玄関の門の軒下につばめが巣を作った。
いや、巣は元からあったのだが、暁治が気づかなかっただけなのかもしれない。
「雀の次はつばめの巣とはなぁ」
新学期が始まって、久しぶりの休み。朝からピィピィ騒がしい声がして、探してみたら巣があったというわけだ。丸めた新聞で肩を叩くと、暁治はどうしたものかと、どんより雨雲の広がる空を見上げた。
「はるっ、おっはよ!!」
「ぐへっ!」
暁治の背後から、駆け足一足飛びで背中に飛びついたのは、最近パーソナルスペース侵害も甚だしい、ご近所さん兼半居候兼教え子だ。なぜか日を重ねるほどに兼務が多くなってきている気がする。
「おい、重いから離れろ」
「やぁ~だ」
背中に負ぶさり、ぐりぐりと肩口に懐くでかいものを振り払おうと身をひねるが、まったく剥がれる気配がない。
「ええぃ、お前は子泣きジジイか」
「え~、僕あんなシワシワおじいさんじゃないよ」
耳元で囁かれるように言われて、くすぐったくて仕方ない。ぐいぐい手のひらで顔を押していると、くすりと笑う声がした。
「つばめが巣を作る家は縁起がよいといいますね」
「石蕗?」
「はい」
振り向いた先にいたのは、先だって学校で会った相手だ。
「おはようございます」
休みだから私服なのはわかる。が、藍色の紬にさらに濃い羽織を重ねて、花萌葱の濃い緑の風呂敷包みを手にしている姿が、嫌味なほど似合い過ぎてて暁治の眉が寄った。高校生にはとても見えない。
「ぼくらもいるよ!」
「いるよー!」
くいと上着の裾を引かれる。俯くと足元にいつぞやの白と黒の髪をした双子がいた。ちょうど彼の腰の辺りにつむじが見える。
「きょーもおみまい」
「元気かー?」
言葉と共に白い髪の子供が酒瓶を掲げた。
「お見舞いじゃなくて、ご機嫌伺い、だよ」
「あいさつうかがーい!」
「あいあいさーつ!」
石蕗がたしなめると、彼らはこめかみの辺りに手を当てて敬礼した。もっとも、一升瓶を抱えていた白頭は、酒瓶を抱えた手をちょいちょいと振っただけなのだが。
「先日うちの子たちがお世話になったそうで、ご挨拶も兼ねて伺いました」
「ゆーゆはこの裏山の麓にある稲荷神社の子なの」
「はい、この子たちの保護者をしています」
背中に張りついたまま答える朱嶺に、石蕗が補足を加えた。なるほどと納得したものの、新たな謎に首をひねる。ゆーゆ?
「下の名前が優真なんです」
だからゆーゆというらしい。もじるにしても他の呼び方はなかったのだろうか。
「可愛いでしょー?」
「かわいー」
「かわいいっ!」
多数決だとニ対一。ゆーゆ本人もニコニコするばかりで、特に気にしてなさそうだ。
「仲良しですね」
「そう見えるか?」
どちらかと言えば、取り憑かれてないか? これ。ため息をつく暁治である。
「はい、とても」
外野には伝わっていないようだ。悲しい。
しかし引っ越し祝いで来たご近所さんと、就任初日に会った生徒が友人同士というのは、偶然にしては出来すぎてる気がする。
「正治先生はうちの親と仲がよかったですし、朱嶺はよくくっついてましたからねぇ」
「そうなのか」
まったく知らない祖父事情を聞かされ、ふむと考えこんでいると、背中のおんぶお化けが腕が疲れたと、足を絡めて身体をよじよじ登って来た。
いい加減にしろと、こめかみを人差し指を曲げてぐりぐりしていると、石蕗の生温かい眼差しがさらに温くなって来ていて断固否定したいと思う。やめてくれ。
じっとり湿った視線を石蕗に向けると、お土産ですと風呂敷包みを手渡された。手にした包みの重さを手で量っていると、足元の双子が「おいなりさんっ!」と、声をハモらせる。
「そういえば、つばめは渡り鳥で、この季節やってくるのですが」
おいなりさんが嬉しいのか、暁治の周りを手を取って回る双子から目を離した石蕗は、ふと思いついたように口を開く。
「この時期去っていく鳥もいるんですよね」
「へぇ、そんなのもいるのか」
暖かくなったから、やってくるというならわかるのだけど。
「雁とかですね。彼らは冬の前にやって来て、暖かくなると北へ帰るのだそうです」
「なるほど、日本の北だと冬はもっと寒いしな」
「はい、面白いですよね。来るもの去るもの。まるで人の出会いのようで」
「確かになぁ」
「縁は異なものといいますが、これからもよろしくお願いしますね」
言われて『来るもの』が自分を指すのだと気づいて、暁治は目を瞬かせる。
「こちらこそ」
石蕗が出会いというなら、暁治から見てもそうだ。
「ゆーゆとはるは出会いと別れぇ」
「こんにちはとさよならー!」
「おいおい、お前ら気が早くないか?」
手を振るちびたちの頭をぐりぐりとなでてやる。春は出会いと別れとは言うけれど。こいつらとはまだ会ったばかりだ。すれ違うだけのご縁もあるけれど、できれば出会いは大切にしたい暁治である。
「でも先生、出会いと別れはワンセットと言いますよ」
そりゃ、会わないと別れもないしな。
のんきにそんなことを思った暁治の首がキュッと締まった。
「ちょ、朱嶺苦しい!」
背中に張りついていた朱嶺が、すごい力で抱き着いてきたからだ。抗議をするものの力が緩む気配がない。振り落とそうとジタバタと暴れていると、いつの間にかそばに来た石蕗が、おんぶお化けの頭を殴った。
朱嶺は手を離すと地面に尻餅をつく。かなり痛かったらしく、しばらくかたまっていたものの、やがて顔を上げて恨めしそうな涙目で石蕗を見上げた。
「酒瓶はないと思う……」
しょんぼりとした声に石蕗を見ると、涼しげな表情で、先ほどまで白髪の子供が手にしていた酒瓶を持っている。
「先生を助けるためです」
「うそだ、手を返してフルスイングで振りかぶってた! 日頃の恨みがこもってた!!」
「否定はしません」
しないんだ?
心の中でツッコミをいれた暁治だが、続く「ちゃんと手加減はしましたよ。割れないように」という言葉に、彼だけは怒らせないようにしようと思った。
「先生?」
「あ、あぁ」
呼ばれて我に返ると、暁治はまだしゃがんだままの朱嶺に手を差し伸べた。握りしめられた手を引っ張って起こすと、裾を叩いてやる。
「まぁ、確かに会わなきゃ別れもないだろうけどさ」
たぶん祖父のことなのだろうと察しをつけつつ、なんとなく、思いつくまま口を開く。そういえば生前祖父がよく言っていた。
――人生一期一会。
生まれてからこのときまで、会った人、別れた人。この世にいるすべての人からしたらほんの一握りで、彼の人生全部使ったって、全員を知ることはできないけれど。
「後で後悔しないよう、自分に今できる精一杯の付き合いをしたいと、俺は思ってるよ」
朱嶺に笑いかけると、なにか言いたそうに口元が開かれる。答えを待っていると、頬にぽつりとしたしずくが落ちた。雨だ。
ぽつり、ぽつりと落ちるしずくは、やがて本降りへと変わっていく。
「まぁ、とりあえず、家に入るか」
暁治は親指を立てて家を指すと、朱嶺の腕を取り玄関へと急いだ。
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