告白05

 どうやら僕は普段の大人びた雰囲気と、少年らしい歳相応な表情のギャップに弱いようだ。彼がくるくると表情を変えるのを見ているとなんだか胸が騒ぐ。

「わかった、わかったからそんな恨めしい目で見るな!」

 耐えきれず、手にしていた鞄から携帯電話を取り出せば、藤堂の顔は途端に花でも咲いたかのように眩しい笑顔に変わる。

「ありがとうございます」

 こんな些細なことにも嬉しそうに顔を緩ませている年相応な藤堂の姿に、思わず吹き出すように笑ってしまう。

「けどメールとかマメじゃないし、電話もあんまりしないぞ」

「構いません。バイトが終わったらメールするので、もし時間がまた合いそうだったら返信してください」

「わかった」

 なんだ、このくすぐったい感じ。なんとなく忘れてた気持ちが思い起こされるような。ちょっとじんわり胸が温かくなる。突然湧き上がった感情に少し戸惑ってしまう。

「先生……随分と可愛いストラップをつけてますね」

「ん? ああ、これな。ちょっと恥ずかしいんだけど」

 細いチェーンとキラキラとした青い石が連なっている僕の携帯ストラップに、藤堂の指先が絡みつく。

「彼女?」

「あ、違う違う。姉さんがこういうの作るの好きらしくて、気がつけば色んなものがくっついてるんだよ。外してもつけられるし、もう諦めた」

 そう言って笑って見せれば、微かに寄った藤堂の眉間のしわが緩む。明らかにほっとした表情を浮かべる、その様子がなんだかむず痒い。
 今更だけどそんな仕草や反応を見ると、本当に藤堂は僕のことが好きなんだなと、思い知らされる。

「先生」

「……ん?」

 並び歩いていた藤堂が急に立ち止まった。それを訝しく思い振り返れば、藤堂の手が恭しくこちらへ差し出される。

「ほんの少し先生に、あなたに触れてもいいですか?」

「えっ?」

 突然で予想もしない藤堂の申し出に、声が上擦り挙動不審になってしまう。慌ただしく辺りを見回してしまう自分がひどく情けない。

「変な意味じゃなくて、ほんとに少しだけ、あなたに触れたいんです」

 少し困ったように笑う藤堂は、怯えさせぬよう優しく僕の手を取ると、壊れものを扱うみたいにそっと髪を梳く。その動きにじっと身構えていれば、ふいに手を引かれ身体を藤堂の胸元に引き寄せられた。
 瞬間、ふわりと香った藤堂の匂いになぜか、たまらないくらい胸が苦しくなった。そして突然の出来事に心臓が大きく跳ね上がり、止まりかけてしまう。身じろぎすると背中に回された藤堂の手に力がこもる。

「少しだけ、少しだけでいいんです」

 逃げないで――と優しく耳元で囁かれれば、不思議と身体の力が抜けていく。僕は触れる手やその声から意識をそらし、どうにかやりすごそうとした。けれどどんなに気づかない振りをしても、触れた場所からはっきりと伝わる藤堂の心臓の音は消せなかった。
 それが伝染するように僕の心臓までも早鐘を打ち始める。

「すみません」

「いや」

 どのくらいの時間が過ぎたのかはわからない。ふいに藤堂の身体が離れ、あいだを通り抜けていく風に熱が攫われていく。けれど申し訳なさそうに俯いている彼の手は、僕の指先をいまだ握ったままだ。

「……藤堂」

 小さく名前を呼び、ほんのわずか指に力を込めれば、名残惜しそうに藤堂の手がそこから離れていった。指先から感じた寂しさに、僕の気持ちまでも染められそうになる。

「帰り道、気をつけろよ」

「はい」

 あと数メートルというところまで近づいた駅に、僕は有無を言わせず強引に歩みを進めた。このまま一緒にいると、藤堂のペースに飲み込まれそうで怖くなったからだ。
 そんな僕の様子に、藤堂は少しだけなにか言いたげに口を開いたが、僕の気持ちを察してくれたのかすぐに小さく頷いた。

「じゃあ」

 歩くスピードが弱まる藤堂の背を叩いて促すと、僕は彼の迷いに気づかない振りをして片手を上げる。

「お疲れ様です先生……また、明日」

 ほんのわずか、寂しそうな表情を浮かべた藤堂に胸が痛んだのは内緒だ。

「ああ、また明日」

 会釈をし、足早に駅へ向かい歩き出した藤堂の背中を見つめる。何度か振り向きながらも人波の向こうへ消えた、その背中を確認して大きく息を吐いた。

「なんか動悸がする」

 どこか大人びた仕草や表情。藤堂は人の気持ちを先回りして考えられるような、びっくりするほどいい男だと思う。大きな包容力にうっかりほだされてしまいそうなほどだ。

「あんな風にお願いされてしまうと、強く突き放せないもんなんだな。自分の駄目さ加減がひど過ぎてへこむなこれは」

 うな垂れ肩を落とすとぐしゃぐしゃと頭をかき回す。藤堂に触れられた感触がいまだに残っている気がした。

「なんでこんなに動揺してるんだよ自分」

 流されやすい性格が今更ながらに露見して泣ける。もともと自分は押しに弱く、踏み込まれると拒めない性質なのだが、藤堂はどこか目が離せなくて、芯があり強そうに見えるけれど、どこか脆そうにも見えて近づきたくなる。

「ずっとあの調子で来られたら本当に流されるんじゃないか?」

 彼の持つギャップとそらせないくらいまっすぐな瞳に、すでに捕まってる気がするのは気のせいか。

「はあ、トラップってこれか? 計算か?」

 ふいに片平の言葉が頭をよぎる。でも藤堂といるとすべてが偽りに見えないし、嘘など感じない。

「策士って言うか、なんと言うか」

 罠を仕掛けられなくても、うっかりどこかに引っかかってしまいそうだ。やはりそれくらいの魅力を藤堂は持っている。ちっとも胸のもやもやを解消しきれぬまま、大きなため息と共に重い足取りで、僕は駅へと歩き出した。

「それにしても藤堂ってなんだか、放っておけない雰囲気があるよな。あんなにしっかりした感じなのになんでだろうか」

 藤堂と歩いた駅までの一本道。それはほんの二十分程度の時間だった。けれど二人並んで歩いたそんな時間は、それ以上に藤堂という人間を強く印象づけてくれた気がした。
 優しく綺麗に浮かべる笑みがすごく温かくて、ほんの些細なことさえも気にかけてくれる心配性。そんな彼は触れることで安心するのか、すぐに手や髪を触りたがる。そしてその触れる手は大きくて優しい。
 けれどいつでも気持ちにまっすぐな彼の行動に、こっちは慌てふためき動悸がひどくてたまらない。最近じゃ恋愛偏差値ゼロに等しかったのに、急にこんなテンションのアップダウンは身体に悪い。
 でも悔しいことに彼のすることなすこと、嫌悪するどころかまったく悪い気がしない。

 ――今日は先生に会えて嬉しかったです。おやすみなさい

 初めて届いた藤堂からのメール。なんてことはない、たったそれだけの一文にさえも僕はひどく動揺し、もたれた電車のドアで額を打った。久しぶりに高揚し、脈打つ心臓が自分のものではない気さえした。
 少し前までほとんど知りもしなかった相手に、こんな風に感じるのは初めてだった。

 そしてそんな彼がなぜかいま、また僕の目の前でにこやかに笑っている。ここは僕が一日の大半をすごす教科準備室だ。訪ねてくる生徒も少ない辺境な場所にあるのだが。
 昼のチャイムが鳴ってしばらくすると、彼は昨日と変わらぬ優しい笑みを浮かべここに現れた。しかし昨日の今日で、こんなに早く会うことになるとは思わず正直、僕は面食らってしまう。

「先生、好き嫌いとかありますか?」

「いや、ない」

「玉子焼きは甘いのとしょっぱいのどっちが好き?」

「うーん、甘いの?」

 机に向かいプリントの採点をしている横で、藤堂は満面の笑みで僕の顔を眺めている。長い足を優雅に組み、頬杖をつく様はいささか薄暗いこの部屋の中で眩しいほどだ。
 
「で、なんの質問」

 先ほどから延々と食べ物の好みを聞かれている。さすがに気になり藤堂の顔を見ると、ほんの少し驚いたように瞬きをした。

「先生の食への質問です」

「いや、さすがにそれはわかるけど」

 なんのためらいもなくそう答えた藤堂に戸惑いながら、思わず眉を寄せればふいに藤堂は立ち上がる。

「先生がこんな食生活だとは知らなかったので」

 藤堂の腕が伸び、机の上に転がった箱を掴む。振るとカタカタと鳴るそれはお手軽な固形栄養食だった。

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