嫌ではないと言ってくれた藤堂の気持ちに嘘はないと思う。僕を見る目はまっすぐで淀みもない。けれど僕はいつでも藤堂の優しさに甘えているのかもしれないと、改めて実感してしまった。
「藤堂の気持ちは信じてるけど、本当に嫌なことは嫌って言えよ。じゃなきゃ、僕は馬鹿だから気づかない」
「……わかりました」
なぜか嬉しそうに微笑む藤堂を不思議に思いながら見ていると、新幹線は目的の駅へ到着をした。一年ぶりのこの地に少し緊張している自分がいる。それは多分、藤堂と一緒にいるせいかもしれない。
これで本当にすべてが終わる。これからはただ藤堂の隣を歩いていくことだけを考えていられる。でもその嬉しさと共にほんの少しの寂しさもあった。こんなことは藤堂に言えないけれど、嫌いで離れたわけでも別れたわけでもない。
それどころか、なにもかもが中途半端で解決もなくて、空っぽになってしまったのだから、情がないと言えば嘘だ。
「藤堂、好きだ」
駅のホームに降り立ち、先を歩く藤堂の背中に小さく呟いた。でもそんな小さな呟きにも藤堂は振り向いて笑ってくれる。差し出された手を取ったら、あまりにも温かくて泣きそうになった。
そんな俯いた僕の手を、藤堂は強く引き寄せてその胸に僕を抱き寄せる。驚いて身を引こうとした僕の肩をしっかりと抱いたその手は、振りほどくには力強過ぎて、さらに涙腺が緩んでしまいそうだ。
「佐樹さんごめん。俺が我がまま言いましたね。忘れられなくて当然なんですよ。そうでなければ永遠なんて誓わないでしょう? 俺のは子供じみた嫉妬です。だから、お願いだから傷つかないで」
息が止まりそうなくらい強く抱きしめられているのに、それが嬉しくて胸が温かくて、心が詰まってしまうくらいの想いが溢れる。ああ、やはり藤堂には全部見透かされているんだと、そう思ったらモヤモヤと心の中でくすぶっていたものが晴れていくような気がした。
「藤堂、恥ずかしい」
「ああ、すみません」
ホームを過ぎる人たちはあからさまに振り返る人と、あえて知らぬふりをする人と、気にも留めない人と、皆様々だが、さすがにこのままでは気恥ずかしい。でも藤堂はなかなか手を離してくれず、それどころか擦り寄るように髪に頬を寄せられた。
「全然すみませんとか思ってないだろ」
「あはは」
「笑って誤魔化すなっ」
悪戯じみた笑みを浮かべる藤堂の頬を引っ張ったら、渋々といった様子で手を離してくれた。
「お前はたまにオープン過ぎるから、どうしていいか、わからなくなるだろ」
「どうせここでは誰も気にしません。家路に就く頃には俺たちのことなんて覚えてないですよ」
「そんなのわかんないだろっ、もう、今日のお前、変」
電車の中では大人しくしていろとか言うし、新幹線の中ではいきなりキスはするし、いまもこうして人が行き交う中で躊躇いもなく僕を抱きしめる。
「俺もね、浮かれてるんですよ」
「え?」
目の前で至極綺麗な微笑みを浮かべた藤堂に驚いた瞬間、唇に触れたぬくもりでさらに驚いた。いや、驚いたというものではない、それを通り越して一瞬だけ息が止まった。
「こうして二人っきりでいられるのは久しぶりでしょう?」
驚いて固まっている僕にふっと小さく笑って、藤堂は僕の手を引いて歩き出す。そして頭が混乱状態の僕は、わけもわからぬままその歩みにつられてあとに続いた。エスカレーターで下りて、駅の構内を歩いて、改札前に来てからやっと僕は我に返った。
「浮かれ過ぎだっ」
「……反応遅過ぎ」
僕の言葉に破顔して吹き出すように笑う藤堂は、それはそれはもう幸せそうな顔をする。そんな顔を見せられると、これ以上なにも文句を言えなくなってしまうではないか。
すみませんと謝りながら、いつものように僕の髪を梳きながら撫でる藤堂の手に恥ずかしさがまた込み上げてきた。自分の顔が熱くて、紅潮しているのがわかってさらにいたたまれない。
「とりあえず先にチェックインして、荷物を置いたらお参り行きますか?」
「……お前のその、なんでもなさそうな余裕顔がムカつく」
また楽しそうに笑った藤堂に不満をアピールして口を結べば、なだめすかすように頭を撫でられた。結局、藤堂が笑うと無条件にこっちまで浮ついた気持ちになって、すぐ顔に出てしまう。僕の不満は軽くスルーされてしまったようだ。
「そうだ、移動が長いと疲れるし、近いとこ取ったんだけど。温泉あるんだって」
「うーん、温泉ですか」
シティホテルでもよかったけど、どうせゆっくりするならと比較的部屋が広めの温泉旅館にしてみた。けれどまた藤堂の表情は苦いものになった。
「なに? 嫌い?」
「そういうわけじゃないんですけどね」
なにやら悩んでいる様子で眉間を指先で押さえるその姿に、僕の頭にはまた疑問符が浮かぶ。
「どういうわけ? あとで教えてくれるのか?」
「えっ?」
「だってお前、新幹線乗ってた時に、あとでって言った」
肩を跳ね上げてやたらと驚いた表情を浮かべる藤堂は、じっと訝しげに見つめる僕の視線に、なんとも表現しがたい苦笑いを浮かべた。
「あ、ああ、そういえば言いましたね」
「なんだその投げやりな感じ」
「まずは先を急ぎましょう」
「あ、はぐらかした」
急かすように僕の背を押して、タクシー乗り場まで足早に歩く藤堂に思わずため息をついてしまう。なにかこうよくわからないところでいつも言葉をはぐらかされる。もしかしたらただ単に僕が疎いだけなのかもしれないが、すっきりしなくて気持ち悪い。藤堂が困るようなことってなんだろうか。
僕が困ることはよくするくせに――いや、困ることはしていないか。ただ困るというより、恥ずかしかったり戸惑ったりするだけだ。ああ、モヤモヤする。
どうして僕はこんなにも鈍いのだろう。そしてどうして藤堂はすぐに曖昧に誤魔化したりするのだろう。少しずつ降り積もる感情に胸の内が複雑になってくる。自分の器の小ささと藤堂の澄ました横顔に少し苛立ちが募った。
「部屋の変更?」
宿に着くと受付の女性が慌てた様子で頭を下げてきた。
「はい、こちらの手違いでお客様にご案内するはずのお部屋が埋まってしまいまして、代わりのお部屋を用意させていただきました。もちろんお代はそのままで結構ですので」
しかし話を聞けば多少の手違いはあったものの、謝られるようなことではまったくない気がした。予約した部屋よりもいい部屋を用意してもらえるということだ。
「別に、構いませんよ」
「あ、ありがとうございます」
けれどいまちょっと腹の辺りでムカッとした。
にこやかに微笑んだ藤堂に、受付の女性が頬を染めたのを目ざとく見てしまった。よそ行きでもそんなに愛想よく笑わなくてもいいのにと、お門違いなヤキモチを妬いてしまう自分はやはり心が狭い。
「佐樹さん? どうしたんですか」
「なんでもない」
「そう、ですか? あ、霊園に行くのに、ここの前からバスが出ているそうですよ。ふた駅先だそうです」
あの時、子供じみた嫉妬だと藤堂は言っていたが、僕のはさらに子供だ。お気に入りのものに触れられるのも、欲しがられるのも我慢ならない。いまここが公衆の場でなければ、頭を抱えて大声で叫びたいくらいモヤモヤする。
藤堂の言葉はもはや頭に入ってこない。
「ほら佐樹さん、部屋広いですよ」
「んー、あっ」
一人モヤモヤして不機嫌な調子の僕を、藤堂はなだめるように促しながら、開錠した部屋の扉を開ける。気のない返事をしながら部屋に入ったものの、その予想外の広さに思わずテンションが上がってしまった。
どれだけ子供なんだ自分。
「よかった。機嫌、直ったみたいで」
「別に機嫌悪くは……って、ちょ」
背後の扉が閉まったと同時か、急に目の前に迫ってきた藤堂に戸惑う。驚いて下がろうとするもののこれ以上は行き場はない。伸ばされた腕に抱きすくめられて唇を塞がれた。今日何度か交わした触れるような優しいそれとは違う、深い口づけに思わず目の前の藤堂にしがみついてしまった。
「……ぅんっ」
髪を梳き、頬に触れる藤堂の指先に、心臓がうるさいくらいに激しく鼓動する。
ヤバイ、頭がぼーっとしてきた。気持ちはいいけどさすがに腰が抜けそうだ。離してくれと訴えるように慌てて藤堂の背中を叩けば、名残惜しそうに何度も唇を啄みながら藤堂の唇が離れていく。
「いきなり、びっくりした」
「ちょっとどうしても我慢出来なくて、触りたくなって。ごめん」
「ばっ、馬鹿だろ。散々ここに来るまで」
あまりにも真顔で言うものだから、言葉が尻すぼみになっていく。しかも本気で本人は衝動的な行動だったのだろう。珍しく口調が敬語じゃなくて、思わず胸の辺りがキュンとしてしまった。
まったくこんな乙女っぽい自分は恥ずかしくて嫌なのに、どうにかなってしまいそうだ。
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