一月も半ばを過ぎ、雪が降り積もる毎日。都会ではお目にかかることができない、銀世界だ。積雪は一メートル、あるとかないとか。
雪を掻いても掻いても終わらないが、寒さで冬ごもりしたくなる。
そんなことを考えながら、暁治は居間から見える庭を眺め、息をついた。
その視線の先には、見た目若人なあやかしたち。縁側のガラス戸を通しても、雪が降る外の世界は寒そうだ。それなのに、揃いも揃って大はしゃぎしている。
「猫はこたつで、丸くなるんじゃなかったのか」
キイチは朱嶺に雪玉をぶつけて、意気揚々としている。それに負けじと応戦する姿は、本当に少年のようだ。
河太郎と鷹野はかまくら作りに勤しんでいる。そのすぐ傍には、不格好な雪だるまが二つ。
「妖怪は雪に強いのか? いや、妖怪に限ったことじゃないな」
先ほどまでかまくら作りに混じっていた、桜小路が楽しそうになにかを作っている。嬉々とした笑顔は、最近よく見るようになった。
黙っていると厳つい顔をしているが、このところ笑っていることが多いので、穏やかに見える。
この町に来て、かなり気持ちにゆとりが出たのだろう。
周りが賑やかだから、それに感化されているのかもしれない。なんにせよ、いいことだ。
茶をすすりながら、暁治は手元に視線を落とした。
「さむっ」
一人でこたつを満喫していたが、ふいに冷気が漂う。顔を上げて庭へ視線を戻すと、ガラス戸が開いている。そこには桜小路が立っていて、縁側で彼らを見ていた桃が、満面の笑みで振り返った。
暁治と目が合うと、彼女はなにかを手にして駆けてくる。そして瞳をキラキラさせて、それを暁治の目先に差し出した。
「雪うさぎ、か。って、手に持ったら溶けるぞ」
慌てて立ち上がり、暁治は台所から銀トレイを持ってくる。桜小路が作った小さな雪うさぎは、全部で七羽。
微妙にサイズ感が違うそれらは、この家の家族たち、だそうだ。
「これだけいたら、毎日騒がしいはずだよな」
「宮古、楽しそうだな」
「え? そうか?」
「ああ」
やんわりと目を細められて、少しばかりくすぐったい気持ちになった。毎日が楽しい――その感情が、暁治の欠けていた部分を埋めたのは、間違いない。
「コウちゃん! この上、固めて!」
「いま行く」
騒がしい声、賑やかな声、笑い声。それを聞いていると、なぜだか心が優しく凪いでいく。いつの間にかこの空気に、自分が溶け込んでいることに、暁治は気づかされた。
「あのかまくら、何人仕様だよ」
庭の一角にできたかまくらは、大人が数人は入れそうだ。
そういえば、と思い出す。子供の頃に作ったかまくらは、朱嶺と暁治が入ってちょうどくらいだった。そんな些細なことが、大人になったのだなと感じさせる。
「雪景色もいいもんだな」
自然と浮かぶ笑み、暁治はまた手元に視線を落とす。そして手にしたスケッチブックに、鉛筆を走らせた。
すらすらと手が動く。描きたいものが、どんどんと浮かんでくる。絵を描いていて楽しいのは、こういう時だ。
ふと息をついて、こたつの上の湯飲みに手を伸ばした。けれどいつの間にか、熱かったお茶は冷め切っていた。随分と時間が経っていたことに気づき、暁治は庭を見る。
完成した大きなかまくらに、七体の雪だるま。けれどそこには、彼らの姿がなかった。
不思議に思い首をひねるが、すぐに玄関のほうからわいわいとした、騒がしい声が聞こえてくる。
「駄烏! ちゃんと雪を払うにゃ!」
「ちゃんと落としたよ!」
「兄ぃ、キイチ殿、喧嘩はいけないでござる」
「やあやあ、桜小路殿のおかげで、捗りましたなぁ」
「駄猫は放って置いて、桃ちゃん、行こう行こう。寒ーい」
どうやら雪を払うために、そちらに回ったようだ。きっと雪合戦が白熱したに違いない。そんなことを思い、肩をすくめる暁治だが、はたと我に返り、床一面に散らばった紙をかき集めた。
けれどそうこうしているうちに、足音が近づいてくる。
「はる~!」
からりと障子が開かれて、顔を上げた瞬間、ひらりと紙が一枚宙に舞う。とっさに手を伸ばすものの、届かなかった。
「あ、絵を描いてたの?」
「み、見るな!」
足元に落ちた紙を拾い上げる朱嶺に、制止の声をかけるけれど、その甲斐もなくそれに視線が集まる。彼の後ろから覗き込む一同に、暁治の顔が赤く染まった。
「これは……」
「おれたちにゃ」
「おお、さすがは絵師でござる」
「私もおりますな!」
感嘆の声が上がるが、身内に見られると恥ずかしいものだ。絵を見れば、暁治の目に彼らがどんな風に映っているのか。それがバレてしまう。
顔を上げた桜小路は、落ち着きなく視線をさ迷わせる暁治に、意味ありげに微笑んだ。
「もっとほかにもあるの?」
「見たいにゃ!」
わっと群がってきたあやかしたちに、あっという間にスケッチブックや紙をさらわれる。貼り出すみたいに、床に一枚ずつ並べられて、暁治はいたたまれず、顔を覆う。
けれどこんな風に、手放しで喜んでもらえるのは、子供の頃以来だと思った。
感動したように、みんなが笑顔を浮かべている。描いた絵を誰かに褒めてもらえることが、純粋に嬉しいと感じた。
それとともに、揺れ動いていた気持ちが固まった。
「はる?」
「うん、ちょっと」
賑やかな彼らを背に、暁治はその場を立つ。訝しげな朱嶺の顔に、片手を上げて返すと、自室に戻った。
「はい、今回は、すみません」
まず暁治がするべきことは、桜小路が持ってきた話に答えを出す、それ一択だ。
画廊の担当者に電話をかけて、自分の気持ちを正直に伝えた。
『そうですか。そちらに残られるのですね』
「とても悩んだんですが、……ここで描いていくことが、自分のプラスになると思ったんです」
『確かに、ここ一年で宮古さんの絵は大きく変わられました。残念ですが、自分に納得された時に、また連絡をください』
「ありがとうございます」
『ビジネスとして、今回の話は白紙に戻ります。ですが私は、あなたの絵が好きです。あなたと仕事がしたい。コンテスト、ぜひとも参加してください。宮古さんの可能性を信じています』
画廊・月葉堂が年に一回行うコンテストは、次世代の画家を輩出する大きな展覧会だ。そこで賞を獲った画家は、大きく飛躍することがほとんどだった。
期待をかけられることが、こんなにも嬉しいと思うのも、久しぶりだ。
ここへ来たばかりの頃は、もっとできる、もっと上を目指せと言われ、その重さに暁治は負けかけていた。しかしいまは、前へ進む勇気が湧いてくる。
心に大きな変化が生まれた証拠だろう。
「はる」
電話を切ると、小さな呼び声が聞こえた。それに振り向くと、朱嶺が部屋の戸口で、思い詰めたような顔で立っている。
その顔に暁治は笑って肩をすくめた。
「なんだよ。その通夜みたいな顔」
「決めたの?」
「決めたよ」
「大きなチャンスだよね」
「……ああ、でも俺はここで、絵を描いていくことに決めた。この町に根を下ろすよ」
「え?」
パチパチと瞬いて、朱嶺は呆気にとられた顔をする。てっきりもう、暁治がここにいる選択をすることに、気づいていると思っていた。
恋人のその間の抜けた反応を見て、暁治はぷっと吹き出すように笑う。
「なんだよ、俺がお前を置いて帰ると思ってたのか?」
「いや、その、だって。暁治の将来がかかってるって、コウちゃんが言ってたし」
「確かにそうだけど。俺の可能性は、ここで終わるわけじゃない」
この町にいてもできることがある。いや、この町だからこそできることが多い。天秤はどちらか片方に、傾かなければいけないわけではない。
それならば夢も、希望も手にしてもいいはずだ。
「そっか」
ほっとしたように表情を和らげた朱嶺は、へにゃりと笑った。そして近づいてくると、ベッドに腰かけていた暁治に飛びつく。
勢いのまま二人で倒れ込めば、ぎゅっと力強く抱きしめられた。
「はるはきっとすごい画家になるよ。あんなに優しい絵を描けるんだもん」
「まあ、長年生きてきたお前が言うんだから、信じるよ」
「僕の自慢の恋人だよ」
「そうか、そりゃ良かった」
「知ってる? ふきのとうって、この時期に蕾を出すのに、春の季語なんだよ。雪の下で春を育むんだ。まるでいまのはるみたいじゃない? いっぱい栄養つけて、春に蕾を開くね」
「春に、はるって……ややこしいな」
「僕、もしはるが帰ってしまっても、きっと追いかけてたよ」
身体を起こした朱嶺は、覗き込むように顔を寄せてくる。視線を合わせると、ふふっと小さく笑って、唇に触れるだけのキスをした。
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