微かに震える指先で紙を拾い上げ、息が止まりそうになる。そこには俺の携帯電話に登録してあるアドレスや電話番号。そして発着信履歴やメールの送受信履歴がずらりと並んでいた。
その中には彼のメールアドレスや電話番号も記載されていた。元々メールも少ない彼だから、短い文章だけでは誰なのか判別はつかないが、明らかに目星をつけて彼とのやり取りだけが抜き出されている。もしものことを思えばぞっとする。
「わかった? 私がいつでも行動を起こせること、忘れないでおくといいわ」
このままでは遅かれ早かれ彼の存在を知られることになる。でもそれだけは絶対に避けなければ、公になった途端に彼の立場が危うくなってしまう。
「思い出づくりは卒業までよ。そのあとは私がちゃんといい娘を見繕ってあげるわ。本気だって言うなら早めに別れておくことね」
「……」
いまの俺に出来ることはあるだろうか。あの人を守るために俺はどれを選択すればいい?
考えるたびに不安ばかりが押し寄せる。どうすれば、彼を守れるだろう。彼を手放さずにいるために、俺はなにを手放せばいい?
重苦しい感情で息が詰まりそうになった。目の前が真っ暗になって、身動きが取れなくなりそうだ。
俺はあの人の隣にいつまで立っていられるんだろう。そうを思うだけで怖くて、どうしようもなくなる。俺はあの人の傍でなければ、息も出来ない。
「……っ」
急に息が詰まり、身体が揺れる感覚がした。そしてそれに気づいたのと同時か、ふっと身体が重たく感じた。
「あ、起きた」
「え? 神楽、坂?」
驚いて顔を上げれば、こちらの顔を覗き込むように身を屈めた神楽坂と視線があった。置かれている状況が飲み込めず瞬きを繰り返す俺を、神楽坂はどこか心配げな面持ちで見つめている。
「およ、藤様まだ寝ぼけてんの? 昼飯食わずに寝てるから腹減り過ぎて頭に糖分足りてないんじゃない?」
「……あ、夢か」
ぼんやりする頭を抱え足元に視線を落とすと、ふっと肩の力が抜けた。
「なに、なんか怖い夢でも見た? 俺ゾンビとか出てくる夢が超怖い。ほい、これ」
「ああ」
笑いながら傍から離れていくと、神楽坂は振り向きざまにペットボトルを放って寄越した。ひんやりとしたそれを受け取り、改めて見回した場所は実行委員の休憩室だった。
室内に俺と神楽坂以外はいなく、日当たりのあまりよくない部屋は薄暗さも相まってしんとしていた。
「なにか、言ってたか」
「……いーや、なんにも。でもちょっとうなされてたから心配になって起こしたんだけど、まずかった?」
「いや、助かった」
あれから繰り返し夢に見る。そして最後は決まって、彼が俺から離れ二度と手が届かなくなってしまう――そんな結末だ。
目が覚めるたび、彼に会いたくなる。彼の声が聞きたくなる。でももしものことを考えるとそれさえ出来ない。
「あ、藤堂。携帯の電源入ってる?」
「え?」
ぽつりと呟かれた神楽坂の声で、いつの間にかまた自分が俯いていたことに気づく。慌てて顔を上げれば、離れた向かい側のパイプ椅子に腰かけ、神楽坂がこちらを見ながら首を傾げていた。
「携帯」
「あ、悪い。充電切れてる」
「ふーん、そっか」
本当はあれから電源を入れていなければ、充電もしていない。
「鳥羽っちが繋がんないってぼやいてたから、昼休憩が終わったら行ってやって」
「ああ、わかった」
川端と俺の母親の情報を仕入れてくると言っていたが、なにかわかったんだろうか。とはいえ、わかったところでなにが出来るのかいまは検討もつかない。とりあえず鳥羽の話を聞いてみるしかないだろう。
「藤堂、顔色悪いけど大丈夫?」
「大したことない」
「……大したことないって、ちょっ」
慌てたような神楽坂の声が耳に届くが、腰かけていた椅子から立ち上がった瞬間、目の前が真っ白になった。ふっと一瞬だけ周りの音が遠くなった気がする。
「こういうの大したことないって言わないから、ご飯食べてる? ちゃんと寝てんの?」
「悪い」
あの日から眠れずにいる。夢で何度も目が覚めて、現実と夢がわからなくなりそうになる。たとえ夢でも彼がいなくなるのが怖くて、眠るのが怖くなった。
とっさに駆け寄ってきた神楽坂の肩に手をつくと、そのまま支えるように抱きかかえられる。
「謝る前にご飯食べて、しっかり寝ろよな。やっぱこれ飲んどけ」
「……どうしたんだ、これ」
目の前に差し出された小さな茶色い小瓶。それはコンビニなどでよく売っている栄養ドリンクだった。
「三島から藤堂に差し入れ」
「弥彦が?」
「そ、午前終わったあと、帰り際の三島に会ってさ。朝から調子悪そうにしてるから渡してくれって言われた」
「そうか、わざわざ悪いな」
直接言ってくることは少ないが、それでもいつも気にかけてくれているのはなんとなくわかっていた。こうして目に見えるものを寄越すということは、弥彦から見て俺の状態はよくないのだろう。
「もう離していいぞ」
肩に預けていた手を下ろし身体を引くが、なぜか先ほどよりもしっかりと背中を支えられた。
「いや、一回座っとこ? 絶対どっかでガタくるから。俺いま、鳥羽っち呼んでくるし」
「そこまでしなくても平気だ」
ぐいぐいと力任せに押されて身体がよろめくが、神楽坂は戸惑う俺などお構いなしで、なんとか俺を椅子に座らせようとしているようだ。
「俺はいま学んだから、藤堂の大したことないと平気は大丈夫じゃないって」
「は?」
「三島がおかんみたいに心配するのがなんかわかるわ。自分の限界踏み越えていくとマジであとできつくなるって」
大げさなため息をつき、神楽坂は肩をすくめてこちらを見上げる。その呆れを含んだ表情に言葉が詰まった。
言いたいことも言っていることも理解は出来る。それでもいまはなにかしていないと、余計なことばかり考えてますます自分を追い詰めそうになってしまう。
「器用そうに見えて案外不器用なんだな」
「悪かったな不器用で」
「ま、それはそれで人間らしくていいんじゃない?」
思わず顔をしかめた俺に神楽坂はにやりと笑い、なだめすかすみたいに人の肩を二度三度叩いてこちらに背を向けた。
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