえる)

 玄関の門の軒下につばめが巣を作った。 いや、巣は元からあったのだが、暁治が気づかなかっただけなのかもしれない。「雀の次はつばめの巣とはなぁ」 新学期が始まって、久しぶりの休み。朝からピィピィ騒がしい声がして、探してみたら巣があったというわ…

初候*玄鳥至玄鳥至(つばめきたる)

「桜の木の下には死体が埋まってるそうですよ」 新学期といえば、すべてが新しく輝く季節だろう。弾んだ声をあちこちで聞きながら、暁治は迎え入れられるように新しい職場の門をくぐった。 まだ少し早い時間、校舎の奥にちらちらと視界を横切る桃色に誘われ…

次候*桜始開(さくらはじめてひらく)

 春がすぐそこまで近づいた。うららかな日和で、庭の桜も膨らんだ蕾を綻ばせ始めている。梅の見頃は終わったので次は桜だなと、イーゼルを担いで暁治は庭へ下りた。 そして桜が良く見える場所を探して木の近くをウロウロとし、ピンとくると場所に目印を挿す…