おかしい。
三十数年の人生で男の裸は腐るほど見てきたはずなのに、以前も同じようなことがあったが、なぜだか藤堂には激しく羞恥を感じてしまう。このリアクションはやっぱりおかしい気がする。なんでこんなに動揺してるんだ。意識し過ぎているんだろうか。って言うかなにを意識するって言うんだ。
「佐樹さん? 大丈夫?」
ひらひらと目の前で振られる手に気づき顔を上げると、藤堂が心配そうな表情を浮かべている。そしてその頬に張り付いた毛先に僕は我に返った。このままでは雨で濡れた身体が冷えて風邪を引かせてしまう。
「悪い! 髪もちゃんと乾かせよ。脱いだ服はそっちの籠に入れて、着替えたらここを出てすぐ右手の扉がリビングだから、そこに来い」
自分もすぐ行くからと矢継ぎ早にまくし立て、僕は慌ただしく脱衣場から飛び出した。
「あっつ」
勢いよく閉めた扉に背を預けて顔を手うちわで扇ぐ。顔に熱が集中して激しく熱かった。
ちらりと見えた藤堂の身体は、筋肉質ではなかったけれど無駄な肉はまったくついていなくて、薄らと割れた腹筋が綺麗で、すごく引き締まっていた。あの身体にいつも抱きしめられているのかと、そこまで考えて頭から湯気が出そうなくらい顔が上気した。やたらと心臓の音も早くて、身悶えてしまう。藤堂の裸を見ただけでこんなになっている自分は、やはりおかしいと思う。それにしてもほかの人となにが違うんだろうか。
いや、いまはそんなことを考えている場合じゃない、とりあえず早く着替えしまおう。藤堂を一人にしておくのは危険過ぎる。
急いで着替えをしてリビングへ向かえば、やはり藤堂はもう既にそこにいて、母と姉の佳奈に囲まれていた。しかしその二人のほかに予想外の人物もそこにはいた。
「なんで! なんでお前がここにいるんだよ」
彼は僕の顔を見るなりにやりと笑う。そしてこちらにひらひらと手を振ってから、隣り合わせに座っていた藤堂の肩に手を置いた。
その手を見下ろし、不思議そうな表情を浮かべて藤堂は僕を振り返った。
「佐樹さん?」
「藤堂に触るな! 明良、お前はそっちに座れ」
足早に近づいた僕は、予想外の人物――明良の手を思い切りよく払い落とす。そして六人がけのダイニングテーブルの向かい端を指差した。そんな僕の反応に明良は目を細め不服そうに口を尖らせる。
「なんだよ佐樹。冷てぇなぁ、じゃあお前が真ん中で俺がこっちでいいだろ」
一つ椅子を空けて隣に座り直すと、明良は僕の腕を引いていままで自分が座っていた場所に僕を座らせた。
「大体なんでお前、さも当たり前な顔して人の実家にいるんだよ」
予想外過ぎて、頭がついていかない。なぜこんなところに明良がいて和やかにみんなでお茶なんかしているのだ。今日ここにいるなんて連絡は受けていないはずだ。
「なんでって、佳奈ちゃんにお茶しないかって誘われたから」
「はっ?」
明良の言葉に目を見張り、藤堂の向かい側に座っていた佳奈姉を振り返る。するとそれがどうしたと言わんばかりに、肩をすくめて彼女は湯呑みの端を啜った。
「帰ってくるなり騒がしいわねぇ、佐樹は。明良くんがたまたま連休で実家に帰って来てたから、久しぶりだしナンパしただけの話よ」
「するなよ! って言うか、こんなとこでナンパしてる暇あるなら……って、また振られたのか」
二つ年上、次女の佳奈はいまだ独身で、実家暮らし。それほど顔がまずいとは思わないが、物事をはっきり言ってしまう気の強さがあり、彼氏に逃げられることもしばしば。どうやら今回も、半年前に付き合い始めた彼氏とは上手く行かなかったようだ。
しかしこういうサバサバした性格が合うのか、明良とはこっちに住んでいた頃からよく二人で遊んでいた。しかしだからと言って、そんなに気安く人の友人をナンパしてくるなと言いたい。とはいえ明良とは付き合いも長いから、なんとなく家族同然の間柄に近い感じもある。
「うるさいなぁ。それにしてもなんであんたの周りっていい男が集まるのかしらねぇ。誰か紹介しなさいよ」
「ひでぇな佳奈ちゃん。俺をナンパしといてそれはない」
佳奈姉の呟きに明良がムッとして口を曲げた。明良は自分の家族や僕の家族にも性癖は隠しているので、いつもこの調子でおどけてみせる。しかし佳奈姉はその顔を指差して目を細めた。
「だって明良くんは絶対駄目だと思う。いい男だけど一個の場所に留まらないで、あっちこっちふらふらするでしょ」
意外と佳奈姉の観察力は鋭いところがある。まさに普段の明良は恋愛していなければその通りだ。しかも恋愛している期間が短いので、ふらふらしていることのほうが多い。
「俺は意外と一途だぜ。一回試してみる?」
「駄目駄目。明良くんは男友達にしておきたいタイプ。それにどっちかって言えば、あたしは優哉くんみたいなタイプが好きかな」
そう言って佳奈姉が藤堂に向き直れば、一瞬苦笑いを浮かべた藤堂が曖昧に微笑む。どう対応していいか悩んでいるような雰囲気だ。すっかり佳奈姉に気に入られた様子の藤堂。彼が悪いわけではないけれど、またモヤモヤとした気持ちが湧き上がってくる。自分の姉に嫉妬してどうすると言いたいが、やはり藤堂は自分のものなんだから手を出すなとも言いたくなる。
「そうだ佐樹さん」
にこにこと笑みを浮かべたまま、じっと目をそらさない佳奈姉の視線から逃れるように、藤堂はふいにこちらを振り向いた。
「……なに」
「あ、すみません」
モヤモヤが心の中でくすぶっていたので、急に声をかけられて反射的に思いのほか冷たい返事を藤堂にしてしまった。それなのになぜか藤堂に謝られてしまい、思わず僕は首を傾げる。
「さっちゃんがそんな怖い顔をしてるから、優哉くんびっくりしちゃったでしょ」
「え?」
いつの間にか席を立っていた母が、小さく笑って湯気立つマグカップを僕の前に置いた。
そうか確かにいきなりなんの前触れもなく、不機嫌になられてもわけがわからなくて戸惑わせるだけだ。申し訳なく思い藤堂のTシャツの裾を引いたら、少し驚いた表情を見せたが、すぐにふっと微笑みを浮かべてくれた。
「そうそう、今日は優哉くんに泊まっていってもらうことにしたから」
向かい側に座った母は急にまた予想外のことを言い出す。今日はなんでこうも予想外と言うか、予定外のことが起きるんだろうか。
「は? なんで」
「車で駅まで送ってもいいけど、折角こんなに人が集まってるんだから、みんなでご飯をしたいじゃない?」
訝しげな顔をする僕に母は至極楽しげに笑う。そうだった、母は人が集まる賑やかな雰囲気が大好きなのだ。いつもは二人きりの家にこうして人が集まって、妙なスイッチが入ってしまったのだろう。そんな母の笑顔と共に、明良もまた含みのある笑みを浮かべていた。
「お前も泊まるのか。実家が近いんだから帰れよ」
明良の家は車で五分ほどの距離で、この辺の田舎ではものすごい近所と言える場所にある。わざわざ泊まる必要性を感じない。
「なんだよ、さっきから冷てぇな佐樹」
「うちそんなに空き部屋ないけど」
口を尖らせる明良を無視し母を見ると、小さく首を傾げて彼女はとんでもないことを言う。
「さっちゃんの部屋は三人は狭いでしょ、客間があるから明良くんと優哉くんはそこにお布団を敷くわ」
「それは絶対、駄目だ」
母の提案に思わず大きな声が出てしまった。そんな僕の反応にこの場の全員が驚いた顔をしてこちらを見る。
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