押し倒されているような状態にめまいがする。けれどしがみつくようにぎゅっと掴まれると、無理に引き離す気も起きず、なだめるように彼の背を優しく何度も叩いてあげた。胸元に頬を擦り付けて甘える仕草をする彼が本当に愛おしい。でも愛しいからこそ簡単な想いで流されて汚したくはない。
あの時だって本当はあそこまでするつもりはなかった。でも抵抗されないのをいいことに調子に乗ってしまったのだ。結果、後悔するものになったわけだが。
「佐樹さん、なんでお酒なんて飲んだんですか」
「……」
「顔を合わせづらかった?」
なにも言わない彼の髪を撫でてその身体を抱きしめた。きっとこの人のことだ、なにか一人でぐるぐると考え込んで、どうにもならなくなってしまったんじゃないだろうか。そう思うと罪悪感が胸に湧いてくる。
「俺が、悪かったですね」
「お前は、お前は悪くない。すぐになんでも自分のせいにするな」
突然腕を放し、そう言って勢いよく起き上がったと思えば、いきなり腰の辺りに跨がられた。それと同時に彼に言われた言葉など頭からすっ飛んだ。先ほどよりも身体に感じる重みがリアルだ。さらに乱れた浴衣の裾から覗く白い足が生々しくて、視覚的にも色々とヤバイ。
「佐樹さん、ごめん。お願いだから下りて」
「なんだその投げやり」
「ほんとにごめんなさい。お願いします」
機嫌を損ねたのか唇を引き結び、あからさまに眉をひそめられた。しかしただそれだけならいいが、俺の襟元を両手で掴み彼は揺さぶりをかけてくる。頼むから人の上で動かないで欲しい。
「ねぇ、佐樹さん。もう本気で、色んな意味で俺の理性がヤバイから」
「今更そんなこと言うのはこの口か」
ぐっと襟元を掴む手に力を込めて俺を引き寄せると、彼は再び俺に口づけてくる。それは先ほどのと同じように深いもので、本当にいまここで意識を手放したい気分になった。
「あんなエロイ顔して人のこと触ったくせに、今更そういうこと言うかお前」
「あれは、謝ります」
「謝るな!」
いきなりパッと手を離されて俺は再びベッドの上で仰向けになる。そんな俺を見下ろす彼の顔は紅潮していて、それを隠すように片腕で顔を覆っていた。しかし耳や首筋まで赤くなっているのでちっとも隠れてはいない。
あんなキスを仕掛けておいてこういうウブな反応をされると、そのギャップにこう、ムラムラとくるのはやはり男の性だと、思いたくないが実感してしまう。
「あれから色々考えたんだぞ。逃げたのも後悔したし、お前が傷ついてないかって心配にもなったし。でも、どんな顔して会えばいいかわかんなくて」
「なるほど、やっぱり素面じゃ会えないから飲んじゃったんですね」
「……」
小さく頷いた彼の手を握りその指先に口づけると、ぴくりと肩が跳ね上がった。酔っていていつもよりも触覚が敏感なのかもしれない。そんな反応につい悪戯心が刺激され、指先を口に含むように舐めてしまった。すると一瞬にして顔がいままで以上に赤く染まり、握っていた手を振り解かれてしまう。
人を押し倒してキスするほどの勢いはどこへやら、彼は両手を握り締めて唇を噛む。こちらを恨めしげに見つめる瞳は光を含んで潤んでいる。
「知らない連中なんかと飲むからオシオキです」
「そ、それはっ、ちょっと飲んだら勢いついていけるかと思って、でも飲んでも全然酔えなくて、それで声かけられて、ちょっとくらいならいいかなと思ってたら思いっきり飲んじゃって、そしたらあとからグラっときて、それで、あの、えっと」
「佐樹さん、ストップ。息継ぎして」
焦ったように言葉をまくし立てる彼に苦笑してしまう。なにか言い訳を考えてみたものの、なにも思い浮かばなくて完全にパニックを起こしているのだろう。
彼を膝から落とさないよう抱き寄せながら身体を起こすと、俺は子供をあやすみたいにまた背中を軽く叩いた。
「勢いつけてなにするつもりだったの」
「と、藤堂のしたいこと?」
意地悪のつもりで耳元に囁いたのに、俺の反応を窺うみたいに上目遣いで見上げてくる。綺麗な焦げ茶色の瞳を潤ませて、小さく首を傾げるその姿にこちらのほうがかなりぐらりと来た。本当にこの無自覚で無意識なところは心臓に悪い。これを素面でやられたら、いま即行で押し倒す自信がある。いや、こんな自信はいらない。しかし自分の我慢強さをこれほどまでに賞賛したくなったのは初めてだ。
「佐樹さん自分で言ってることわかってる?」
「ん、多分」
俺の問いかけに彼はほんの少し視線をさ迷わせて考える素振りを見せる。本当にわかっているんだろうか、発言が色々と心配になる。
「なんですか多分って」
「別に、嫌じゃなかったから、少しびっくりしたって言うか……恥ずかしかっただけで、こういうことだろ?」
「え?」
目の前の出来事に思わず息を飲んでしまった。浴衣の胸元をくつろげた彼がこちらをじっと見つめ、俺の手を取ってその白い胸元にそっと当てる。ほのかな温かさとトクトクと脈打つ心臓の音がはっきりと手のひらに伝わり、さすがに俺もそのリアルさに顔が熱くなった。そして誘うようにさらに手を引かれて、その艶っぽさに思わず唾を飲み込んでしまった。
「ちょっと、待った」
慌てて肩を押して彼を膝から下ろす。ここまでくるともう限界だ。自分から仕掛ける分には色々とコントロールが効く部分はあるが、でもこれはさすがにまずい。元々開き直ると大胆な行動をしでかす人ではあるが、いまは酔っているせいもあって、無自覚で無駄に放たれている色気がプラスされている。
「あ、手でよかったら、するけど」
普段はそんなこと気づきもしないくせに、こんな時ばかり察しがいい。しかも少し恥じらうように目を伏せられて、こちらの心臓がもたない。
「余計なことはしなくていいですっ」
伸ばされた彼の手を遮り思いきり声を上げた俺を、首を傾げて見つめる視線にいたたまれない気持ちになってきた。これは不埒な俺への罰なのだろうか。これは試されているとかいないとか、そんな可愛い状況ではない。どうしたら目の前の彼は俺を許してくれるだろう。
この真っ白さが眩しくて、いっそ黒く染めてしまいたい気分にもなるが、多分きっとなに色にも染まらない人なんだろうとも思った。そして彼の傍にいる人間は、いつしかその身にあるどす黒さを洗われてしまうのかもしれない。
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