薄いカーテンの向こうから差し込む月明かりに照らされた肌。そこに形のいい鼻梁と長い睫が影を落とす。そして長い睫が呼吸に合わせて時折微かに揺れる。
いつもはじっとこちらを見る目が瞼の下へ隠されている、ただそれだけなのに普段よりずっとその雰囲気が幼く見えた。
「さすがにこれは狸寝入りじゃないよな」
無防備な寝顔を覗き込み僕は小さく息をついた。寝息は規則的でそんな心配もなさそうだ。しかし枕に散るサラサラとした髪をすくい撫でると、ほんのわずか眉がひそめられ藤堂が身じろいだ。
「……触り過ぎた」
再び起きていないことを確認してほっと息を吐く。
「まさかこれを見越して嫌だったとか?」
泊まると決まったあと、最後まで一緒の部屋に寝るのは嫌だとごねた藤堂を思い出す。明良はその様子をニヤニヤとしながら見ていただけだったが、そんなに嫌がられるほど僕は四六時中触るような触り魔ではないつもりだ。
しかし藤堂を見るとつい触れたくなるのは事実で――。
「落ち着くんだよな」
藤堂に触れているだけで、気持ちが穏やかになる。普段も彼が抱きしめてくれたり、手を繋いでくれたりするだけで、落ち着く。
「でも、これじゃ安眠妨害だよなぁ」
最初はちゃんと僕がベッドで横になり、藤堂は床に敷いた布団へ入った。もちろんそのまま一旦眠りはしたのだが、なんとなく途中で目が醒めたら眠れなくなってしまった。そしていまは彼の横に寝転び、その寝顔を眺めている。
我ながらこの行動はどうかと思うが――触れたいと思う衝動に負けてしまう。
「いい迷惑だよな」
「……ん」
一人で自問自答しながら自己嫌悪に陥っていると、思いのほか大きく出たため息に再び藤堂が身じろいだ。そして今度は薄らと瞼が開き、ぼんやりとした表情で僕を見つめる。
「佐樹さん?」
「悪い、起こしたか?」
じっとこちらを見たまま動かない藤堂に目を瞬かせると、徐々に頭が覚醒してきたのか藤堂の目が次第に見開かれていく。
「どうした?」
目を醒ましたかと思えば、突然布団を跳ね飛ばし藤堂は起き上がった。そして身体を起こした僕から、まるで逃げるかのようにものすごい勢いで後退してしまった。
「な、なにをしてるんですか」
「いや、別になにも」
珍しく上擦る藤堂の声に驚きながらも首を傾げれば、微かに藤堂の顔が引きつった。
「勘弁してくださいよ」
そして両手で顔を押さえうな垂れる藤堂に、僕はますます首を捻る。しかし藤堂はブツブツと何事かを呟きながら俯いたままだ。いつまで経っても顔を上げる様子のない藤堂に痺れを切らし、僕は布団を挟んで向こう側に行ってしまった彼の傍へ寄る。
「藤堂?」
そっと俯いた顔を覗き込むと、肩を跳ね上げた藤堂の後頭部で鈍い音がした。そして背後の棚で激しく頭を打った藤堂はその音と共に再び俯く。
「だ、大丈夫か」
慌ててその頭を撫でれば、そこはほんの少し熱を持っていてどれほど強く打ったのかがわかる。それにしてもこんなに落ち着きのない藤堂は初めてだ。
「大丈夫です」
そう言ってやんわりと藤堂は触れる僕の手を下ろして、長い息を吐き出した。
「えーと、寝顔を覗かれるのが嫌だった?」
「別に」
「じゃあ、寝てるあいだに触るから寝苦しかった?」
「……」
困惑したように僕を見ていた藤堂の顔が急に赤く染まる。それは薄暗い部屋の中でも十分にわかるほど。
「本当になにをしてるんですかあなたは」
「え?」
苦虫を噛み潰したような藤堂の表情に戸惑っていると、ふいに藤堂の手が伸びて僕の髪を優しく撫でる。
「ものすごく試されてるような気がします」
「なにを?」
「色んなこと」
藤堂の言っている意味がわからず眉をひそめれば、いつものように彼は困ったように笑う。時折こうしてひどく戸惑ったような、なんとも言いがたいような顔を藤堂はする。その表情の裏側はどんなに目を凝らしても見えて来ず、藤堂に関してはまったくその心が読めない。
「そうやって、お前がすぐ言葉を濁すからわからないんだよ」
半ば八つ当たりに近いが、そう言って口を曲げると、藤堂は急に空いた片方の手で僕を引き寄せた。
「確かに、佐樹さんはちゃんと言葉や行動に起こさないと、わからないかもしれないですね」
「どういう、意味」
言いかけた言葉が背中への衝撃で喉奥に詰まる。実際は藤堂が支えてくれていたのでそれほどではなかったが、それでも急な視界の変化に僕はただひたすら目を白黒とさせていた。
「こういう意味」
突然天井が目の前に広がり、状況が読めないまま目を瞬かせている僕の視界に、今度はそれさえも覆う影が落ちた。そして苦笑いを浮かべた藤堂の顔が僕の目に映る。
「え、とこれは」
鈍い頭をフル回転させて状況を把握しようとする僕を尻目に、藤堂は僕の髪を梳き頬を指先でなぞる。その仕草に息を飲んで固まっていると、次第にその手が首筋まで下りて藤堂の顔がゆっくりと近づく。
「ちょ、っと待った」
やっとのことで悟った僕は慌てて藤堂の顔を押しとめた。そしてそんな僕の抵抗を予測していたのか、藤堂は然して驚いた様子もなくすぐに離れていった。
「少しはこういうことも頭の片隅で構いませんから、意識してくださいね」
「あ、そ、うか……悪い」
急激に心臓が激しく脈打ち始めて息が詰まる。けれど藤堂はそんな僕を見下ろし小さく笑うと、今度はなだめるように優しく頭を撫でてくれた。
「あんまり俺の理性を焼き切るような可愛いことしないでください」
「し、してない。そんなこと」
「嘘つき」
ふっと息を吐き眉を寄せた藤堂に慌てて訂正するが、ますます苦笑いを浮かべられた。
「落ち着かない?」
「え、なにが?」
じっと目を見つめられたまま見下ろされていると、いまにも心臓が壊れそうだ。けれどそんな僕の心情をよそに藤堂は至極優しく微笑む。
「ずっと寝付き悪そうだったから」
「起きてたのか!」
「佐樹さんが最初に寝付くまでは、ね」
慌てて飛び起きそうになった身体を抑えられ、僕の背中は再び布団の上に落ちた。そのまましばらく瞬きを忘れて藤堂を凝視していると、なぜか藤堂は僕の隣で横になる。
「本当は、ものすごく眠いでしょ?」
「は?」
「しょうがないな」
まったく意味を理解出来ずいる僕の髪を梳き、藤堂はため息交じりに自分の胸元へ僕を抱き寄せた。そしてそんな突然の抱擁に驚く間もなく布団を被せられ、僕は戸惑いながら藤堂を見上げてしまった。
「なんだ?」
「嫌ですか?」
「……嫌、じゃないけど」
それどころか自分でも驚いてしまうほど、急に睡魔が襲い始めて頭がぼんやりしてきた。
ひどく眠たい――さっきまでは全然眠くなんてならなかったのに。藤堂の心臓の音や微かに感じる温もりに安心する。
「言ったでしょ。俺はあなただけだって、佐樹さんがいればなにもいらないから。俺の全部、佐樹さんのものだよ」
「全部?」
「そう、全部」
藤堂の言葉にじんわり胸が温かくなって、さらに眠気が強くなる。うとうとし始めた目を瞬かせ微笑む藤堂をじっと見つめれば、触れたいと思う気持ちの裏側にあったものにやっと気がつく。
不安、だったのか。
腕を伸ばして藤堂の背を抱きしめると、なぜかたまらなく泣きそうになった。この温もりが愛おしくて、胸が締めつけられる。
「藤堂、眠い」
ふいに口からあり得ないくらい甘えた声が出た。けれど、いまはもう眠気と心地よさに抗えない。
「心配しないで、寝ていいですよ。俺はどこにも行きませんから」
「……ん」
眠気で舌の回らなくなってきた僕に、藤堂が小さく笑う気配を感じる。髪を撫でる手が温かくて、抱きしめ返してくれる腕が優しくて、足りなかったものが満たされるような気分。
「藤堂」
「なんですか」
「……おやすみ」
そう呟くと次第に意識が遠退いていく。けれど微かに唇に触れた温もりに、思わず口元が緩んだ。
[休息 / end]
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