休息04

 急に子連れになってしまった俺と彼のあいだで、彼女はまったく遠慮もなく好き放題にはしゃいでくれる。早く彼女の家族を見つけないと、隣の彼が可愛くて俺のほうがどうにかなってしまいそうだ。

「なっちゃん、きりんさんがしゅきなの」

「へぇ」

 あちらこちらへと寄り道を余儀なくされながら、彼女に相槌を打てばその度に小さくジャケットの裾が後ろに引かれる。しかしその先へ視線を落とすと、同時に目をそらされた。

「手、繋ぎます?」

 空いた左手を彼の前に差し出せば、今度は首を左右に振り、小さな声でいやだと呟かれる。

「なっちゃんがちゅなぐ」

「……いま抱っこしてるだろ」

 小さな手でぐいぐいと引っ張られる左腕。けれど仕方なくその手で頭を撫でたら途端に彼女は大人しくなった。しかしやはりそれに比例して、ジャケットを握り締める手に力がこもるのだ。こんなに可愛い人が隣にいて、平静を装うほうの身にもなって欲しいと、腕に収まる小さな子供を恨みがましく見つめてしまう。

「佐樹さん?」

 名前を呼ぶとぎゅっと裾を掴む手の力が強くなる。今日はやけに感情表現が素直で、思わず目を見張り驚かずにはいられない。けれどそんな俺の反応に、彼はふいと遠くに視線を投げた。

「まいったな。こんなことで嫌われるのは困る」

「……」

 下を向いた顔を軽く覗けば、ちらりとこちらを見て、再び俯きながら彼は微かにため息をついた。そしてその意味がわからず俺が首を傾げていると、突然甲高い雄叫びが辺りに響き渡る。

「やぁー!」

 急に人の腕の中でジタバタし始めたその動きに、一瞬だけ二人で目を丸くしたまま固まってしまった。一体なにが彼女の機嫌を損ねたのだろうか、さっぱりわからない。

「おにぃたん。ダメー! なっちゃんとけっこんしゅゆの!」

「え?」

 暴れ出した理由に、思わずあ然としてしまった。この小さな彼女は、俺と彼とのあいだにあるものを感じ取ったのだろうか。

「……」

 急に火がついたように泣き出した彼女と、呆れたように動きを止めた彼とのあいだに挟まれれば、なんとも言いがたい雰囲気が広がる。次第に周りから不躾な視線が向けられた。

「だから子供の思い込みは怖いって言っただろ」

 大きなため息と共にそう呟く彼と互いに顔を見合わせ、さすがにこのままではいられないと急いでその場をあとにした。
 警報機のような彼女を抱えて足早に園内を回り歩けば、ほどなく彼女の家族と行き当たった。その家族は予想以上の大家族で、一人、二人いなくなっても気づかないのは頷けた。今時、三世帯でしかも十五人を遥かに凌ぐ家族は珍しい。

「すいません! うちの子ほんと面食いなので。ほら、お兄さんから離れなさい」

 よくわからない謝罪を受けながら、彼女を家族に引き渡そうとするものの、なかなか剥がれない。ぎゃんぎゃんと泣き喚く彼女に家族は皆あたふたとしている。

「本当にすいません!」

「……」

 見知らぬ男の腕にすがりつき、泣き叫んで張り付いて剥がれないそんな娘を無理矢理に引き剥がして、彼女の両親は深々と何度も頭を下げて去って行った。
 子供の泣き声で耳がキーンとした。やっとのことで身の回りが静かになり、どっと肩の力が抜ける。

「疲れた」

「お疲れさん。それにしてもなんで家族が多いって思ったんだ?」

 大家族の後ろ姿を見つめながら彼はぽつりと呟いた。その言葉に視線を落とせば、ふいに顔を上げた彼の視線とぶつかる。

「なんとなく、かな。物怖じしない感じとか、着てるものとかですかね」

「ふぅん」

 小さくそう相槌を打って、再び視線を前へ向けるその横顔を俺はじっと見つめる。またその顔かと、切なくなる。憧れを含んだような眼差しが辛い。

「三歳ってあんなに大きくなるんだな」

「そうですね。言葉もかなり話すようになるし、走り回るし、一番手がかかって大変な時期じゃないですか」

「そうなんだ」

 どことなく曖昧な返事と、先ほどまでとは違う遠くを見るような彼の眼差しに、胸の辺りがざわりとする。今日、何度目かもわからない胸に張り付く重苦しさを感じた。

「子供、欲しくなりました?」

「そんなんじゃない」

「佐樹さんの子供だったら可愛いでしょうね」

 困惑した表情を浮かべる彼に微笑んで見せれば、なぜか不機嫌そうに目を細め口を曲げられた。

「馬鹿」

「え?」

 ぽつりと彼が呟いたその意味がわからなくて首を傾げたら、また裾を強く握り締められ、さらには俺を引き寄せるように引っ張られた。

「そういえば、佐樹さんはお姉さんだけですか?」

 先ほどまでとは少し違う不機嫌さの原因がわからず、なにか会話はないかと俺は頭を巡らす。すると彼は俺の質問に振り向いた。

「え、ああ。うちは上に姉さん二人で、一番上は旦那さんいるけど子供はまだだし、家族は多くはないな」

「お姉さん、二人だったんですね」

「藤堂は?」

「俺は一人なんで、兄弟とか想像がつかないです」

 こちらを振り仰ぐその期待のこもった視線に戸惑いながらも答えれば、そうかとまた呟いて彼は前を向いた。その横顔にほんの少し笑みが浮かぶ。

「ちょっとは機嫌を直してくれました?」

「別に、機嫌悪いわけじゃ」

 ムッと口を尖らせたいつもと変わらないその表情に、なぜかほっとしてしまう。

「……ただ、なんかこうモヤモヤして、苛々して、少し気分が落ち着かないだけだ」

 眉間にしわを寄せてそう呟く彼は、相変わらず自分の感情整理は苦手なようで、聞いてるこっちが恥ずかしくなる。よく俺に恥ずかしいことを言うなと言っているけれど、無意識な彼のほうがよっぽど照れくさい。

「ほんと佐樹さんは天然だな」

「は? どこが」

「全部」

 真っ正直で裏表がなくて、素直で優しくて可愛い人。そんな人にやきもちを妬かれたりするのがこの上なく優越だ。重苦しく心に張り付いていたものが、ほんの少し剥がれ落ちたような気がした。

「そうやってまた、お前はすぐ人のこと馬鹿にする」

「全然してませんよ。というより俺は佐樹さん馬鹿にしたことないけど」

 不服そうに眉を寄せ小さく唸る彼に、笑って首を傾げればなぜか何度も背中を叩かれた。

「……佐樹さん」

「今度はなんだよ」

「雨、降ってきましたね」

 ぽつりと頬に落ちた雫に気づき空を見上げると、生温い風が吹き抜け、次第に降り注ぐ雫の数が増えていく。

「なんだ、天気予報もあながち間違いじゃなかったな」

「さっきまで晴れてたのに、最近の天気ってわからないですよね」

 突然降り出した雨に、二人で空を見上げていると、周りは慌ただしく屋根を求めて移動し始める。青空だった空はいつの間にか雲に覆われて、次第にどんよりとした雨雲に変わった。

「これかなり来るぞ」

「え?」

 独り言のような呟きに振り向くと、彼は急に俺の腕を取って走り出した。そのあとを追いかけるかのように雨足は強くなっていく。

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