僕に気を使ってゆっくりと歩く渉さんの後ろをついて行けば、先ほどまで幾度となく彼がこんなところ――と言っていた意味がわかった。
ここは普通の居酒屋が軒を連ねる繁華街とは、少々様子が違う。行き交う人たちは普段あまり見慣れない雰囲気や組み合わせだ。普通に道端や駅でいちゃつくカップルはよく目にはする。それと同じことなのだが、なんとなくこの雰囲気に気圧されている感が否めない。
明良でそういう感情や恋愛もあるのだと、理解や免疫があるつもりではいたけれど。やっぱり頭の中でしか理解してなかったのだろうなと思う。
「大丈夫? 佐樹ちゃん」
「え、ああ。大丈夫」
心配そうに振り返った渉さんの表情に、思わず強く握ってしまったその手を、なぜか慌てて離しそうになった。けれどそれを阻むようにやんわりと、再び渉さんの手に優しく握られる。
「もし見かけたら言ってよ。勝手に走ったりなんかしたら駄目だからね」
僕の性格をよく把握している渉さんは、とっさに走り出さないよう念を押すが、いまは正直それどころじゃない。なんだか変にドキドキしてしまっている自分がいる。
「渉さん、詳しいって言ってたけど、よく来るのか?」
「え? あ……たまに、極稀にね。ほら、仕事の付き合いで何度か」
「そうなのか?」
一瞬だけ微妙な間があったけれど、あははっと軽く笑う渉さんにつられて、思わず僕も首を傾げながら、意味もわからず笑みを浮かべてしまった。
「えーと、捜してる子の連れは、頭がキンキラのホストかチンピラみたいな、頭の悪そうな子だったよね」
いや、そこまでは言っていないつもりだが、そんな感じも否めないのであえて訂正はしなかった。思い出したバスの金髪青年の特徴を話すと、渉さんはすぐに合点がいったのか、行き先を定めたようだった。
「俺も何回か見かけたことあるんだよねぇ。確か真っ黒けな印象のイケメン連れて歩いてた気がするから、その子じゃない?」
「へぇ、そうなんだ」
話から推測すると、彼らは一緒にいることが多いようだ。
もしそれが本当に僕の言う二人なのだとしたら――彼は、金髪青年と付き合っているのだろうか。いや疑問符をつけて考えるほうがおかしい。普通に考えてこの辺りでよく遊んでいると言うならば、きっとそうなのだ。大体、最初から金髪青年は会うなり彼にべったりだった。
「……だったけど」
そもそもなぜ、僕がそんなことを気にしなくてはいけないのだろうか。それにどうしてライターなんかで、こんなに一生懸命になっているんだろう。
「なんだろう」
完全にこの場所の雰囲気に飲まれている気がする。僕は一人で自問自答をしながら、思わず小さく唸ってしまった。
「……ちゃん! 佐樹ちゃん」
「え?」
いきなり耳元で聞こえた大きな声と、肩を揺さぶられる感覚に驚いて、僕は慌てて顔を上げた。
「ほんとに大丈夫? ここで待ってられる?」
「え? ここ?」
覗き込むようにして僕を見つめる渉さんに目を丸くし、僕は彼の言うここ、を見回した。
店の入り口なのだろうか。下り階段が足下にあった。下の踊り場には扉が一つ。看板が掲げられているけれど、この角度からではよく見えない。
「絶対、誰になんて声をかけられてもついて行かないでよ。俺が戻るまで絶対だからね。どうしても危ないと思ったら下に来て」
「ん、ああ。わかった」
眉間にしわを刻み込んだ渉さんの顔に戸惑いながら小さく頷くと、突然引き寄せられ抱きしめられた。ぎゅっと強く僕の背中を抱くその腕に、驚いたまま立ち尽くしてしまう。しばらく黙ってそうしていると、渉さんは長いため息と共に僕を離した。
「心配、すごく心配。やっぱり一緒に行こう」
「あ、いや外で行き違っても困るし、ここで待ってる」
上の空で話半分だった渉さんの話を頭の中で巻き戻して、僕は苦笑いを浮かべた。下へ一緒に降りようと言った渉さんに、僕はここで待っていると答えたのだ。
ぎゅっと強く僕の両手を掴む渉さんは、いまだに心配そうな表情を浮かべている。
「んー、すぐ戻ってくるからね。約束だよ、ここにいてね」
「わかってる」
本気で僕を心配しているのがわかるので、じっとこちらを見る目を見つめ返して、何度も頷いて見せた。するとやっと納得したのか僕の両頬に唇を寄せると、渉さんは自分のマフラーを僕に巻きつけ慌ただしく階段を駆け下りていった。
「向こうの挨拶って慣れない。って言うか、普通はキスまでしない、よな?」
会ったら一度は必ずされるのだが、いまだに慣れない上によくマナーと言うかそういうのがわからないので、疑問も浮かぶ。しかもいまは挨拶する状況ではなくおかしい気もする。
「……寒!」
渉さんがいなくなるとなぜか急に寒くなって来た。人が一人傍からいなくなるだけで、体感温度は変わるものだ。冷えて来た手を擦り合わせ、僕はまだ降り続く空を見上げる。
そして背後の壁にもたれて数分。さらに同じ言葉を繰り返して十分。やっと渉さんの心配をいま身を持って体感している。
「暇じゃない。人を待ってるんで」
「寒いのに待ちぼうけとか、ありえないじゃん。一緒に遊びに行こうぜ」
「行かない」
何度あしらっても、次から次へとやってくるこの――ナンパに、いい加減辟易してきた。
特にこの目の前の男が一番しつこい。ほかの男は何度か粘るものの、はっきり拒絶すれば最後には比較的あっさり引いてくれた。なのに――。
「しつこい、うざい。いい加減にしてくれ」
そんなに僕は気が短いほうではないのだが、この男を前にすると苛々が募る。しつこさが度を越してる気がした。
「だってよ、手がこんなに冷たいじゃん。そんな彼氏は放って俺と遊ぼ」
「触るな!」
いきなり手を握られて肩が跳ね上がる。けれど慌ててその手を振れば、男はニヤニヤとした笑みを浮かべた。
「そうムキになって怒んなよ。ちょっと一緒に遊ぼうって言ってるだけだろ」
「……ざけんな!」
肩に回された腕で抱き寄せられるとぞわりと身体中に鳥肌が広がった。さらに振り解こうと持ち上げた手が無理矢理に引っ張られて、身体が固まったように動かなくなる。
「離せっ」
けれどとっさに声を上げると、僕の身体は別の方向へと引き寄せられた。力強い手が男から僕を引き離す。
「渉さん?」
てっきり戻ってきた渉さんだと思い、僕は振り返った。しかし狼狽した様子を見せる男を静かに見下ろすのは、バス停で見かけた彼――だった。
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